音楽の喜び フルートとともに

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バラの植え替え

2015-03-04 22:55:53 | ガーデナー

今日は、いよいようちのつるバラ、ピエール ド ロンサールの植え替えをします。
アーチに仕立てたつるバラは、植木鉢の中でもう苦しそう・・・2月中には植え替え終わらないと…一人では無理なくらい大きくなってきたので、夫に手伝ってと頼んでいましたが、延ばし延ばしになり、先週末も出張。ついに夫は諦め、次男に頼みました。
これは、植えた翌年。

美しかった去年の春。


夏ミントに襲われ鉢が見えません


秋、ミントを退治。

この鉢を植え替え。
なかなか上がらない。一人ではびくともしません。
次男に鉢を上げてもらいましたが、不動。
初めに絡ませたオベリスクも動かせないので、それごと引きますが、やっぱり動きません。
徐々に引き上げる作戦「てこ作戦や。」と次男。
鉢の周りにスコップを突き刺して、ひっぱりながら、土の下に移動してこの原理であげよう。
1時間ほど格闘し、少しあがったところで、「おかしい。」と気がついて、鉢の下を覗いてみたら、根がみごと鉢を突き破り、地面に達していました。
「あ~あ!やっちまったなぁ。」と次男の非難の目を受けながら、そうっともとに戻して、隙間が空いたところに土を埋め戻し。ポンポンと叩き、「次に行こう!」

反対側の鉢はと見たら、そちらは根は出ていない。ということで、次男が枝を持って引くと、ズボッと簡単に抜け、無事入れ替え。
25キロのバラ用培養土のほとんどを入れて完成。

これで、少しは持ちそうです。
「友達と今晩メシ食うから、お駄賃ちょうだいよ~。」「う・・・。」今回は仕方ないか。

ということで、春休み初ひとり飯。

この時とばかり、次男があまり好きでないチーズと、しいたけを使います。
チーズフォンデュ、ブロッコリー、ピーマン、大根、ウド、人参、菜の花、しいたけをチーズにつけていただき、付け合せはトマト、4個連で買ったメカブの残り一個、4つに切った木綿豆腐の残り1個を消化。野菜のミネストローネ(大根、人参、ピーマン、レタス)、日曜のお昼につくった野菜とハムのピラフ。やはり次男が嫌いな卵で温泉卵を作って食べました。
ゴージャス!!一人もたまだと悪くない。



格差社会を考える

2015-03-03 21:15:57 | レクチャー、マスタークラス

今日は3月3日。飾っていたおひな様も今日で片付けます。
うちは男の子ばかりなので、いつもちょこっとだけ。

今回は、ひな色紙。3枚の大きさの違う千代紙を作って、普通に折ります。お顔は別の色紙で折ります。金レーステープのかけらを冠と扇子の形に切って貼ります。かわいいでしょ。
一枚は両親にプレゼントしてもうありません。


流行りのピケティ教授のNHKの講義をテレビで見ていたら、いろいろなことを考えてしまいました。
格差は封建時代とても大きかった。
それが、大戦で富裕層も資産を吐き出さずを得ず、戦後貨幣価値の混乱で、格差は歴史上例を見ないほど縮まりました。

その後、格差は一貫して開きつつありますが、これまた例を見ない経済成長の中で、希望を見続けることができたので、格差拡大に目を向けないで済んできました。
つまり、格差の少ない一億総中流化社会は、戦後という特殊な状況の中でたまたま起きたこと。

戦後の異常事態の中で民主主義が支持されたのは偶然ではないのだと思いました。

格差が小さく市民の力が強かったからこそ、民主憲法の理念があった。
労働による対価よりも、親から引き継いだ資産の方が、大きいことが、歴史の常態だと考える人や階層にとっては、手や足を縛られる思いだったでしょう。
政治も経済も法律も情報、言葉、芸術すべて独占してきたのですから。

戦後復興は、まれな強制的権限委譲、自由の中で、人々が無手勝流に、生き、労働し、経済活動を行った奇跡だったということ。

非常時ということで、謙虚になり、試行錯誤を繰り返しながら民主的なやり方を探っていた富裕層が徐々にまた力をつけ、格差を広げ出すと、民主憲法は自縛する窮屈な罠でしかない。

おもしろいのは、日本の資産の40%を占めるのは10%の人でしかないのに、それにはるかに及ばない1桁も、2桁も違う年収の大多数の人たちが、パイの分割を迫るより、その権益を守りおこぼれに預かったほうが良いと考えること。

つまりは、強いリーダーに全てお任せし、教育も、情報も渡してしまうと、楽だということ。

しかし、現代はもう重厚長大な産業の機械のこまのような人間を作っても、全て機械やICチップで置き換えられるようになってきました。
自ら考え、創意工夫する人間を多数作らなければ、日本の産業の没落も近い。

多様性を認めあいながら、リーダーシップをとる。リーダーが時や、仕事の内容によって変化する。
あるいは、自らの提案を通す従来型のリーダーではなく、みんなの意見を聞いてまとめあげたり、誰かの提案を支え、生かすようなリーダーシップのあり方を試していかないと、これ以上格差が進むと、貧困の連鎖や、資産の固定化が進み、社会が動かなくなり、大変な時代がやってくるような気がします。


新崎国広さん講演

2015-03-02 22:20:11 | レクチャー、マスタークラス

実家の黄梅、迎春花ともいうそうです。梅の仲間ではなくジャスミン科。
2月19日が中国のお正月。春節のお休みで中国から人がたくさん来てお買い物をしてくれたおかげで、大阪の百貨店がうるおったそうです。
持ちつ持たれつ。情けは人の為ならず。町内会だけの言葉ではありません。


今日は新崎国広さん(大教大准教授)の講演会「地域活動を支える担い手づくり」に行ってきました。
枚方市社協さんの主催で、校区福祉委員会活動者研修会の一環です。
校区福祉委員会というのは、地域の一般の人たちによるボランティア活動に支えられています。

「公助」政府や、役所による支援、専門職に夜支援。
「共助」「近助」地域の一般の人による支援
「自助」昔は自分や、家族、血縁の支えのみを言いましたが、今は住民同士のたすけあいもここに入ります。

孤立死、セルフネグレクト、児童虐待、いじめ、不登校、ひきこもり
私たちの住んでいる地域の周りでは、いろいろな問題がありますが、早期発見が大切だといいます。
本人からいきなり専門職につながることは難しく、こじらせてから、あるいは事件が起きてからやっとつながるということが多いそうです。

地域でできることは、早期発見と、専門職とのつなぎ役、それからその後の見守り。

挨拶をしたり、子どもたちに声をかけたり、顔の見える関係を地域の中で作っていれば、大事になる前につなげることができます。

また、「助け上手」だけではなく「助けられ上手」になってください。
遠慮、諦め、プライド、本人が助けが必要なことに気づいていない認知症などいろいろなことが原因で助けを呼べない人が多くいるそうです。
自分が助けてと声を挙げられるということは、他の人も助けてもらいやすくなるということ。
お互いに助け合う=互助ということを考えて欲しい。
どうぞ、助けられ上手になってくださいということでした。

先生の話を聴いていて、このところずっと心配だった中高生にできることを聞いてみました。
普段からの挨拶や、笑顔、さりげない見守りが大切。
「もしや」と思ったときは、関係機関につなぐ。

ということでした。

温かいちょっとおせっかいな地域を作りましょう。