浜松は宿場であると同時に家康ゆかりの城下町でもある。
家康は戦国時代を生き抜いた武将で、一夫多妻でも艶福者であった。今分かっているだけでも、正室が二人、側室が17人、その女性たちに男の子が16人、女の子が5人を産ませた。まさに「英雄色を好む」である。
江戸時代中期に興った織物業は明治以降も発展を続けて楽器製造などにつながり、近代工業発展の先駆けとなった。浜松城は家康の人生にちなんで「出世城」と呼ばれた。
舞阪宿までの街道はひたすら長い一本道で、宿手前には、700Mも続く東海道で一、二を争うと言う松並木がある。街道を行く旅人を、夏の暑さや冬の強風から守るため幕命によって植えられた。また潮風から田畑や家を守る防砂林や防風林の役目も果たしている。
途中に浪小僧の像がある。浜名湖を望む舞阪宿までは10.8KMの道程である。
広重の絵は「浜松・冬枯れノ図」である。焚き火をしながら暖をとっている雲助たちとその火をかりてタバコを吸っている旅人たちが描かれ、正面に浜松城その右手前にざざんざの松がある
冬に実をつける「風船唐綿」
南アフリカ原産。
・とげとげをもつ丸い実の形が
なんともユニーク。
とげとげ部分は痛くない。
秋の実です。
・晩秋になると、実がカパッと割れ、
中から綿毛とタネが出てくる。
おもしろい♪
(季節の花300より)