亀山は、宿場町でありながら亀山藩六万石の城下町である。二つの機能を併せ持つ宿場は、東海道の中でも珍しい存在であった。亀山のシンボル的存在となっている亀山城の多聞楼が城下町の面影を残している。亀山城は1590年秀吉の命で建てられた。
宿場の敷石にも亀山が誇る亀山城が描かれている。
亀山には江戸初期の剣術「心形刀流」が残っている。亀山宿の街並みは、昔ながらの店屋、家業の看板がそのまま残っている。ある店先には「ぬしや」とある。ぬしやとは、塗師屋で、塗師は漆細工や漆漆器製造の仕事をしていた。
関宿迄は5.8kmの道程である。
広重の絵は「亀山・雪晴」の図である。亀山城は天正15年(1587)に岡本下野守が建てたものであるが、しばしば城主を変え、延享元年(1744)以来、石川総慶六万石がその城主となった。城の景観や付近一帯の光景は本図のようではなく、広重の作図が働いている。雪の朝の清潔で、すがすがしい空気が画面からにじみでている
12月に咲いている花「ウインターコスモス」
北アメリカ地方原産。
・コスモスに似た花で、
秋冬、花屋さんでよく見かける。5弁花。
コスモスより遅れて、晩秋頃に咲きだす。
・色は黄色または、ほとんど白に近い黄色。
・別名 「ビデンス」 学名から。
(季節の花300より)