音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

手作り

2009-02-08 20:42:12 | Weblog
かわいいでしょう。フェルトで作ったブルーベリーとイチゴとクランベリーのタルトケーキの携帯ストラップ。約2cm角。もちろん手作り。友達がイチゴショートケーキを付けていたので、「どうしたの?」と言うと、自分で作ったといいます。以前は迷わず作っていたのですが、目が悪くなってつらい…その友達が作ってきてくれました。請求してしまいました。本当にありがとう
携帯に付けて早速みせびらかしています。

手作り品って本当に暖かい。いろんな時間の使い方があるけれど、子どもを育てていると、なかなかまとまった時間が取りにくい。一人の家に集合して、同じ年頃の子ども達を、遊ばせながら、お茶を飲んで無駄話。そのうち手作りが始まって。
それでも、ドタバタ、「あっ、おやつこぼした!」「けんかが始まった!」「ビデオのテープひっぱりだしてるよ!」なんて。
「今度、私行くわ。」と交代で、見ることができて、情報交換もできて、できた品を品評しあって、売ると、喜んでくれる人がいて。社会の風も少し入って、おかげで孤立した子育てをしなくてすみました。
仲間に感謝です
また、これからもよろしくです。




ヘルマンハープ練習日

2009-02-07 23:10:06 | Weblog
ヘルマンハープ「星のパレット」さんとの練習打合せ日。2月10日、子育てサロンにボランティアコンサート。
頼んできてもらうことになりました。

楽譜作成ソフトが大活躍。ハープ譜は特殊すぎて無理だけれど、ピアノ譜のスコアをスキャナーで取り込んでをフルートパート段を入れて、音符を入力。チェンバロと、フルートのMIDI音源を選び演奏を聴きながらオブリガードや、ベースを作って、作成。

それを今日実際に演奏してみる。それから、不都合だった箇所を何箇所か入力しなおし、パート譜を作成。次は本番です。本当はもう一度演奏してみたいところですが、ちょっと時間的に無理。他の譜面は何度かコンサートにあげているので大丈夫ですが…この緊張感がまたよかったり。
とにかく、10日は演奏するのみです。

今日は、くるみさんのお宅で練習。窓の外を見ると、庭の梅が7分咲き。梅を見ながら練習できるなんて本当にぜいたく。

自宅で取れたゆずで、ゆず入りマドレーヌを作っていてくれました。ゆず茶とともにおいしく頂きました。
ゆずジャムを家で作ると言うので、作り方を聞いて、自分でも作れるのかしら?不安に思っていると、頂いてしまった。自家製のゆずジャム。…請求してしまった。

ありがとうくるみさん。
しあわせ~。ゆずパワーで良い演奏ができそうですがんばりましょうね。

ルール

2009-02-06 22:17:56 | Weblog

ルールは大切です。お互いの安全を守るためのルール。時間と場所の限界もあります。清潔に関するルールもあります。
たくさんの子ども達が集まるところでは、気持ちよく遊んだり、食べたりするためにいろいろなルールが必要です。

ルールは大切ですが、ルールを守らせることを目的にすると、大変になってきます。
ルールはあくまでも、みんなが楽しく、安全に一緒にいられるためにあって欲しいと思います。

100人の子どもがいるといろんな子どもがいます。
誰とでも楽しく遊べる子、人といるのが好きな子ども、ひとりでいるのが好きな子、外遊びのときだけは、他の子どもと一緒でも良いけれど、室内では静かにしていたい子。大爆笑とか、大声が好きな子、苦手な子。みんなと食べるのが好きな子、食べるのは一人が良い子ども。

もちろん、全ての子のご要望はきけません。それでも、子ども達のほとんどは、ここに来るのを選ぶことができないと言うことを考えてしまいます。どんなにいやだとおもっても、親が同意しない限り、児童会と言えども、退室することができません。できるだけ、ルールは少なく、選択肢を増やしてあげたいです。

バスケットゴールの顔の高さにポールがあってそこを登ってしまう子。朝礼台に上る子。門近くは目が行き届かないので、線も引いていない運動場の3分の2より向こうはいってはいけない。1年生は、5,6年生が体育の授業をしているときは、ボールを使ってはいけない。今は、滑り台も、シーソーも鉄棒も、登り棒も国の基準が変わって、作り変える来年度まで使用禁止。遊具はぶらんこだけ。ブランコも一年生は立ちこぎ禁止。
雨が降ったら、100人の子どもが教室2部屋と、前の廊下しか遊べない。休みになれば一日中。
体育館はおやつの後1時間ほど、舞台上は使用禁止。時間厳守ででなければならない。

気がつけば、ずっと注意ばかりしなくてはいけなくなります。子どもが楽しい気持ちでルールを守れるように、いろんなことを試してみます。「片付け競争、よーいどん!」とか、「おみこしわっしょいでかえろうか?」「まもってくれてありがとう。」「協力ありがとう!」
子どもは毎日変ります。昨日聞いてくれたのに、今日はもう使えない。そう思うと、すねてばかりいたのにいきなり成長していたり。どの子にも目を見張る瞬間があります。子どもは希望の光です。


楽譜作成ソフト

2009-02-06 01:19:08 | 音楽

楽譜作成ソフト買いました。3年思い続けてやっと買いました。K社の楽譜認識ソフト。スキャナーでパソコンに楽譜を取り込んだものを編集できます。
実は、ずっと同社の体験版を使ってました。今のは15日で試用期間が切れてしまいますが、以前のものは、期限が無く、真中に会社のロゴが出てくるのを、ずらして切り貼りしていました。そのおかげで、古いパソコンが捨てられなくて、2年くらい、ずっと狭い机の上に2台おいて、楽譜を作るために、つなぎなおして(画面は一つ分派器を買えなかったので)使っていました。「早く買えよ」と言う声が聞こえてきそう。

体験版なので、移動させたり、保存できず、全て一回きりで泣く泣く消していました。
時間をかけて、一挙に作り、はじめたら何が何でも、一晩で作り上げるため、徹夜作業になっていました。
おまけにできたと思って全消去した後に、ミスが見つかって、またやりなおし。

今日ついたソフトは、体験版より、ずっと進化して認識力は上がって、ほとんど読み取りミスがない、そのうえ保存できる 切り張りしなくて良い。再現音も美しくなっています。

作業効率が格段にアップ。当たり前のことなんだけど、本当にうれしい。
今夜も一曲アレンジしてしまいました。幸せです。

うれしくって、また夜更かし。作業効率が上がっても、その分あれこれやってしまいそう。睡眠時間は増えそうもありません。



 


自覚

2009-02-04 20:31:21 | Weblog
対立を多様性に、変え、その場に生かすためには、ある種の強さが必要なんだと思うようになりました。同僚や、上司、職場の人たちは敵ではないと言うことを選びきること。
相手の口をふさぎたくなったり、消えて欲しくなったら、要注意。
その度に、私達は仲間です。と唱えること。
自分を復讐心にあけわたさないこと。 
小さな復讐心は、ちょっと遅刻したり、聴こえなかったり、手を出された時に微妙にずらしたり。
私の中の怒りを認めること。
自分の言動の責任を取るためには、言動に意識的、自覚的であることが必要不可欠です。これが難しい。

今、怒っているの?と問いを出し続ける事で、脳を常に活性化させること。

無自覚に怒りと復讐の雰囲気を振りまいてはいけません。

非暴力は、壮大なチャレンジです。

なぜ殺してはいけないのか?

2009-02-03 21:40:33 | 子ども

体罰や、暴力がなぜいけないのか?皆さんは説明できますか?

「しつけと体罰」子どもの内なる力を育てる道すじ 森田ゆり著 童話館出版
の中で、体罰の6つの問題点を指摘しています。

①体罰は、それをしている大人の感情のはけ口であることが多い
②体罰は、恐怖感を与えることで子どもの言動をコントロールする方法である
③体罰は、即効性があるので、他のしつけの方法がわからなくなる
④体罰は、しばしばエスカレートする
⑤体罰は、それを見ているほかの子どもに深い心理的ダメージを与える
⑥体罰は、ときに、取り返しのつかない事故を引き起こす

そして、体罰に代わる10のしつけの方法について書かれています。それは愛と尊重によって、子どもの自尊心を強める方法です。

体罰だけがいけないとは、思いません。怒鳴ったり、威嚇したり、罰を与えたり、大人同士でしてはいけないことがなぜ子どもにだけ赦されるのか?ということを、私はいつも考えてしまいます。

子ども達を見ていると、強い力で押すと、もっと強い力で押し返します。こちらが穏やかに見守ると、穏やかにしています。

今日、いつも遊んでいる友達を殴った子は、大声で怒鳴って止めようとする他の大人たちの手をかいくぐって、怒り狂って追い掛け回して蹴ろうとします。やっと、抱きとめて、話を聴きました。
学校から帰ってきたときから、その子と遊びたくて、道具まで作って待っていたのに、断られて頭にきてしまったのでした。こんなにうまく説明してくれないけれど、来た時から気になってその道具を見せてもらっていたのでピンときたのです。
「せっかく僕が遊んでやろうと思ってたのに、殺してやりたい。」簡単にはおさまりません。

「断られてがっかりした。すごく傷ついた。」この子はそういう言葉が出てきません。いつも涙を流す代わりに怒ります。

「一緒に遊びたかったんだね。がっかりしたの?」と、聴いていると、「うん、殺してやる。」
「殺してやりたいって気持ちになっているんだ。」「うん。」
きれいになんか出しません。否定しないで聴いていると、落ち着いてきました。

「暴力はどんな理由があっても奮ってはだめだよ。」
「でも、あいつが悪いんや。殺してやりたいもん。」
「殺したら、もう遊べないよ。そうなったらさびしいよ。あの子のためだけじゃなくて、自分のためになぐっちゃだめだよ。」
なぜ、暴力はいけないのか?毎日、子どもに話さないといけません。わからないけれど、今日は納得したみたい。

なぜ、暴力を奮ってはいけないのか?
なぜ、殺してはいけないのか?
なぜ、戦争をしてはいけないのか?

6歳の子どもにもわかるように話せるように、学び
続けなければならないと思います。






インドの歌

2009-02-02 22:51:59 | 名曲

今日はレッスンで、アルルの女を終えたEさんが、次の曲にインドの歌を選ばれました。いつも好きな曲を持ってきてもらいます。自分で、楽譜を揃えたり、曲を選ぶのも勉強になります。

サドコは、ロシアのシンドバッドのような民話世界の、英雄です。

Song of India     The Legend "Sadko"
インドの歌       歌劇「サドコ」第4場
リムスキー・コルサコフNikolay Andreyevich Rimsky-Korsakov (1844~1904年)作曲

サドコは、吟遊詩人素晴らしい歌を歌うので、海の女王が気に入って、富を授けます。その富で、買った船で12年も海で冒険をします。しかしある日海上で、船は動かなくなってしまいます。サドコは海を沈めるために、海底へ沈んでいってしまいます。海の底には、海の王と、女王ホルホヴァがいて、サドコに歌を求めます。美しい歌に一同聞きほれていると、
昔の巡礼がやってきて、サドコはノブゴドロのために歌うように、海王にはノブゴドロを渡る川になるようにと、告げます。サドコは、ノブゴドロに戻り妻と再会します。海は川となります。

インドの歌は、第4場、富を得たサドコが船を出す前に、各地から来た商人にそれぞれの国の様子を尋ねます。ヴェニス、ヴァリヤーグ、そしてインドの商人に扮したテノールが歌うのがこのインドの歌です。

遠き南の海
水底(みなぞこ)深く秘めし
数知れぬ宝
瑠璃(るり)の巌(いわお)
珊瑚(さんご)の島に
人の面(おもて)の霊鳥(れいちょう)住み
あけくれ歌う 妙(たえ)なる節に
合せて舞う翼うつくし
声をきけば 命を延ぶ(のぶ)
遠き南の海
水底(みなぞこ)深く秘めし
数知れぬ宝

当時のロシア人の想像するインドの様子が、わかっておもしろいです。エキゾチックで、悠然とした感じです。

時の踊り

2009-02-02 00:00:02 | 名曲

歌劇ジョコンダより 「時の踊り」La Gioconda Danza delle ore
Amilcare Ponchielli アミルカレ ポンキエリ(1834~1886年)イタリア クレモナ生まれ
教会音楽家の家に生まれる。9歳で音楽院に入学、10歳で最初の交響曲を作曲する。34歳でオペラを当て、スカラ座と契約を結ぶまでは不遇でした。

生前の成功に比べて、今日演奏されるのは、歌劇ジョコンダくらいですが、ミラノ音楽院でポンキエリは、プッチーニや、マスカーニを育てています。
ヴェルディと、後進をつなぐ役割の作曲家のように思えます。

歌劇ジョコンダはジョコンダ(陽気な女)の母親(チェーカ)をバルナバ(宗教裁判所長官アルヴィーゼの密偵)はチェーカに魔女の疑いをかけます。民衆からも魔女として責められているところをアルヴィーゼの妻ラウラに助けられます。

ジョコンダの恋人エンツォからアルヴィーゼがラウラを強奪し領地までも取り上げていたのでした。ジョコンダは恋人の裏切りに嘆き怒りますが、母親を助けたのがラウラだと知り赦します。一方ラウラは、かつての恋人エンツォと逃亡しようとした事が夫にばれて毒を与えられ自ら命を絶つように命じられます。そこにジョコンダが現れ仮死状態になる薬を渡し助けます。アルヴィーゼは倒れている妻を見て死んだものと思い込みます。

その後、舞踏会に紛れ込んだエンツォは、自分の領地と恋人を奪ったアルヴィーゼを告発しますが、捕らえられてしまいます。ジョコンダはエンツォを逃がしてくれるなら自分の身を委ねるとバルナバに持ち掛けます。仮死状態のラウラを墓から持ち出してきたジョコンダは結局自分が犠牲になり、2人を無事に逃がします。

そこへバルナバが現れジョコンダを求めますが、ジョコンダは短剣で胸をさし自害します。怒ったバルナバがチェーカを運河に沈めたと叫びますが、ジョコンダにはもう聞こえていません。
この最後の場面で演奏されるのが、「時の踊り」です。ジョコンダの悲惨な運命とは別に、舞踏会で演奏されている曲です。

時の踊りは以下の部分に分かれています。単独で、バレエ曲として使われていることもあります。
「夜明けの時」
「昼の時の入場」
「昼の時の踊り」
「夕方の時の入場」
「夜の時の入場」
「フィナーレ」

フィナーレは運動会の、かけっこに使われたりしているので結構聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
それにしても、ジョコンダの自己犠牲と、悲惨な運命。彼女の母にいたっては、殺される意味さえ良くわからない。
魔女狩りが現実の意味を持っていた時代の話です。「時の踊り」の明るさや洗練された軽さが、悲惨さをより強調します。