音楽の喜び フルートとともに

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愛するシュシュへ

2023-02-09 20:45:00 | 近代
お天気よかったです。
保育サポートのためのチャイルドカーシートを借りに枚方市ファミリーポートまでいきました。
軽いシートになって助かりました。

子育て中のお母さん、保護者のみなさん、いつでもたすけを呼んでもいいんですよ。
友だちと話したい、美容院に行きたい。でもいいのです。秘密は守ります。

預かり、相談(24時間)、送り迎えのサポートします。



連翹が、咲いていました。
車の中から小学校に向かってカメラを向けていたら不審者?

風は冷たいけれど、春のような陽気でした。

クロード ドビュッシー(1862年から1918年
フランス帝国サンジェルマン アン レー生まれ、フランス共和国パリ16区没


1908年に完成させた子どものためのピアノ組曲「子どもの領分」は43歳になって初めて授かった1人娘のクロード エマ(シュシュ)


に捧げられています。

若い頃は放蕩したドビュッシーもリリー テクシエ

と結婚し、子どもを得てようやく落ち着きました。

シュシュを溺愛していたそうです。

子どもの領分
第1曲 グラディウス アド パルナッスム博士

第2曲 象の子守歌

第3曲 人形へのセレナート゚

第4曲 雪は踊っている

第5曲 小さな羊飼い

第6曲 ゴリウォークのケークウェーク

第4曲の「雪は踊っている」




日本ひいき

2023-02-02 09:08:00 | ロマン派
苔テラリウム。
2月19日に学校でする子どもたちとコミュニティ向けの講習会の準備、試作です。

瓶に土(赤玉土、バーミキュライト、ピートモス)を入れて、水で湿らせます。

少しずつピンセットでつかみ、根を下にしてまとめて、土に刺します。

グラスサンドや、アクリルガラスを入れて

蓋をして出来上がり。
ヒバオイルを薄めた水でスプレーするとカビが生えにくいそうです。

お好みでフィギュアを入れたりします。
お手入れもなく、そのまま飾れます。
日差しが強いところに置くと乾燥してしまうので、半日陰で乾いたら水をやるくらいで持ちます。
蓋をしているとほぼ水をやらないでも半年は持つそうです。

簡単!楽しい講習会になりそうです。

苔は植物の一種ですが、藻類と菌類の共生体を含む総称だそうです。

地衣類…菌類のうちの藻類を共生させて自活できるようになったもの。の一部も苔と言われます。

苔は長く土を混ぜたりしないことで生育するので

「転石苔むさず」A rolling stone gathers no moss.
ということわざがあり、

イギリスでは
「腰を落ち着けて長く一つのことを続けないと成果は上がらない」と言う意味で、

アメリカでは
「活動を続けている人は古びない」という意味で使われます。

苔は日本庭園に欠かせないものですが、ヨーロッパには1867年パリ万国博覧会で紹介されました。

半年の会期中に1500万人が来場しました。
ナポレオン三世の勅令で計画されました。

各国からきた人を歓迎するナポレオン三世
ここに日本が初めて参加しました。江戸幕府薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出店しました。
この時薩摩藩の展示で

日本茶屋が紹介されました。
これにより日本趣味が広がりました。
日本庭園への憧れを受けてジョサイア・コンドル(1852-1920年)イギリス

が「日本庭園入門」を出版しました。

1893年「造家必携」日本で出版されました。


世界中に日本庭園の造園が流行りました。

彼は他にも日本の植物と人の関わりを描いた日本画を紹介しています。1891年「The Flowers of Japan」



この本はどれほど影響があったかどうかわかりませんが、きれいなので載せてみました。

万博がきっかけで各地で日本庭園が作られました。

カミーユ サン・サーンス(1835から19。21年)フランス王国パリ生まれ、フランス領アルジェリア アルジェ没

は、東洋趣味のある作曲家でしたが、1867年間パリ万国博覧会主催の作曲コンクールで優勝。

「プロメテの結婚」が受賞作して初演が行われる予定でしたが、
ロッシーニが「ナポレオン三世とその勇敢な臣民のための賛歌」を作曲し送り付け、そのためサン・サーンスの作品は上演されなくなってしまいました。

それでもサン・サーンスは万博と関わりがあり、日本の展示も目にしたようです。

オペラコミック座の監督のカミーユ デュ ロクル(1832〜1903年)と台本作者ルイ ガレ(1835〜1898年)はサン・サーンスの音楽で「黄色い姫君」という作品を創作しています

「黄色い姫君」は1872年初演。

雲龍打掛けの花魁 渓斎英泉

日本に熱をあげているコルネリスは部屋に貼っている浮世絵の美人画に憧れています。
ミン姫と名付けて現実にいる娘レナに目を向けません。

ゴッホ花魁模写
ある日、麻薬の入った薬を飲んだコルネリスは幻覚の作用で、目の前にいるレナをミン姫と間違い、愛を告白します。

レナは幻覚を見ていると気づき怒って出ていきますが、コルネリスはだんだん麻薬の作用がきれ、幸せは2次元の世界ではなく、目の前に存在していた。と気づきます。
レナを愛していることにも気づき、2人は和解し、愛しあうようになります。




イタリア交響楽団(ボルツァーノ トレント ハイドン楽団)コンサート

2023-02-01 09:11:00 | コンサート
昨夜はシンフォニーホールで
イタリア交響楽団(正式名称ボルツァーノ トレント ハイドン交響楽団)

のコンサートに行ってきました。



ヴィオラのKさんからのお誘いで、フルートのIさんと私の3人で。
今回は時間がなく夕食は無し、受付前で待ち合わせ。1回ど真ん中のいい場所に座れました。


指揮者はチョン・ミンさん。

一曲目はジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868年)教皇領ペーザロ生まれ、教皇領ボローニャ没

のオペラ「ブルスキーノ氏」序曲
1幕もののオペラ ファルサ(18、19世紀のヴェネツィアに関連した笑劇、多くはカーニバル時に上演されました)

1813年作曲。
21歳のロッシーニがサンモイゼ劇場のために1810年から3年間オペラを書きました。

ブルスキーノ氏はその中の1つ。
ソフィアとフロービルは恋人同士ですが、ソフィアの父とフロービルの父は昔から敵対していました。
フロービルの父が亡くなり、障壁は1つ無くなりましたが、ソフィアの保護者ガウデンツィオは先輩のブルスキーノ氏の息子と結婚させることを約束しています。

ソフィアとブルスキーノ氏(息子)は会ったことがありません。

ブルスキーノ氏はソフィアに会いに来る途中、居酒屋に立ち寄り飲み過ぎ、酒代を払えずに勾留されます。

機会をとらえてフロービルはブルスキーノ氏になりすまし、ソフィアと結婚できるようにガウデンツィオをだまします。

そこへブルスキーノ氏が到着し複雑な事態になりますが、結局はソフィアとフロービルが結婚できるようになります。

あまり演奏されないオペラですが、序曲はよく演奏されます。
途中で2ndヴァイオリンが楽譜たての脚を弓で「チンチンチン」と叩く、ユーモラスな音楽です。

今夜はティンパニに何かが起きたようですが、そういうアクシデントもものともせず楽しい演奏でした。

2曲目は

パク ジェホンさん
1999年生まれ23歳のピアニストで
ルートヴィヒ ヴァン ベートーベン(1770〜1827年)神聖ローマ帝国ケルン選定侯領ボン生まれ、オーストリア帝国ウィーン没

のピアノ協奏曲第3番ハ短調OP. 37

1796年ベートーベンはこのピアノ曲のスケッチを始めましたが、その3年後1803年4月5日アン デア ウィーン劇場で初演された時にはまだピアノパートが白紙でした。

ベートーベンは即興でその演奏会を乗り切りました。
1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」書いていますが、その後このピアノ独奏者を務めているので、この時点では耳の症状はそれほど深刻ではなかったと思われます。

パク ジェホンさんは若いですが力で押すようなピアニストではなく、繊細で深く考えられた構成を重視するピアニストで、難しいフレーズも丁寧に演奏されていました。
アンコールはシューマンの「アラベスク」

本当にまだ日本ではあまり知られていないようですが、これから人気になるだろうと思いました。

最後の曲はベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調op.55「英雄」
1804年に作曲されました。
「英雄」エロイカと呼ばれています。
ナポレオン ボナパルトを讃える曲として作曲されたと言われていますが、諸説あります。

弟子のフェルディナンド リースの回想の真偽。
ナポレオンが皇帝に即位したという知らせを聞いたベートーベンが「やつもまた俗物にすぎなかったか。これから人々の人権を踏みにじって、自分の野心のためだけに奔走し、誰よりも自分が優れていると誇示する暴君になるのだろう」と激怒し表紙を破り取ったとされます。
しかし、現存するベートーベンの楽譜の表紙は、破り取られておらず、真偽不明です。

第2楽章が英雄 の死と葬送が描かれていて、ナポレオンに対して失礼であるとあえて曲名を変更し、献呈を取りやめたという説もあります。

表紙には「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞をペンで書き消し、「シンフォニア エロイカ」と改題され、「ある英雄の思い出のために」と書き加えられています。


忖度したのか、幻滅したのか?

結局この曲は、ロブコヴィッツ公爵に献呈され、このときに立ち会った、プロイセンのルイ フェルディナンド王子が英雄ではないか?という説も出てきてますます謎に。

演奏は、オーケストラがどんどん歌う(歌いすぎる)ところを指揮者のチョン・ミンさんがキュッと引き締め、抑制の効いたスタイリッシュな演奏になっていて素晴らしかった!

アンコールはメンデルスゾーンのイタリア交響曲の第四楽章。
びっくり!
スピード感のある楽しい演奏でした。