火曜日の朝は子育てサロン。
の妻エンマ バルダック
今日は、Y Y さん、SYさんがパネルシアターをしてくれました。
どんぐりころころのパネルをずっと以前に作っていましたが、一年にいい季節を選ぶと10月と11月くらいですが、10月の運動会は決まっているので今月しかありません。
歌いながらするだけではすぐに終わってしまうのですが、お話しと歌というふうにいい具合に膨らませてやってくれました。
子どもたちは繰り返しが大好きなのでどんぐりころころのお話し、喜んでくれていました。
最近入ってくれたSさんは、自作の絵本を読んでくれて、なかなか充実のサロンでした。
組曲「ドリー」はガブリエル フォーレがドビュッシー
の妻エンマ バルダック
の娘エレーヌ
が誕生した時に作った曲を中心にした組曲です。
1892年3歳のエレーヌに贈られています。
エンマ バルダックはユダヤ系の家庭に生まれ、銀行家のシジスモン バルダックと結婚。
ラウルとエレーヌという子どもを生みます。
フォーレとドビュッシーに求婚され、エンマは、シジスモンと別れます。
フォーレとの愛人関係を終えてから、長男ラウルがドビュッシーにピアノを
習います。
これが元でドビュッシーとエンマは愛人関係になり再婚します。
ドビュッシーの元妻が自殺未遂をしたり、紆余曲折ありましたが、エンマとドビュッシーの間にはその後、クロード エンマ(シュシュ)が生まれ、ドビュッシーは彼女を溺愛し、落ち着きます。
エンマの連れ子のエレーヌは、「ドリー」という愛称でフォーレにこの曲を贈られました。
第1曲『子守唄』はエレーヌ(愛称ドリー)を描写しています。
第2曲『ミアウー』は本来エレーヌが兄ラウルのことを「ムッシュー・ラウル Monsieur Raoull (ラウルお兄様)」と敬称を付けて言うはずが、幼い口で上手く言えずにメシュー・アウー Messieu Aoul!になってしまうことを描写した題名でした。
出版社の判断で猫の鳴き声に改められてしまいました。
フォーレは1883年画家の娘マリー フルミエと結婚。二人の男の子がいます。
1892年頃からエンマと浮名を流した後、作曲家のアディーラ マディソンと親密になり、1900年にはピアニストのマルグリット・アッセルマンとの出会い、これはフォーレが没するまで続く関係となっていきます。
彼はアッセルマンにパリのマンションを用意し、彼女は公然と彼の同伴者として行動しました。
マリーはこれを嫌がり、家に籠もり夫と行動をともにしませんでした。
二人の子どもたちは、生物学者、作家にそれぞれなり、活躍しました。
エレーヌはフォーレのこどもではないのか?という噂がありますが、決定的証拠はありません。