月曜京都へ行く京阪特急。
天井が低いですが、車窓が高く眺めが良いのが利点。
久しぶりに2階に乗りました。
最近コロコロに全て入れて運んでいるので階段が…。
天井が低いですが、車窓が高く眺めが良いのが利点。
加算無しなので、なんか得した気分に。ウキウキしてきます。
昔の特急と言えば、「馬」
17世紀頃、ドイツの結婚式のパーティの最後で全員で歌を歌って踊ってお開きにする。という風習が広がりました。
その音楽はドイツ語でケーラウス(Kehraus)と言いました。
その中でも有名な、「祖父の踊り」(Großvatertanz)は、その後たくさんの作曲家に編曲差れました。
バッハ、シューマン、チャイコフスキーなどなど。
18世紀の半ばから、このテンポの速い曲は踊る様子から馬が駆け足をするようだったためにGalopp(ガロップ、またはギャロップ)と呼ばれるようになりました。
男女が2人組になり、輪になってぐるぐると駆け足で踊るのですが、だんだんと乗ってくると、もはや踊りではなく、本当に駆け足で走り回るような状態になってしまいます。そうなると、息切れで咳き込む人がいたり、転ぶ人が出てきたり……と、まるで地獄絵図のようだったと伝えられています。
ただ、男女の仲が深まる踊りとして、特にウィーンを中心とした舞踏会で人気になり、自宅でパーティーをする際にも、ピアノでギャロップが弾けるように、ギャロップだけ集めた楽譜も売られました。そして、有名な曲や、親しみやすいメロディのギャロップが多く書かれました。
1830年代になると人気は早々に下火になり、1850年ごろにはほとんど姿を消しました。理由としては、怪我人が出るし、ギャロップではしゃぎすぎると、舞踏会の盛り上がりに水を差すから……そして、ギャロップは、似たように速い音楽ながらも、もう少し落ち着いた踊りをするシュネルポルカ(「速いポルカ」の意味で、ポルカ・シュネルとも呼ばれる)に置き換わりました。
それほどまでに、ギャロップは極端にはしゃぐ踊りだったのです。(ontomo大井駿)
フランツ リスト(1811-1886年)オーストリア帝国ハンガリー帝国ドボルヤーン生まれ、ドイツ帝国バイエルン王国バイロイト没
1838年「半音階的大ギャロップ」S219
ルドルフ アポーニー伯爵に献呈されました。
リストが自身のリサイタルのために作曲した曲で、リストの技工を見せるために作られました。
リストのリサイタルではしばしば取り上げられ、当初から人気がありました。
後に弾きやすくした四手ピアノ版がリスト自身の編曲で出版されています。
それでもちゃんと演奏できる人がいるのも凄いです。体力的にもキツそう💦
凄い曲ですね!、確かにこれでは怪我人が出てもおかしくありませんね!
それにしても、この曲を弾ける人って超人技法ですね、、、曲よりも演奏の手の方に感心してしまいました。😅
いつも貴重なお話と音楽、ありがとうございます。
ひとつ前の投稿で、電車が予定通りに動かなくなった、と書いていらっしゃいました。最近、多いんですね、これが。JRでも、阪急でも、大阪Metroでも。一昨日は通勤の時間中、阪急神戸線が人身事故で大幅に遅れました。夜、帰ってからどんな理由だったか見てみると、ご高齢の女性が事故でお亡くなりになっていました。
↓ 事故の記事です。
https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202310/0016951257.shtml
気力、体力要りそうでしよ!
今は多くの人がチャレンジして、結構弾く人がいます。
いつか生で聴いてくださいね。
凄い曲でしよ?ギャロップでは、怪我人…そうですね。
リサイタルでは、リストの魅力に、卒倒する貴婦人が多く出たそうです。ちょっと意味が違いますか?
ありがとうございます😊励みになります💖
電車の人身事故。最近多いですね。
手押し車が引っ掛かったのでしょうか?
悲しいです。
以前の高齢の男性が自転車を押して踏切の途中で立往生しているところに出くわし、下がった踏切の棒を内側から押し上げて、友達と自転車と男性を抱きかかえるようにして出ました。
直後に電車が来て…本当にゾッとしま
した。男性は酔っぱらっていて、笑いながら別れましたが、止まっていたのは自転車のせいではなかったような気がして、あの後どうなったのか?
今でも心が残ります。