日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

子供の頃、泣き虫だったせいか、老人になっても泣き虫

2024年09月16日 | 社会

涙腺がゆるいのでしょう。父が私を叱ると、私はすぐ泣きました。心の中で強くなりたいとの思いが強く、武術に関心をもっていました。父も私が武術を習うことを応援してくれました。

父がくれた竹刀は、竹刀がばらばらになるまで振り回していました。当時は、叩き続けていたと思います。

社会人になってしばらく武術に関心を持たなくなりましたが、結婚して、会社の社宅に住んでいたところ、夜な夜な、何者かが玄関のドアの外にきて変な音を出すので、悪人がいるのではないかと思い、用心のために木刀を買いました。そして家の中で木刀を振り回す練習を続けました。狭い空間で木刀をはやく動かす練習を続けました。最近もYouTubeを見て、狭い空間で高速で木剣を扱う方法を学んでいます。

今は泥棒、強盗がこわいからと言うより、木刀を扱い慣れしてしまったからです。

この木刀は、傷がまったくありません。空気を切るだけで叩いたことはありません。狭い空間で、ものに当てず、高速で振り回す練習をやってきたからです。木刀は今も自分の部屋の片隅に立ててあり、すぐ取れるようにしています。

幸い、泥棒、強盗が来たことがなく、木刀の出番はありません。

昔、日限山4丁目に木刀を持って散歩している人がいました。ちょっとやりすぎではないかと思いました。愛想が悪い人で、威張って歩いていたので挨拶はしませんでした。もちろん手合わせをしてみたいなどと思ったことはありません。

孫の1人が剣道をやっています。私の木剣が孫に伝わるといいとときどき思います。

ところで泣き虫ですが、武術を習っても、老人になっても治りません。父を思い出すと泣き、母を思い出すと泣き、亡き友人を思い出すと泣き、映画演劇を見ても泣き、音楽を聴いても泣きます。感動するとすぐ泣きます。町で親しくしていた人が亡くなったとき、弔問に行きましたが、門に入る前から涙がこみあげ、泣き続けていました。

孫たちが、「おじいちゃん、また泣いている」とからかいます。涙腺が相変わらずゆるいのでしょう。武術・武道では治りません。


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