岡崎宿は、家康生誕の城下町である。敵の侵入を防ぐため、複雑に東海道を曲げた「岡崎二十七曲」と呼ばれる道が今もなお残っている。宿の西のはずれの矢作橋は、広重の絵にも描かれているように、東海道で最長の木橋である。江戸時代は今より100mも長かったらしい。
橋を渡り、国道から分かれるあたりから西三河の田園地帯が始まる。一面麦畑である。途中永安寺の「雲竜の松」を見る。
知立宿に入る手前に来迎寺一里塚がある。知立の待つ並木は500mあるが、昔は1kmあったそうだ。
知立には名物のあんまきがある。鉄板で小麦粉の生地を焼き、あんを巻く。
知立宿本陣跡迄は14.9kmの道程である。
広重の絵は「岡崎・矢作ノ橋」の図である。矢作橋は長さ208間で、当時としては日本一の長大橋。シーボルトの紀行に精細な写生図がある。 日吉丸と小六の出会いの橋で、橋の向こうは岡崎城
初冬の「楓と紅葉」
秋の紅葉(こうよう)がすばらしい。
・300種もの園芸品種が江戸時代から作り出されている。
・楓(かえで)と紅葉(もみじ)は植物分類上は同じだが、
楓のなかで特に紅葉の美しい種類を「もみじ」と呼ぶ説が
ある。また、盆栽や造園業の世界では、葉の切れ込みの数、
切れ込み具合によって両者を呼び分けているらしい。
(例)【造園】かえで → 葉の切れ込み(谷)が浅い
もみじ → 葉の切れ込み(谷)が深い
英語では「かえで」「もみじ」とも「メープル」と呼び、
カナダ産の「かえで」の樹液からとったものに
「メープルシロップ」がある。
・楓科の代表種はイロハ紅葉(もみじ)。写真もイロハ紅葉。
・楓(かえで)の語源は「蛙手(かえるで)」から転じた。
水かきのように切れ込みの浅い葉のものを楓という。
紅葉(もみじ)の語源は、
秋に赤や黄に変わる様子を昔、「紅葉づ(もみづ)」
といったことにもとづく。
(色が揉み出ず(もみいず)、からきたとの説も)。
切れ込みの深い楓を紅葉(もみじ)という。
なお、「イロハ紅葉」の名は、掌状に5~7裂する葉の先を
「いろはにほへと」と数えたことから。
(季節の花300より)