白須賀は、白い砂州の上に開けた集落という意味である。宿は当時、海辺にあったが1707年の大津波で壊滅的な被害を受け、現在の位置に移転した。
町中を歩くと格子戸のある民家や間口の狭い家並みなど、いろんな所に旧屋号が掲げられる、江戸時代の面影を残る小さな町である。。白須賀宿を出ると県境の境川に架かる境橋を渡るとすぐ愛知県に入る。
白須賀は昔から西風が強くよく火災が起きたと言う。この海道は花畑ののどかな道であったが、愛知県に入ると国道が続く。東海道本線を越えるよ二川宿の街並みを歩く。ここは格調高い本陣、山内一豊の常宿、旧本陣馬場家が残り資料館となっている。
ご存じ葵のご紋、テレビの水戸黄門での名台詞「頭が高い、この葵の紋所が目にはいらぬか」の「三つ葉葵」の紋は徳川家の家紋である。この家紋を使いだしたのは幕府が開かれてから。将軍家と一門だけに使用を許可し、権力の象徴としたことは周知のこと。
二川宿までは5.7kmの道程である。
広重の絵は「白須賀・汐見坂ノ図」である。
白須賀宿は高師山から汐見坂に続く丘陵 地帯にあり、汐見坂は曲折長大な坂で、坂上は下りの旅人が初めて富士山を遠望する所として名高く、駿河に近付いたことを実感する。また眼下には東西七十五里の遠州灘が広がる。図は江戸に向かう大名行列を描き浜辺には漁師の網干しが点々と見える
冬に実をつける「黒鉄もち」の実
葉は革質で光沢あり。
・冬に赤いきれいな実をつける。
・「黒金黐」とも書く。
・「黐の木(もちのき)」に比べて
葉っぱが黒っぽいところから
「黒鉄黐」の名がついた。
なんで「黒」でなくて「黒鉄」なのかは
ちょっとわかりません。
(なんか、強そうな名前・・)
(季節の花300より)