音楽の喜び フルートとともに

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仕事納め

2011-12-30 20:55:28 | 哲学

29日、児童会の仕事納めも終わり、後は家の中のことだけと思っていたら、Mさんから、メール。「大根とカブをもらってくれない?」喜んで伺うと、「おはぎももらって。作りすぎて、ちょっと焦がしたあんこなんだけど。」って、こんな量、初めから作り過ぎないって!今年もお世話になりっぱなしで終わりました。ありがとうMさん!

昨日の運動場は、
日差しがあり、暖かかった。それだけでありがたい。
あやとりの毛糸は大人気。手品や、五段ばしご。伝統の遊びは生きています。

怒鳴ったり、脅したりしないで、子どもを躾けるのは、大変なことです。
アメと鞭で躾けるのは当たり前だと思われている社会で、私たちは長く生きてきました。

未だに、賄賂や、交換条件、罰や褒美、涙や、なだめたりするのは戦略だと思われています。

さて、それ以外の方法って?
私には、さっとは浮かびません。
考えなければ、学びなおさなくてはわからない。

褒めるのではなく、努力していることを認める。結果ではなく、プロセスを認めて、勇気付ける。
それは、音楽そのもののように思えます。
その瞬間、瞬間を喜ぶ。うまくいった、いかなかった。なんてことではなく。
生まれた音の命を慈しむ。
どんな音であろうとも、アメージング!

私たちは子どもに急いで結果を求めすぎていないだろうか?
しかし、放任や、過保護では子どもたちはたちまち方向を見失い。野獣のようにお互いを傷つけあう。
自分や、人に対する暴力は決して赦してはいけない。
しかし、それを本当に伝えられているだろうか?

ルールはより幼き者を、より弱い立場の人を守るためにあるのだと、私はちゃんと理解できているだろうか?
自分自身がルールを軽んじていながら、子どもに押し付けようとしていないだろうか?

今年も、迷い多き一年でした。しかし、悩み続けることからしか、希望は生まれない。絶望の中に希望がある。
できないことを知ること。それが、知恵の始まりだと信じたい。

音楽にも、正解や、固定化された模範演奏などないように。





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