記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

存在感

2009年08月23日 21時01分51秒 | Weblog
昨日の美の巨人の前川國男さん。
20世紀の巨人、ル・コルビジェの日本人最初の弟子だという。
「もしも建築が芸術であるならば、建築家というのは骨身を砕いて存在感を求め続ける人間のことだ。そこに多くの人たちとのコミュニケーションがある」
と彼は言っている。
何も建築家に限ったことではない。
人は多かれ少なかれ、自分の存在感、ひいては存在価値を無視して生きられる生き物ではないのだ。
そしてそれは死ぬまで続く。芸術家なら尚更のことである。
この世を去ってもなお、自分の存在感を絶やさずいられる事は、芸術家として本望だ。私もそうありたい。

存在感と言えば大学生の頃、姉と三色うどんの美味しいうどんやさんでのこと。(ここのモツ煮がおいしかった!)
注文をとりに来たお店のおばさんは姉の注文をとると私の方を見ることなしに立ち去ろうとした。冗談かと思ったが、本当に行ってしまいそうなのであわてて呼び止めた。私も頼みたいんだけど。思わず姉と目をみあわせた。(断っておくが、姉は一人分の量しか頼んでいない)
私が見えなかったのかな。実に不安になった。
ほかにもある。駅で切符を買おうと画面にタッチしても全く反応してくれない時期があった。銀行も同じ。仕舞には「画面にタッチしてください」と言われる始末。仕方なく違う機種に移ったりしたものだ。そして自動ドアまでほかの人が立つと開くのに私が立つと微動だにしない。あれはなんだったんだろう。私の存在感が薄かったのだろうか。マイケル・J・フォックスが主演したバックトゥーザフューチャーIみたく、未来の写真の自分の姿が透明に近かったかもしれない。

番組で紹介された前川國男さんの建築を見たくなった。ヨーロッパの師匠と、母国日本独特の感性の持ち主とのコラボを見に。
それは武蔵小金井、東京たてもの園にある。建築に興味ある人は、是非訪ねてみて。


fine ART photographer Masumi
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洗濯物干し

2009年08月23日 02時30分37秒 | Weblog
いま、この真夜中にベランダにでて洗濯物を干していたら不思議な光景を見た。
遠くにありる高層ビルの上に物置みたいなものが浮かんでいる。目を疑ったが、確かに浮いている。記録に残さなければと思い、コンパクトのデジカメのシャッター速度をスロー(一秒まで設定できた)にして実際の状態をたしかめた。
残念ながら浮いてはいなかった。ちょっとガッカリ。高層ビルの屋上にある小さな建物を壊しているようだ。手前には細い腕を最大級まで?延ばしたクレーン車がいた。
コンタクトをすでに外してしまったのでメガネをかけて再びベランダに出てみたが、詳細はつかめない。
しかしこんな真夜中に危ないだろうに。視界も悪いし。余計な心配をしながら、ふとビルから視線を外し真下を見るとこんな夜中にツナギらしき格好で帽子を被ったおじさんが歩いている。突き当たりの一軒家の前で立ち止まると、ポストに折り畳んだものをいれた。新聞配達だ。早い何新聞だろうか。感心して再びビルに目を向けると黒い小さな平べったいものが飛んでいるのが目に止まった。おそらくコウモリだろう。コウモリなんてドラキュラの映画の中でしか見られないと思っていたけど、意外と身近な動物なのだと大学生の時に知った。夕方になると大学最寄りの駅のバスターミナルで旋回するコウモリの集団を見たのだ。はじめは気持ち悪かったが見馴れてしまった。きっと子供の時からコウモリは身近にいたんだろう。わたしが雀と勘違いしていたんだと思う。にしても週末の真夜中、働いている人は少なくないんだ。おつかれさんでーす


fine ART photographer Masumi
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だまっているということ

2009年08月23日 02時13分15秒 | Weblog
秘密の話ではない。
人は喋っていないとき、頭のなかを空っぽにすることは出来るのだろうか?
わたしはできない。常に何かを考えている。そして声には出さないが、絶えず話をしている。これも独り言というのだろうか?少しくらい無の状態でいたいのだが、できない。できたと思うのは寝ている時だけだろう。但し夢を見ている時は無の状態とは言えない。
夢の中でも自我は存在するのだと私は信じている。
子供の頃、よく高いところから落ちる夢を何度も見た。何かに追われて追い詰められた先が断崖絶壁飛ぶっきゃない。そして地面にぶつかる瞬間にいつも目が覚めた。目覚めた時に、どうせ夢なんだから落ちても痛みはないはずと言い聞かせ、こんどは着地までしてみようと思いたった。デキタまるでスローモーションのアニメみたいにフワリとからだが浮き、ゆっくりと落ちていく。浮いた感覚はジェットコースターで浮くのと似ていた。その時私は、やっぱり夢だから平気なんだとつぶやいていた。そしてまるでパラシュートを付けたように無事に着地していた。
大人になってからは全く見なくなってしまった。久しぶりにあの感覚を味わいたい

ところでどなたか完全に無の状態になれる方法知りませんか?ブッダの悟りを見習うべきですか?


fine ART photographer Masumi
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