京から江戸へと向かう旅人がここで初めて富士山を「見付けた」ことから、その名がついたと言う。律令制度時代には遠江(とおとうみ)国府が置かれた歴史の古い地。江戸時代に入ると見付は宿駅に制定され、幕府直轄の代官所が置かれた。
見付けは、徳川家康が御殿を築いた地でもある。宿場には、見付東木戸跡からほど近い場所に、学問の神様「見付天神社」や、現存する洋館建築の小学校で最も古い旧見付小学校がある
天竜川に架かる橋には歩道がなく、行き交う車の脇を歩くことになる。ここ三河は家康こと幼名竹千代のゆかりの地、1542年三河の国の小大名の子として生まれた。父は松平広忠、母は於大(おだい)の方。1616年、75歳で死去した。東照大権現の神号で呼ばれ日光東照宮に祀られる。
浜松宿まで16.4kmの長い道程である。
広重の絵は「見附・天竜川の図」である。天竜川の渡しを描いている。舟渡しはここ池田村から対岸の
中野町村まで川幅900米ほどの間。中洲
を挟んで小天竜と大天竜の二つ瀬を渡る。
航路は上・中・下の三つあった。
つの渡船があった。手前が見付側である。
12月の草花の実「冬珊瑚」
・ブラジル原産、明治中期に渡来。
・夏から冬にかけて鮮やかな色の丸い実を
いっぱいつけるので、その姿を珊瑚に見立て、
時期と合わせて「冬珊瑚」という名前に
なったとのこと。
実の色の遷移がおもしろく、
花を咲かせたあとで緑色の実になり、
それが順々に緑 → 黄 → 橙、に色づく。
いろんな段階の色の実が同居して、
緑色の実、黄色の実、橙色の実が
ほぼ同時に楽しめる。
・実はきれいだが毒があるらしく、
食用にはならない。
・寒さに強い。
(季節の花300より)