昨日の美の巨人の前川國男さん。
20世紀の巨人、ル・コルビジェの日本人最初の弟子だという。
「もしも建築が芸術であるならば、建築家というのは骨身を砕いて存在感を求め続ける人間のことだ。そこに多くの人たちとのコミュニケーションがある」
と彼は言っている。
何も建築家に限ったことではない。
人は多かれ少なかれ、自分の存在感、ひいては存在価値を無視して生きられる生き物ではないのだ。
そしてそれは死ぬまで続く。芸術家なら尚更のことである。
この世を去ってもなお、自分の存在感を絶やさずいられる事は、芸術家として本望だ。私もそうありたい。
存在感と言えば大学生の頃、姉と三色うどんの美味しいうどんやさんでのこと。(ここのモツ煮がおいしかった!)
注文をとりに来たお店のおばさんは姉の注文をとると私の方を見ることなしに立ち去ろうとした。冗談かと思ったが、本当に行ってしまいそうなのであわてて呼び止めた。私も頼みたいんだけど。思わず姉と目をみあわせた。(断っておくが、姉は一人分の量しか頼んでいない)
私が見えなかったのかな。実に不安になった。
ほかにもある。駅で切符を買おうと画面にタッチしても全く反応してくれない時期があった。銀行も同じ。仕舞には「画面にタッチしてください」と言われる始末。仕方なく違う機種に移ったりしたものだ。そして自動ドアまでほかの人が立つと開くのに私が立つと微動だにしない。あれはなんだったんだろう。私の存在感が薄かったのだろうか。マイケル・J・フォックスが主演したバックトゥーザフューチャーIみたく、未来の写真の自分の姿が透明に近かったかもしれない。
番組で紹介された前川國男さんの建築を見たくなった。ヨーロッパの師匠と、母国日本独特の感性の持ち主とのコラボを見に。
それは武蔵小金井、東京たてもの園にある。建築に興味ある人は、是非訪ねてみて。
fine ART photographer Masumi
20世紀の巨人、ル・コルビジェの日本人最初の弟子だという。
「もしも建築が芸術であるならば、建築家というのは骨身を砕いて存在感を求め続ける人間のことだ。そこに多くの人たちとのコミュニケーションがある」
と彼は言っている。
何も建築家に限ったことではない。
人は多かれ少なかれ、自分の存在感、ひいては存在価値を無視して生きられる生き物ではないのだ。
そしてそれは死ぬまで続く。芸術家なら尚更のことである。
この世を去ってもなお、自分の存在感を絶やさずいられる事は、芸術家として本望だ。私もそうありたい。
存在感と言えば大学生の頃、姉と三色うどんの美味しいうどんやさんでのこと。(ここのモツ煮がおいしかった!)
注文をとりに来たお店のおばさんは姉の注文をとると私の方を見ることなしに立ち去ろうとした。冗談かと思ったが、本当に行ってしまいそうなのであわてて呼び止めた。私も頼みたいんだけど。思わず姉と目をみあわせた。(断っておくが、姉は一人分の量しか頼んでいない)
私が見えなかったのかな。実に不安になった。
ほかにもある。駅で切符を買おうと画面にタッチしても全く反応してくれない時期があった。銀行も同じ。仕舞には「画面にタッチしてください」と言われる始末。仕方なく違う機種に移ったりしたものだ。そして自動ドアまでほかの人が立つと開くのに私が立つと微動だにしない。あれはなんだったんだろう。私の存在感が薄かったのだろうか。マイケル・J・フォックスが主演したバックトゥーザフューチャーIみたく、未来の写真の自分の姿が透明に近かったかもしれない。
番組で紹介された前川國男さんの建築を見たくなった。ヨーロッパの師匠と、母国日本独特の感性の持ち主とのコラボを見に。
それは武蔵小金井、東京たてもの園にある。建築に興味ある人は、是非訪ねてみて。
fine ART photographer Masumi