月曜日、フルートアンサンブル「エスカル」の練習日でした。
渡辺橋近くのサロン ド
プリンシパル。
定期演奏会が10月20日に終わって、新しい曲を模索中です。
榎田先生に練習前にレッスンしてもらいました。
ロングトーンは女性で45秒は続ける吹き方で練習すること。
基本pianissimoで。
アンブシュアは、できるだけ細い息が出るように…。
私は少し大きいようです。
もう少し締めて、そのためにもビアニッシモのロングトーンの練習がいいそうです。下顎を前に前歯の上下が合うくらい。少し下目に吹くといい音がします。
息も続くし、音量は簡単に上げられます。
タンギングは基本舌が歯の間から外に出るモイーズのソノリテが基本です。
歯の付け根に置くというタンギングは切れが悪いのでしない。
鋭く。
タンギングの音が聞こえるように、ベネットもそうだったそうです。
CDで聴くとそういうことがわからない。
そばで聴くと、汚いくらいタンギングの音がしたそうです。
ヴィヴラート、モデラートの速さで一拍に3回くらい。
波は大きくし過ぎない。
以上を気をつければもっと音が良くなるはず!
ということで頑張ります。
新しい楽譜が来ました。
2曲、来年の定期演奏会の候補曲。
一曲はヘンデルの「アレクサンダーの饗宴」
後一曲はドボルザークの「セレナーデ」
初見大会。
今回はバスフルートを持っていなかったのでどちらもコンサートフルートで2ndを吹かせてもらいました。
榎田先生「ドボルザークにしてはこの曲はいい曲なんだよ。土臭い、田舎っぽいところがなくってね。」
それからマーラーのアダージェットをやりたいというメンバーに
「マーラーは好きじゃないんだよ。情緒的過ぎる、俺はもうちょっと硬いやつが好きなんだ。」
「このヘンデルのようなやつ。」
ですって!
ドボルザークの第一楽章が終わったら
「この曲はね。信じられないほど美しい曲なんだよ。本当はね!」
はい、私たちの演奏ではまだまだです。
アントニン ドボルザーク(1841-1904年)オーストリア帝国ネラボゼヴェス生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国プラハ没
弦楽セレナーデ ホ長調 作品22 B.52 は、アントニン・ドヴォルザークが作曲した弦楽合奏のためのセレナーデ。
この曲はドヴォルザークが33歳だった1875年5月に11日間という短い期間で一気に書き上げました。
ドヴォルザークは2年前(1873年)に初恋の相手だった女性の妹アンナ
と結婚していて、作曲に着手する2か月前には、ブラームス
や音楽評論家ハンスリック
らが審査員を務めるオーストリア政府奨学金の審査に合格、当時の自身の年収の倍を超える額の奨学金を5年間にわたって受給することが決まりました。
当面の生活の安定が約束された状況下で作曲に打ち込むことが出来るという幸福感からこの作品を書き上げています。
この作品を書き上げた翌月(1875年6月)には、スラヴ的な親しみやすい旋律が満載の『交響曲第5番ヘ長調』の作曲に着手して、1か月余りの期間を費やして完成しました。
2年後の1877年には『スターバトマーテル』を完成、さらにその翌年の1878年には『スラヴ舞曲集』作品46を作曲して大ヒットとなるなど、この作品の前後数年間に作曲された楽曲によって国際的名声を得ています。
本作の初演は作曲の翌年、1876年にプラハ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏により行われました。
Moderato
Tempo di valse
Scherzo: Vivace
Larghetto
Finale: Allegro vivace