今日は昼から、子育てサロンのクリスマスコンサートの打ち合わせです。
ピアノのTさんと車で会館の電子ピアノを取りに行きます。
そこから。
ピアノがあればいいのですが、会館は狭くておけないので、数年前に電子ピアノをサロンで買いました。ピアノと電子ピアノは全く違う楽器なので慣れないと大変です。機種によってもタッチが微妙に違うので借りておいて練習するのです。フルートと合わせた時の具合も見ておかなくてはいけません。
Tさんと学校に行って、メロディベルも借りてきました。これはコミュニティで買ったのもです。
後、タンバリンや鈴、太鼓、カスタネットは枚方市の子育て支援室から借ります。
使えるものはなんでも使います。子どもたちの笑顔のためならね(^-^)
自宅で合わせなので、帰ってまず腹ごしらえ。「みんな遅いね。」「食べとこう!」とお昼ご飯を食べていると、朗読をしてくれるY・Yさんがやってきました。
「お昼はダイエットのため、がまんする」っていうのを、「もう作ったから。」と無理やりオススメ。
だって食べるのを断るメールを、送信ボックスに置いたままだったっていうんだもの!
つくちゃったよ~食べてもらわなくっちゃ。
「では、いただきます。」Yさんよろしくお願いします。
そうこうするうち、Mさんが来ました。「遅れてごめ~ん!」今朝、小3の3男くんが発熱で病院通いだったのです。
まあ、なんとか間に合ってお昼ご飯。
練習が先か?ご飯が先か?いや、やっぱりおしゃべり。
大丈夫か?
コーヒー飲んで、お菓子を食べて、やっと練習。
ヘルマンハープと、アルトフルート、コンサートフルートで一曲吹いている間、MさんにYさんのドレスの準備をしてもらいました。
Yさんは、普段ドレスを着ないので、私のドレスと布を組合せてドレスをアレンジすることにしました。
先月まで自分でやる気でいました。
サロンのスタッフMさんは元美容師。先月話すまで忘れていました。美容師が着付けもすることを!
で、お願いしてアレンジしてもらうことにしました。
やったー!
二枚の布をつかって、丸めたり、結んだり、結束したり・・・。
これはお花が三つのアレンジ。
その間に私とTさんは、他にも新しくアレンジした曲を合わせたりしていると、髪もやってくれると言い出して、なので、うちのカーラーとか、髪飾り、ピンやゴムなどを使って、くるくる巻いたり、まとめたり素敵な巻き髪を作ってくれました。
当日も早く来て、手伝ってくれます。
後はMさんに子どもになってもらって、全体のリハーサル。
ベルを鳴らしてもらう時には、YさんMさん2人でこども役をしてもらいましたが、2人で、6個分担当してもらったら、Yさんがおすましのドレスで上げたりおろしたり、ばたばたしているのを見ながらフルートで旋律を吹いたら、おかしくって止まらなくなって笑って音が出せなくなってしまいました。
「ちゃんと、吹かんと、私がピアノ弾いて、指揮はKさんにしてもらうで。」とTさんに言われてしまいました。
はい、反省しています。
大体うまくいきましたが、声が聞こえにくいとMさんが言うので、マイクを借りることにしました。
夜になって、コミュニティのN・Yさんにメールで聞いてみたら、福祉委員会でもっているので、貸してくれることになりました。練習でも使えるみたい。よかった!
Mさん、夜になってこんなん付けてみたよ。とラインで送ってくれました。
きれい!さすがです。
今年もいろいろな人に助けられて、楽しいクリスマスコンサートができそうです。
水の音楽を集めて子どもたちに聴いてもらったことがあります。
子どもたちが親と別れ、船に乗って、川下りをします。
午後の日差しの中のほとんど動かない水の溜まり、ゆったりと大きく動く波の上。
やがて、小島にサーカス、ピエロや赤や黄色や青の旗。
小さな冒険。妖怪のように見える柳の枝。雷雨、激しい波。
夕暮れの中、親たちの呼ぶ声が聞こえて、ゆっくりと陸地へと帰る船。
ドビュッシーの小舟にて、ホフマンの舟歌、ライネッケのウンディーヌ、ギロックの小品。
フォーレのシシリエンヌ、宮城道雄の春の海
いろんな曲をつないで、ナレーションを入れてお話のイメージを膨らませました。
日本の小さな庭の池や川。
自然の山や滝を表現しています。そこに錦鯉を入れたら、ほら、なんにも無いより、なんだか水の流れが見えてきませんか?
水の音楽が聴こえてくる見たい。
賑やかに溜まったり、川の流れに向かって流れたり
流れに逆らって泳いだり、滝の流れの下の魚はこの水の音をもっと敏感に聴いています。
鯉になって、水の流れに身を任せたり、するりと抜けたり、
狭い世界で、鯉になって大きな自然を感じれば、石で作った人口の池や川に生命が宿る。
ほら、音楽が見えるでしょ。
フリードリヒ・ダニエル・ルドルフ・クーラウは1786年にユルツェンで生まれました。
11人兄弟の9番目。成長した息子3人、娘2人。貧乏の子だくさん。
7歳の時に転んで右目を失明。
1810年24歳の時にデンマークに偽名で旅行すると、そのまま亡命。コペンハーゲンで暮らしました。
なぜ亡命しなくてはいけなかったのか?
その年、ナポレオンがハンブルクを占拠しています。
ナポレオン侵攻による政情不安から、逃げること。
伯父のヨハン・ダニエルがコペンハーゲンで宮廷音楽家をしていたことからクーラウはコペンハーゲンに出国したのだと考えられます。
ただし、この叔父はその年に亡くなり、クーラウは一人でコペンハーゲンに足場を築くべく奮闘することになりました。
17歳で交響曲を書くなどして、ドイツでは作曲を認められ始めていましたが、その後10年ほどは、演奏をして、家族を養うことが主眼になり、思うように作曲はできなくなっていました。
1818年には、両親を呼び、妹の一人も呼び、クーラウは家族を養うために、宮廷楽士、指揮者、指導者、個人教師、注文を受けての作曲。
それでもまだ、食べるのに余裕がなく、何度も昇給を願い出ては拒否されています。
フルートはその頃流行りの楽器だったので、注文がたくさんあり、すぐお金になったので、クーラウはたくさんのフルート譜を書いています。
歴史や政治に翻弄された音楽家は多いですが、クーラウがドイツに留まっていたら、こんなにたくさんのフルートの曲を残せなかったかもしれません。
?年 3 DUO für 2 Fl op10a
1810年 12 Variations and Solos for Flute, Op.10b
1814年 3 Flute Trios, Op.13
1821年 3つのファンタジーfor Solo Flute, Op.38
1821年 3 DUOS für 2 Fl.op39
1823年 3 Fl. QUINTETTE op51
1823年 3 Grand Solos for Flute and Piano ad lib., Op.57
1825年 6つのディベルティスマンop68
1823年 3つのグランドソロop57
1824年 6つのヴァリエーション「オイリアンテ」op63
1825年 ソナタop64
1825年 ソナタop65
1825年 ソナタop69
1826年 ソナタop71
1826年 DUOS für 2 Fl op80
1826年 3 DUOS für 2 Fl op81
1826年 ソナタop83
1827年 SONATE in A Moll für Fl. und Kavier op85
1826-1827年 3 Flute Trios, Op.86
1828年 Flute Trio in B minor, Op.90
1829年 8つのヴァリエーション George Louis Onslow's 'For The Girls', Op.94
? 年 3つのファンタジーop95
1829年 前奏とロンド on 'Le Colporteur', Op.98a
1829年 8 VARIATIONEN für Fl. und Klavier über Onslow's "Le Colporteur op99
1830年 Introduction et variations brillantes, Op.101
1829年 13 DUOS für 2 Fl.op102
1829年 QUARTETT in E Moll für 4 Fl.op103
1829年 QUARTETT in E Moll für Fl. Vn. Va. Vc op103bis
1829年 5 Variations on a Scottish Folk Song, Op.104
1829年 7 Variations on an Irish Folksong, Op.105
1830年 3 Duos brillants, Op.110
1832年 TRIO in G Dur für 2 Fl. und KLAVIER op119
昨日の朝、近所のスーパーの駐車場に車を置いて、車を出たら、何か違和感!
よく見ると、車の右の後輪がおかしい。
ちょっと沈んでいます。
空気圧が減ったというより低い。これは?と思いながら、とりあえず子育てサロンがあったので、移動。
サロンが終わって、会議の終わりで「車がおかしいけど、まずいことになったかもしれない。」
サロンで使った荷物を自転車に乗せて、車まで、Mさん、Oさん、Y・Yさん、S・Yさんが来てくれました。
「やっぱり、これはまずいかも。」
「乗ってもいいの?動かさんほうがいいんと違う?」とOさん。
「車持ってないからどうしたらいいんかわからんわぁ。」
私もわからない。
「Yさんがいま通ったよ。聞いてみよう?Yさん、Yさん!」と通りかかったYさんを止めようとS・Yさんが走ってくれましたが、気づかれずに行ってしまいました。
「お父さんに電話してみたら?」Mさん
「台湾だから・・・。」
「JAFかなあ?」
「お金かからへんかな?」
「車屋さんに電話してみるわ。」
電話したら出ません。
「どうしよう?」
しばらくすると、車屋さんのTさんから電話がかかってきました。「JAFに電話してください。また何かわからないことがあったらお電話ください。」
親切です。
JAFに電話したら、「1時間後に着きます。」
「じゃ、うちに来る?3時には出てもらうけれど。」とOさん。
「じゃあ、私たちは用があるから行くね。」YYさんとSYさん。「付き合ってくれてありがとう。ごめんね。」
「Mさんはどうする?スーパーでお弁当かってOさんところで一緒に食べるけど。」
「いいよ~。一緒に行くわ。」
ということでJAF待ちランチ。
Oさん宅でお弁当を食べて、お茶を頂いていると、JAFから電話。
慌てて移動したら、もう車の横につけて作業をする状態になっていました。
「ありがとうございます。これなんですが」
「これは、ネジクギを踏んています。修理もできますが、ささった場所が悪いので、途中で破裂するかも、スペアータイヤをはかして、近くで修理された方がいいと思います。」
「スペアータイヤはありますか?}
「それが、あったと思ったのですが、無いみたい。」トランクの下と聞いて見たら無い。
「ちょっと開けてもらえますか?」
開けてみると、トランクの下のもう一つ下にタイヤが入っていました。そんなことも知らないなんて、ひどいな私。
で、JAFさんにパンクしたタイヤを外して見せてもらいました。
「ネジクギ!こんなの今時、落ちてるんですか?」
「普通に落ちてますよ。何件もあります。ほとんどこれです。」
知らなかった。Oさんは書道のおケイコがあるので、ここで帰って行きました。
「パンクしてから、走ってられますね。タイヤに筋があるので、これは変えたほうが良いと言われますねぇ。」
「いくらくらいですか?」「これはメーカーの純正のタイヤなので、2万円くらいはすると思います。」
ひえー!
「スペアーでは、走れないんですか?」
「大きさが違うので、そんなに走れないんですよ。近くの修理屋さんまで行って、付け替えてもらってください。」
そうだったのか!知らないことが多すぎます。
スペアーをつけていただきました。
Mさんは「この状況写メとっておこう!」
ということで、スペアータイヤの前、しょんぼり写真を記念に一枚。
「Mさんありがとう。」不安なときにそばにいてくれて助かりました。先に帰った3人もありがたかった!
で、近くのメーカーも定休日、タイヤ館に行ってみたら、やっぱり定休日。
本当に、ついていない1日です。
グーグルマップで検索したら、1号線沿いのオートバックスが開いていたので、ようやくそこまでいって、修理できました。
純正のものは無いので、同じメーカーのタイヤをしたら、工賃込で15000円ほどで、少しほっとしました。それでも出費です。がっかりしたし。疲れました。
タイヤ修理を待っている時にMさんからラインで、大丈夫?、そっちも着いていったらよかった。と聞いてくれて、うるうるしました。
夕方、ようやくうちについたら写メを送ってくれて、がんばれと励ましてくれたり、心がホッコリしました。
SYさんも、気落ちしないでね、とメールがきてありがたかった。
パンクは嫌だったけれど、このことがあって本当にいい友達がいて、支えられていることがわかってうれしかった。
ありがとう!めげずに、がんばります!
今日は子育てサロン。
OさんとIさんを車でひろい、会館前で荷物と二人を降ろして、近くのスーパーに駐車。
車から降りて後輪を見ると、「あれ?」タイヤが沈んでいるような・・・
『なんでもない、なんでもない。』心の中でつぶやいて、サロンに向かいました。
さて、今日はお天気が良いせいか子どもたちとお母さんたち元気にやってきてくれました。
私は北海道に行っていて先月休んでいたので、一ヶ月ぶりに参加です。
今日も、男性2人が長机や、椅子を出すのを手伝ってくれました。
電子ピアノもだして、パネルシアター。
先週練習したY・YさんとOさんが、子どもが来る前にリハーサルをするので、私もピアノを弾いてお手伝い。
「どんぐりころころ」と「こぶたぬきつねこ」
ピアノはええかげんにしか弾けませんので、ハ長調で、Ⅰ Ⅳ Ⅴの和音を使って刻むだけです。ほかに弾ける人がいないので、私のピアノで申し訳ないです。
演じていると、Tさん、Iさんが子どもになって見て、腕が邪魔にならない方がいいとか、いろいろアドバイスしてくれます。
すごいなぁと思うのは、直前の変更にY・YさんもOさんも柔軟に対応できること。
ちょっと予定していたこととは違うことになりました。
本番。ピアノの場所からはパネル上がどうなっているのかはわかりませんが、こどもたちは音楽に合わせて身体を動かしながら楽しそうに見てくれていました。
さて、パネルの後は、アレンジボックスの製作。
お母さんたちはテーブルに、子どもたちはマットの上でスタッフと自由に遊んでいます。
お母さんと一緒に椅子の上で木の実をさわって遊んでいる子どももいます。
マットの上で子どもと一緒に作っているお母さんもいます。
無理無理しないのが、サロン流です。
何度も来ている親子が増えていて、制作にもなれていて、遊んでいる子どもも多かった。
さて、20分ほどで出来上がり。どんなボックスができたかな?
同じ部品をセットしましたが、どれも個性が出ておもしろいでしょ。
ところで、スーパーに置いた車のタイヤはパンクしていました(^^;;
ネジクギが刺さっていました。どこで刺したのか全くわかりません。
土曜日に福山の次男の下宿に、届け物を持って行きました。
日曜日に、時間があったので、倉敷によって帰りました。
子どもに観光地を案内してもらうなんて初めてです。
久しぶりに会うと、たくましくなったもんだなぁと感心。
時間があまりなかったので、施設の中までは入りませんでしたが、美観地区の町並みや、お店をブラブラしてお昼ご飯を食べただけですが・・・。
倉敷は天領と言って、明治以降天皇の直営の領地で、全国にたくさんあります。
天領になる前は支配処、御料地、幕府領などと呼ばれる時の政権直轄地だったところで、倉敷は1600年から支配処だったということで、豊臣直轄地から始まっているそうです。
なので、ここはお代官様が支配されていました。
その代官所の一つがアイビースクエアの中にあります。
アイビースクエアは代官所跡に建てられた倉敷紡績の工場跡です。明治政府の基幹産業紡績工場が置かれたのも納得。
重厚なレンガ作りの建物の中では若手写真家たちの展覧会をやっていて、最後に気に入った写真家を投票するというものでした。
中に福島の避難された家族の方々の写真をずっととっている写真家がいて、私はその人に一票。
家族で肩を組んで、とってもいい笑顔でいらっしゃる姿が温かく、たくましく感じ、また傷ましくもあり。とても心に残りました。
倉敷川とその周りには、天領の時代からの街並みが保存されているだけでなく、住み、生活し、営業されています。
古い革袋に新しいお酒。
古いものを大事に使う文化が、この街を支えています。
今朝は牧野でレッスンの後、実家でレッスン。その後、父と夕飯を食べながら母を待ちます。
行ってみると京田辺の実家の庭には石蕗(ツワブキ)の花が満開でした。
しかも、居間には見慣れないテレビ。
長男が両親にプレゼントしたそうです。
生活必需品ではないけれど、1日ほとんどテレビの前に居る父にとってはありがたいプレゼントです。母にとっても壊れかけてついたりつかなかったりするテレビはストレスだったので、本当に助かりました。
私も息子の優しさがうれしかったです。親バカかな?
うちで作った椎茸を持って行ってホイル焼きにしてみました。
ホイルに椎茸二個と、かぼちゃのスライスと三度豆をのせて、バターを一片入れて包み、グリルに入れて、10分ほど焼き、あつあつのところをポン酢とスダチをしぼっていただきます。
メインのおかずは、タコとパプリカ、小松菜とミックスビーンズのオリーブ炒め。
スープはかぶら、人参、ほうれん草、セロリ、パプリカ、ピーマン、ソーセージ、昆布。
鮭のお刺身に水菜、大根、わかめのサラダ添え。新高梨。
おいしかった!父もぺろりと食べました。
ツワブキの花。
最近接写に凝っています。目が悪くなってきて、小さなものが見えにくくなってきましたが、拡大接写をすると、小さなものが見えてくるばかりか、今まで見えなかったものまで見えてきます。
雌しべのつぶつぶを雄しべのツルが華やかに取り囲んで、王冠のように見えます。
こんな繊細な花だとは思わなかった。
ツワブキは、葉がつやつやしていてツヤがある蕗。つやぶきから、つわぶきという名前になったといわれていますが、・・・葉を撮るのを忘れました。
しかも茎は食べられるそうです。キャラブキのように佃煮にするそうです。
でも、地下茎は有毒なので食べないでね。
今朝は枚方市の家庭教育支援事業の子育て応援・
親学習講座~みんなで「親学び・親育ち」してみませんか~
の保育をしました。
11月5日、12日、19日、26日の10時~正午まで、枚方中央図書館 6階会議室
子育て中の保護者対象 保育アリ 無料
1回参加でもOK。後3回、これからでもまだ申込いただけます。
問い合わせは枚方市教育委員会 社会教育課 050-7105-8065 まで
行ってみると、古い友達が一人。もう10年位前かな、枚方市のPTAをやっていた時の仲間が、大阪府の親学習の講習を受けて、もうひとりの友達とファシリテーターをやっていたのでした。
以前は私も、子育ては誰でもやっているから、誰でも出来る。と思っていましたが、実際に子育てをしてみると、うまくいったりいかなかったり。
母親のいいところや悪いところを見てきて、あれはやらないぞとか、これはやってもいいかなどと、頭の中で考えて、ディズニーのピーターパンの中に出てくるママみたいになると思って、いざやってみたら・・・。
なかなか食べない、なかなか寝ない、泣き止まない、着替えない、遅い、早い些細なことの積み重なりに寝不足や、疲労が重なってでイライラしたり、つい大きな声をだしてしまったり。
優しいママになるはずだったのに、なぜこんなことになってしまうんだろう?
そんな時に出会ったのが、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」
愛を学ばなければいけないものなんて誰も教えてくれなかった。愛は、観念だけれど、愛するということは、実際の言動であるということ。
愛を殴ることだとか、束縛することだとか、散々言われてきましたが、それはやはり愛するということではない。例えば、花を愛するといいながら、水をやらずに放置すれば、それはやはり花を愛しているとは言えない。
愛するには、相手をよく観察し、配慮し、相手が本当にやりたいことを見極め、それを伸ばせるように手伝うこと。決してすることを押し付けたり、いいことだからと言って思うままにしたりすることではない。
というようなことが書いてあって、栄養があるから食べなさいとか、元気になれるから外で遊びなさい、幼稚園に行くのは良いことだから行きなさい。
四六時中と命令語で思考している自分に気がついて、気がついたからと言って、命令語外の言葉さえ浮かばず。
食べようね、外で遊ぼうね、幼稚園行こうねとか、言葉だけ変えても、やっぱり心根は行かねばならない義務のように思っていました。
それを家で一人で変えようと思っても、自分の中の答えはやっぱり自分。
本や、講演会も、人のこととして聞いてしまうから、自分のケースで自分の言葉でやらないと、なかなか自分の身にはつかないものです。
子育ては、毎日状況や環境が変わっていきます。その真っ只中の自分に起きている出来事を,ほかの人に語ることによって、自分が陥っている子育ての思考や考え方に客観的な光が当たるのです。
このファシリテーターはその進行役をしてくれるものなのです。
子育てに正解はありませんが、人の話を聞いて、自分を語っていくうちに、完璧な親になるよりも、子どもを愛する、弱いところも、強いところもある人間的な親になりたい。と、思えたことで、子育てを少し余裕を持ってできたと思います。
楽しんだとも思います。
これから子育てをまだまだする親の方にも、ぜひおすすめしたいです。
後3回あります。それから、保育は私たちがやります。
今日は、今月子育てサロンでするアレンジボックスとパネルシアターの最終準備。
Oさん宅に10時集合。
Oさん、Y・Yさんの3人でやります。S・Yさんは来れるかもと言っていましたが、残念こられませんでした。忙しいからね。
しかし、26日,27日にMさんと2人で下準備していたので、今回はそう時間はかかりません。
それに、松ぼっくりや、メタセコイア、メープルの実は、昨年沸騰させたお湯で、50分煮て、天日で乾かし、スプレーペンキで色をつけていますし、小さなプレゼントボックスも昨年作ったものが残っています。
後は分けるだけ。
ボックスを座敷にズラッと並べ、100均で買ってきた赤い実や葉の枝を、ラジオペンチで小房に切り分け、銀のチェーンボールを30個ずつ、金色のビーズを10個ずつ。
そこに敷くアクリル綿少々と、背景の茶色のナプキンを一枚ずつ、小分けしたものを入れるアルミカップ一個、緑のモスを分けて、小さな実を、小分けビニール袋に入れて、箱の中にセットして出来上がり。
松ぼっくりや、メープルの自然の実たちは、種類ごとに山積みにして、テーブルの上に置いて、好きなものをとってもらうつもりです。
さて、みんな喜んでくれるかな?
作業の後は、OさんとY・Yさんが演じてくれるパネルシアターの練習です。
これも前に作ったんですよ。
「どんぐりころころ」は1921年「かはいい唱歌」に青木在義作詞、梁田貞作曲で掲載されました。
作曲年月はよくわかっていませんが、大体その頃だろうと言われいます。1903年には尋常小学校で使われていましたが、大きく広がったのは1947年戦後すぐに編纂された教科書に載ったことからです。著作権はもう切れています。
本来は2番までですが、実はいろいろなところで、4番までの歌詞が作られて演じられています。
なぜなら、この歌は最後が「泣いてはどじょうを困らせた」で終わっているからです。
このパネルシアターの絵も、最後はきのこと一緒に帰っていくどんぐりの姿で終わっています。
ただし歌詞は違っているので、3人で相談して作ることにしました。
「きのことかえっていった」という歌詞。ピアノを私が弾いて他のスタッフに歌を歌ってもらいます。
次は「こぶたぬきつねこ」これは、山本直純 作詞作曲。
こどもたちは大好きです。
歌いながら、ひっくり返すと、しっぽがブラブラゆれます。
頭と身体が離れて、顔だけこっち向いたり、体だけ後ろ向いたり。
OさんとY・Yさんが楽しく演じてくれます。
本番がとっても楽しみです。
この後、コミュニティのお手伝いをして、ポスター配りで校区を回りました。
10月21日夫あてに、ダンボールに入った荷物が届きました。
内容書きに、ナチュラルギフト。
「何?」
「ふんふん♪」と歌いいながら、夫が開けたら、
「なにこれ?なにこれ??」と聞いても答えない。夫は「ふん、ふん♪」と言いながら、シンクにもう一つの物体を持って行って水栓を押し上げました。
「これは・・・きのこ?」
「しめじ?なめこ?しいたけ?」すっと答えない。
ドームに入れてようやく。
「日陰に置いて、温度管理するだけで、しいたけが生えてくるんだ。いいだろ?」
「しかも、水もやらなくていいし、永遠にとれるんだ。」
ホントかい?流石に永遠はないだろう。
しかし、その日から、朝になったらガレージに出し、夜になったら玄関に入れと夫が世話を焼いていると、
10月27日、小さなきのこが。
私もちょっとかわいくなってきました。
そしたら、もう今日はこんな感じ。
「収穫しなくきゃ、いかん。」と夫。
神妙な顔しながら、ハサミを入れて
収穫しました。
裏っかわが感動的にきれい。
鍋に入れて食べました。
柔らかくてとろけるような食感!香りは、ちゃんとしいたけでした。
今まで育てた中で一番手のかからない植物?です。まだまだ楽しめそうです。