紫のバラの人というと、「ガラスの仮面」1976年から連載。中断もありましたが、今でもまだ連載中。
これは「しのぶれど」という名前です。好意を伏せてバラを送り続ける「紫のバラの人」速水真澄にピッタリ・・・少女漫画の王道。長いこと読んでませんが、結局、マヤと真澄はどうなるんだろう?
こんなに、待たされるとは思わなかった。
今日はピアノのTさんと打合せ。
電子ピアノとの格闘が続きます。
借り物のピアノは、慣れるだけでも大変です。
残響が少ないので、音をつなぐ為に指を置いとかないといけません。
それと、低音の響きがピアノほどないので、小指を通常より強く、重く、長くおかないといけません。
また、強弱はペダルでつけますが、大きくは出来ても、小さくはできません。
生音で聞いているとよく聞こえますが、録音してみたら、フルートの音量が大きくピアノがほとんど聞こえません。
音量をMAXにして録音して聞いてみると、それでちょうどいいくらい。
しかし、pにしたい時に、調節できない。
Tさんが、途中でつまみを廻して見ましたが、なれないので、何小節か音がなくなってしまいました。
「むすかしいよなぁ。」と言うと、
「あさってまで、練習しとくわ。」とTさん。
少しでも質をあげたい。という気持ちが通じる友達です。
音楽バカ二人とも言います。
「やっぱり、明日もやらなあかんな。」Tさんが言いました。異存はありません。
本番まであと二日、明日もやります。
連休中、仕事が飛び飛びに入ってまとまった休みは無いですが、14日午後から半日月ヶ瀬方面にドライブに出ました。
途中土砂崩れで片道規制中。豪雨の影響はこんなところにも残っていました。
月ヶ瀬村はかぼちゃ祭りの真っ最中。
巨大なかぼちゃが店先にゴロゴロと並んでいます。月ヶ瀬はかぼちゃの生産でも有名らしい。
重量あてクイズなどやっていたらしいですが、着いたのは4時過ぎ。イベントは終了。テントも片付いていました。
せっかく来たので、お土産に栗かぼちゃを一つ買いました。
月ヶ瀬温泉に浸かった後は、もう帰路。
月ヶ瀬というとなんといっても美しい渓流。
筆で白い絵の具をサッと刷いたような夕暮れの空。
澄んだ空は秋の空気。
陽が落ちてしまいました。
福山の自動車時計博物館にあった自動演奏付きピアノ。おそらく19oo年初頭のもののレプリカでエオリア社から20年くらい前に買ったそうです。。
今の電子ピアノのご先祖様と言えなくもないですが、オルゴールと言ったほうがよいのかも。
自動演奏は聞けませんでしたが、弾いてみたら、今のピアノではちょっと出ないような、まろやかで、素朴ないい音がしました。
戦争の世紀、技術と科学を音楽に捧げた人たちがこんなところにもいました。
お盆のころ、脳梗塞を起こした父を、ようやくかかりつけの関西医大で見てもらうことができました。
MRI画像を田辺中央病院から送ってもらったり紹介状をかいてもらったり、
その間に、父の様子はドンドン良くなり、麻痺していた左手、左足も回復したように見えます。
先生に診てもらった画像には、やはり少し梗塞の跡がありましたが、親指と人差し指で丸を作って、その指は離したり、くっつけたり、両手を水平に上げて、まっすぐ保てるか?とか、椅子に座って足を上げて、その上から先生が手でグッと圧力をかけ、どれくらい保てるか?
最後には線の上を歩くテスト。
その結果、脳梗塞の影響からはほぼ回復し、それよりも動かないことによる筋力低下で動けなくなっているそうです。
もちろん、今後の梗塞が進まないという保証があるわけではありませんが、とりあえず脳リハビリなどはしなくてもいいことになり、ほっとしました。
後は、血液検査をして帰ることになりました。
採血してもらおうと、父が検査台の上に手を乗せて、注射器を左腕にしたら、血管が細くて、みつけられません。
針をつっこんだまま、「ごめんなさい。」と先生が血管を探っていると、
父は「年取ってもう血管なくなったんやろ。」と笑って言います。
先生は吹き出して「年とっても、死んでないから血管はありますよ。」と返しました。
とうとう、左腕では採れず、右腕にチェンジ。
あったかいパットをつけてもらって、さて注射。しかし、またもみつかりません。
「もう死んでるんとちゃうか?」と父。
「いやいや、そんなことあらしませんって。」といいながら、また抜いて、細い針に注射針を変更。
ようやく探り当てることができました。
「やっぱり、生きてたか。」
「はい、生きてはりました。」
私の知っている父はちょっと怖がりですが、認知症になって、いろんなことを忘れて、できないことが増えても、怖さと失敗した気まずさを笑いに変換する能力は、残っています。
こういうところはわが父ながら、なかなかイケてる。と思うのです。って、ちょっとファザコンかな?
初めて使う食材、かぼちゃのバターナッツの種をようやく発見しました。
月曜日は上の方から、蒸しただけのもの、水曜日は薄くスライスして野菜炒めと食べていき、今日木曜日は下の部分。
レンジで蒸して、プロセッサーで潰してペースト状にして、お湯に溶かしたコンソメキューブと、豆乳の中に入れて冷製スープにしてみました。
これが一番おいしかった。残りこの種のところの後半分。何にしようかなぁ?
科学はお料理から始まったと言います。
何が食べられて、何が食べられないか?食べ合わせて良いもの、悪いもの。煮るのか、焼くのか、蒸すのか、生食できるか?
アクをどうやって抜くのか?どのように切るのが食べやすいのか?何で切るのか?
たくさんの人が、経験を積み重ね、成功し、失敗し。
成功のセオリーを作り、またそれを破り。
食べられるかどうか?の次には、美味しさの追求。
調味料をどう使うか?焼き具合、切り方、盛り付け方、何に盛るか?
繊細な味の違い、優雅さを追求する時、お料理はアートになります。
アートになるには、優雅さ、美にまで行かないと。
綺麗というのとはちがいます。生命に結びついた美しさ。
音楽もこうありたい。
福山のバラ園に咲いていた、バラ「ユリイカ」という名前です。
ユリイカは、ギリシャ語のエウレカの英語読みだそうです。
アルキメデスがアルキメデスの原理を発見した時に、「エウレカ!」と叫んだとか。わかったとか、解けたという意味だそうです。このバラ、わかったような顔してるかな?
歌劇「ミニョン」というと、アンブロワーズ・トマにより作曲、1866年パリで初演されました。
旅芸人の座長に鞭打たれようとしているミニョンというを、学生のヴィルヘルムがお金を出して買取り助けます。
彼を愛してしまうミニョン、しかし彼の方は子どもとしか見ていません。
一方街には吟遊詩人のロターリオが幼い頃さらわれてしまった娘を探してやってきます。
ヴィルヘルムは、女優のフィリーヌに熱を上げています。
フィリーヌの劇の成功に嫉妬するミニョン。
ロターリオに苦しい胸の内を打ち明けます。すると、彼女に同情したロターリオは錯乱し邸宅に火をつけてしまいます。
炎の中に取り残されたミニョンを救うため、ヴィルヘルムは屋敷に飛び込んでいきます。
一命を取り留めた二人は、お互いの愛に気がつきます。
療養のためにイタリアの城に行った二人。
そこの城主が、娘をさらわれて吟遊詩人に身をやつし諸国を放浪していたロターリオ。
娘がミニョンであることがわかり、3人は喜び合い、ミニョンのヴィルヘルムは結ばれます。
ハッピーエンド版と、ミニョンが喜びのあまりヴィルヘルムの腕の中で息絶える悲劇版があるそうです。
1874年作曲ポール・タファネル作曲の「ミニョンの主題によるグランドファンタジー」は、このオペラの中から、
ミニョンが故郷を思って歌う歌 君よ知るや南の国 ”Connais-tu le pays?”
ミニョンのガヴォット ”Me voici dans son boudoir”
フィリーヌが劇中劇「真夏の夜の夢」で、妖精の女王ティタニアを演じて歌う 私はティタニア ”Je suis Titania”
など、有名な曲がヴァリエーションを交えながら一曲にうまくまとめられていて、華やかなオペラの楽しさが伝わる曲です。
スイカの種を植えておいたら、こんな花が咲いて、実ができました。去年は3cmどまり。これは現在直径3cm。うまく育たないかなぁ?
今日は救急救命法幼児向けの講習会当日です。
9時10分集合。この10分は会場になる幼稚園の園児の登園時間とずらすようにという園長先生からの要望です。
幼稚園は学校の敷地にあるので、学校の校長、教頭先生にもご挨拶。市の子育て支援ファミリーポートからも受講に来られるので車を学校に置かせてもらうようにお願いしていました。
講師のYさんは、地域の役員の一人でボランティアです。講師お手伝いのMさんも来て手伝ってくれました。
サロンの卒会生の、お母さんMさん、Aさんの二人も保育のお手伝いに来てくれました。
もちろん、頼もしい子育てサロンのいつものスタッフも勢ぞろいです。
他にも小学校のPTAのみなさん、自治会のみなさんにもチラシを回すなど協力していただきました。
幼いこどもたちの生命を守る講習にたくさんの人達が協力してくれました。
講習の大切さはもちろんですが、こういうところで協力しあい、顔と顔が繋がることが安心できる地域を作ることになると思います。
子どもたちやお母さんたちが安心して笑顔で暮らせる地域は、きっと他の人にとっても暮らしやすい。
子どもを暖かく、健全に育てれば、世界は平和になります。
赤とんぼがうちの庭にもやってきました。同じトンボを秋生まれのものをあきあかね、春生まれをはるあかねといいます。こういう四季を味わう感覚は、大事にしたいと思います。
今日はピアノのTさんと打合せ、ランチに道の駅で買ってきたかぼちゃを出そうしたら、調理法がよくわかりません。
バターナッツという種類だそうです。切り口が美しい!
とりあえず皮ごとレンジで蒸していただきました。
皮は固くて食べられない。味は少し甘さがありますが、かぼちゃとしてはそう甘い方ではありません。
これは、スープか、スライスして揚げるか、煮物にするなら味は濃いめが良さそう。
電子ピアノを借りてきて、音を作ります。電子ピアノと一口といっても、メーカーや、価格帯でやれることや音色が違います。
借りたピアノへの理解を深めなければなりません。
ピアノの音色にも、何種類かあります。ビブラホーンとグランドピアノを合わせてみると、響きの短いピアノに、すこし響きを長め、立ち上がりの悪いビブラホーンに、立ち上がりを与えます。
ピアノと同じものを追求するとピアノにはかないません。
電子ピアノは電子ピアノの良さを探さないと。
曲に合わせたり、フルートと合わせた時の音量、質感も合わせます。
Tさんと世間話を織り交ぜながら探求は続きます。
旧宅の隣家のゴーヤ。領空侵犯。
「すみません。もう少ししたら切りますから。」と言われて。「はい、構いませんから。」と夫は答えたらしい。
「なんで、そこで、『構いませんから実が出来たら下さい。』と言わないかなぁ。」そういう私は根っから大阪のおばちゃんです。自覚はあるのです。
「そう言ったら、お隣さんも悪いことしてるなぁって気まずさから救われるし、一緒にゴーヤの成長を喜べるから、友達になれるやん。」と、勧めましたが、
これもわかっていますが、東京生まれの夫には、死んでも言えません。
今日は父を見る日。まだ、夏休み中の次男を連れて車で実家に。
「おじいちゃん、おんなじことばっかり、言うし。『彼女できたか』って何回も、これってセクハラだよ。」とぼやく次男に、
「うーん。吉本好きでしょ。大阪人なら、吉本みたいに何パターンのボケで返せるか、やってみたら。」とやりとりしたのは、昨夜のこと。
食事の最中、やってきました。父の質問。
「彼女できたんか?」
「え・・・と、5人ほど。」やった!ボケ返し。座布団10枚!しかし、
「親の前じゃ言えんなぁ。」
耳が遠くて父聞こえず・・・撃沈。
「いや、5人ほど。」と負けずに言った次男、あっぱれ!
大阪人としてはベタなボケでしたが、いつもの繰り返しがなかったのは、父に次男とやり取りをした満足があったからじゃないかと思うのです。
お笑いはこういう時こそ、役に立つ。
福山滞在2日目、夫と次男が立てた帰還プランは、福山~岡山~高松~徳島(ここで夫が車で待っている)~鳴門~神戸~牧野という、訳のわからないルート。
「なんで神戸とか、岡山じゃないん?」
「マリンライナー乗りたいだろ?」こっそりうなづく次男。この鉄オタ親子。
「青春18きっぷがあるし。」
「なにそれ?」
「11000ほどで、JR全線5回1日乗り放題。但し各駅のみ。」
「18歳じゃなくてもいいの?」「僕でも、ママでも大丈夫。但し一緒に改札通らないとダメ。」
で、福山10時に、改札をはいり、岡山マリンライナーに乗って、瀬戸大橋を渡り四国へわたりました。
高松、乗り換え50分の間に、駅前のお店で、さぬきうどんを頂き、410円で腰のある美味しいうどん。おいしかった。高徳線各駅停車に乗って海沿いを延々2時間。
徳島に着きました。ここから車。せっかく来たから一番札所霊山寺をちょこっとお参り。
後は、車で
鳴門海峡大橋。雨が降ってきました。ほんとにすごいもの作ったなぁ。
ほとんど休みなく、かなりのスピードで走って、帰宅は8時過ぎ。
移動の一日でした。
仕事で徳島に行ついでの夫に、同乗して岡山に、そこから次男と私は下車して、山陽線で福山まで。
下宿で荷物整理をして、家に空気を入れたあと、
福山城に初めて入りました。水野国重の鎧や絵があり、福山市内を一望できました。
自動車時計館にも入りました。
ダットサンに乗ったり、
飛行機に乗ったり、馬車に乗ったり
たくさんの時計を見たり、
オルゴール付きピアノを弾かせてもらったり、チューニングは悪かったけれど、結構いい音!
この日最後はバラ園。
たくさん歩いてつかれたら、イタリアンの店で野菜と生ハムのパスタと、さつまいもとサーモンのクリームパスタを食べたら、やっぱりおいしい。特にさつまいもの取合せは絶品!!福山の食べ物にハズレなし。のジンクスは私たちの中でより強固になりました。