記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

タッセルに夢中 !!

2013年05月05日 21時59分35秒 | Weblog

名前を知らなかったけど、たまに見ると釘付けになっていた

昨日の朝に見たテレビで職場のそばにタッセル専門店があることを知り、早速訪ねた
銀座並木通り沿いのLa Tapissiere

タッセルというと、マリーアントワネットの時代、ロココ調様式に出てくる気がする。
天井の高い部屋にゴージャスな刺繍が施されたカーテンが掛けられている。ゆったりとしたカーブを作るのはコロンとした美しい色合いのタッセル。見てるだけでうっとり。
日本の建築では天井が低いからこんなに長いカーテンは見たことがない。そもそも障子の文化だからタッセルの必要性はなかったね

日本でタッセル様のものと言うと掛軸の下に掛ける風鎮だと店員さんが教えてくれた。
掛軸が風で揺れないようしたり、掛軸のシワを取る為のものだが、実に良く似ている。
ネットで調べてみたら、八女提灯に付けたのが始まりのお店を発見
まだまだ知らない日本の文化がある事を実感
今朝TVで特集していた出雲大社の注連縄(しめ縄)にも似ている気がする

使い方による西洋と東洋の文化の違いはあるが、似たデザインのものが存在するって不思議だね。
今は、本来の使い方にとらわれずアクセサリーも作られている
伝統ある物を違ったカタチで守り続けて行く事ってステキ



1Fはお箸やさんです。お店の中にある階段を下りて行くとたくさんの色鮮やかなタッセルに出逢えます

この赤い壁もテンションをあげてくれます
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個性を伸ばす。

2013年05月05日 21時56分26秒 | Weblog
みんな一緒、右に倣えの日本独特の考え方には、辟易してしまう
これ、子供の頃から感じていた。

例えば、小中学校の体操服、水着、帽子などなど、挙げたらキリがない。
みんなが同じものを持つことで生まれる統一感の裏に生じる差別を無視している。
家庭の経済状況から揃えられない場合だってある。
だから、ひとりでも違うものを持っているだけで目立つのだ。
教師も親も子供たちがそれぞれ違う事を黙っていられない。自分の子供が違う事を極度に恐れる。
いじめを生んでるのは子供じゃなくそういう考え方に固執する親や教師なんじゃないだろうか?
「みんな違ってそみんないい。」と言う金子みすゞさんの言葉を全否定する事態だ

たまたまフランス文化の本を読んでいるからフランス贔屓になるけど、わざわざ一斉に同じ物を持つ必要性はないと思う。余計な出費だ。あるもので代用できるならそれで充分じゃないか。フランスの義務教育は完全に無料。教科書はセコハンと言って、代々使われてきたハードカバーの教科書を使う。10年も前の教科書ってなんかわくわくする。誰かが書いた落書きをたどる楽しさがあるからだ。
と同時に物を大切にする心が自然と育って行く。

私は子どもの頃からひぬくれものだったから、みんなと同じであることを強制されることが苦痛だった
団体行動もしかり。
こう言うととてつもなく厄介な子どもと思うかも。
確かに高学年になると、担任以外の先生からも「個性的だね」と言われることが多くなった。


「個性的」。なんて素晴らしい響きだろう。40人近いクラスの中で、あたりさわりなく、埋もれてしまう生徒なんてつまらない。「出る杭」多いに賛成

今日はこどもの日。
わがままとは違って、個性的な子供たちが生きやすい社会であって欲しいと願う。

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