まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

TV ドキュメント72時間 

2024-01-31 09:08:16 | TV

この頃リアルタイムでテレビを観ないなあと思う。
明るいうちは夫が独占しているから、昼食夕食時はしかたなく一緒に観ているけど、
夜になれば、私はひとり録画しておいた番組をうとうとしながら見る。
録画しておけば、観たいときに繰り返し観られるし、途中停止もOKだからね。
そんなこんなでTV鑑賞はほぼ夜に録画で。

でもでも大相撲は、いくら何でも録画というわけにいかないからリアルで。
それも5時を過ぎて。

 何日目かしら、霧島対北勝富士の対戦、贔屓の行司木村容堂さんが対戦中にぶつかって
ひっくり返ったときにはびっくり。行司さんがひっくり返るなんて初めて見たわ。
そしてそして、ごめんなさい容堂さん、笑ってしまったの、もうおかしくて。
すぐに烏帽子をかぶり直し、草履をはいたお姿に、先ずはそこかって突っ込んだりして。
ま、そうしている間に勝負はつかなかったから事なきを得たけれど。まあ珍事よね。

もう一人行司木村庄太郎さん。
濃紺の装束に神奈川県の金色のマークが入っていたから、えっ?!と驚いて。
初めて拝見したからね、鶴見区出身だそうな。容堂さんの前に捌いているからそれからは
気を付けて見るようになったわ。

絶対に見逃さないようにしている大好きな番組が『ドキュメント72時間』もちろん録画。
1月5日放送は「別府”貸間”の人生物語」
別府にある“貸間”と呼ばれる宿を訪れる人たちの人生物語を聞いていく。
印象残った人たち、3組。

病気療養に訪れた50代のご夫婦。
奥様はもう手術はできないということで、抗がん剤を使用しながら温泉療養を。
湯めぐりもしてきたけれど、貸間で落ち着いて過ごすのが今は一番いいんですって。
奥様は「日常の生活がいい、特別なことはいらない」とおっしゃる。
ふたりで過ごす時間を大切に、一緒にいられる限り、なんて。

優しいご主人との淡々とした穏やかな会話が、かえって胸を締め付けられる。

60代前半の男性3人組は賑やか。中学校の同級生ですって。
おひとりの方が突然の心筋梗塞で、彼方に逝くところを助かったそうな。
風呂に入りながら「男3人というのが解せないなあ」と言っているから笑っちゃう。
でもでも湯につかりながら助かった男性が言うの。
「幸せ」って「今日を合わせて幸せ」って。深い言葉だ。
画面は外の景色、そこに「やっぱりいいな、男3人で入っていって」の声が。うふふ。

そして、まるで自宅のように生活感あふれている男性のお部屋。
「ついつい長逗留しました」ですって。99歳の男性、もう3年もこちらの貸間に。
老後を過ごすには快適な場所とおっしゃるの。
そうだろうな、私も自立していれば施設ではなくて貸間もいいかもしれない、と、
ちらっと思ったわ。頼めば食事も出してくれて、日課の温泉巡りをして日々を過ごす。
すべては自由、自分の気の向くまま、でも孤独に耐えて。
100歳まであと数日、お肌はつやつや足腰しっかりしていたけれど、ちょいお顔がさびしそうに
感じたのは、私の気のせいね。

この回、年末いつも選んでいるベストテンに入れよう。
あれあれ「NHKアカデミア」も書くつもりだったのに、すっかり長くなってしまったのでまたいつか。

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ヒューマニエンス 40億年のたくらみ ”整理整頓” それはヒトの本能なのか

2023-12-28 09:09:03 | TV

さてと、長い間ほったらかしておいた下書き。いい加減何とかしなくちゃと。
私が興味を持った部分を羅列しただけで、大雑把すぎるくらい大雑把にで
申し訳ないと思いつついちおうの区切りで。
8月8日放送、その後の再放送から。
「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ ”整理整頓” それはヒトの本能なのか」
初めて観る番組で難しそうだなと敬遠してたがタイトルが”整理整頓”とくれば
整理好きの私としては見ておきたい、とそういうわけで、ね。
科学番組?だろうから研究の観点から項立てて話は進んでいくが、

〇整理整頓と脳の関係  思考の礎
ワーキングメモリが 脳の中の整理整頓を行うんですって。 
だけど私にとっては難しすぎるので省略。
〇生命の中に潜む整理整頓
細胞の中でも整理整頓が行われているそうだ。この話も私にとっては難しいので省略。

興味深かった個所を

〇十人十色の整理整頓

元新聞記者だった稲垣さんのお部屋。見事に何もない。
収納0の部屋を借りたから、自ずと物を整理したらこれだけの生活になったそうな。
冷暖房器具なしカーテンもないから陽の光は貴重どと。

 

で、番組は学者の研究室を見せてもらってクイズを出す。
「その部屋にある1冊の本を見つけてください」と。

 京都大学の松岡さんの研究室。
この乱雑な部屋からスタッフの言った本を14秒で見つける

松岡さんにとって整理整頓は「自分にとって居心地のいい配置」だそう。

 国立歴史民族博物館の松木さん。
本であふれた研究室からやはり14秒で指定された書物を見つけてきた。

松木流整理整頓 「部屋は私の脳の繫栄だ」そう。

 大阪大学の近藤さん 
本も少なく整理整頓されている。がスタッフの指定した書類は見つけられずギブアップ。
その書類の内容は本に書かれているから必要なかったんですって。そうすると忘れる。

近藤流整理整頓は 「必要なものだけ身近に」

整理整頓はまさに生き様を反映させているって。そう言われるとね、ちょっとと思ってしまう。

で「整理整頓」というが「整理」と「整頓」少し意味合いが違うと。

整理整頓はいつから始まったか
〇定住とともに始まった
旧石器時代は狩猟生活であちらこちら移動していくから、現代ほど整理整頓の認識は
なかった。それがおよそ1万年前 農耕と定住の生活になってくると整理整頓が始まったと。
集団が形成されると、社会のメンバーが共有し、生活世界の秩序を作る意味での整理整頓が
絶対に必要になってくる、って納得できるわ。
稲垣さんの言う 定住→所有の秩序→ルール→整理整頓 となるわけね

〇整理整頓が難しい理由

片付けようとするものには大切な思い出が結びついている。
物の片づけとは心の整理、いちばん執着しているのは私に執着しているから、
何処かで手放すプロセスが「片付ける」という心理学的な意味としてある。

私があまり躊躇なくものを捨てることができるのは、過去の思い出が薄いからかしらね。

整理整頓と脳の使い方の関係を見ると、
過集中しないと整理整頓は本来できにくく、脳全体が活性化した状態を作り出さない
と整理整頓はしにくいそうだ。

空間の状況を把握ーいるいらないの判断-筋肉に命令ー一時記憶
脳のあらゆる場所を使うのが整理整頓。

そのように言われると、普段何気なくしている整理整頓ってずいぶん頭使うのね。

で、話は
〇整理整頓を放棄していい時代 に移って。

スマホとかパソコンとか外部記憶でいいよ、となると整理整頓しなくていい、
整理整頓を放棄する時代がスタートしたんじゃないか、と。

私はすぐに「おもいでばこ」が浮かんだ。
保存した写真・動画は「おもいでばこ」が自動整理。保存や整理に悩みません
という「おもいでばこ」
今までパソコンに写真・動画を保存してきた方も簡単に「おもいでばこ」へ。
といううたい文句の「おもいでばこ」
実際使っている方はその便利さを強調する。両親の紙のアルバムがたまって
整理や処分に困る、なんてことはなくなるのね。

外部記憶装置で膨大なメモリを獲得できれば、人間の限りある中で整理整頓しない
と生きていけなかった時代から外部記憶装置でよければ整理しなくて済む時代へと。
ともかくコンピューターに入れてしまえば整理整頓の必要がなく、必要に応じて
取り出せばよい。

私が生きている時代は、まだまだ整理整頓に明け暮れる時代でいいわ。

織田さんは言う。

「ごちゃごちゃに見えるかもしれないが、自分の中では全部把握している。
何が必要で何が不必要なのかを日々問われているのが整理」

稲垣さんは言う。
「過去の自分に1回区切るをつけて、将来自分がどうしたいかというのを
選び取る第一歩が整理整頓」

そうね、確かに藤井アナの言うまさに「人それぞれの生き方の選択」ね。
ともかく面白い番組でした。

 

 

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その場所を飛び出して

2023-09-28 08:58:41 | TV

 昨夕

日曜の夜は、スマホアプリのradikoで『ShinTsuyo POWER SPLASH』を聴いている。
草彅剛さんと香取慎吾君がパーソナリティーを務めるラジオ番組ね。
1995年開始というからもう長いのよ、私もそこらあたりからそこそこ長く聴いているの。
いやいや20代SMAP時代のキラキラしているときだったからね。話がお笑いもので爆笑。

先週だったかしら、剛君が、
「俺今が一番頭がよくなった。台本もすぐ覚えられるし、受け答えもしっかりしているし」
なんて言い出すから、慎吾君じゃないが私もえっ?と笑ってしまった。
そうよ、40代あたりまでの剛君は即興の類はひどくてハラハラドキドキもんだったわ。
何言いだすか分からない、聞かれていることへの答えは全然かみ合あわないし。
観ている私は愚息を持つ親の心境だったね。
今はこんなたわいもない話で二人は盛り上がっているが、J事務所を飛び出した当初は
それはそれはひどかった、声が暗かった。番組中に何度も「何話そうか」なんて。
「ぷっすま」はじめ、TVのレギュラー番組やCMなんかほぼ全部なくなっていたからね。
仕事の話なんかとてもできなかったのだろう。

 

そんな逆風吹き荒れていた中でも続けてくれたbayfm。だけど。
番組の中でもSMAPのスの字も口に出さないし、中居木村の名前ももちろん言わない。
第一、SMAP時代の曲がかからない。曲名だってあの歌、あの歌詞で通しているからね。
いかに事務所の圧力が強かったことか。

それでも「新しい地図」として活動をはじめ、AbemaTVやYouTubeで活路を見出して。
チケットの神様がいたおかげで観劇できた草彅さんの舞台『バリーターク』

 (ネット拝借)

男二人が壁に囲まれた部屋で同じことを毎日繰り返す、それはそれで居心地がいいのだが。
ついに男一人がその部屋を飛び出そうとする。
「向こうに違う世界があると分かっていてなぜ飛び出さない」(そんな意味)
もう当時の剛君とぴったり重なって。難解な劇だったけどとても印象的だったのよ。
そうやって少しづつ仕事が増えていって。
剛君は、映画『ミッドナイトスワン』では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞する。
映画は今も上映が続けられて、公開から4年目にはいっているとのこと。

地上波TVでも3人はEテレでレギュラー番組を持つことができるようになり、ここまで
来るのに6年かかったけれど、それぞれが自分の場所を作ることができてほんとによかった。
男40代、人生の転機をどう攻めていくかの一つを示してくれた生き方だったわね。
剛君、10月からの朝ドラに出るんだ。朝ドラ、今まで観たことないからなあ、録画だな。
そして、舞台『シラの恋文』が待っている。
東京だからなと躊躇していたが、ポスターのこの表情を観たらだめだ、チケット取りに参戦する。

 

剛君は実にポジティブな考え方をするのよ。
「寝れば何とかなる」って。これがポジティブかって聞かれても困るけど。

来年5月には映画『碁盤斬り』も公開されるから、楽しみに待つことにしよう。

 
 
 

 

 

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昭和歌謡な夜

2023-03-19 08:31:41 | TV

昨日1日中降り続いた雨は止んで、今朝はスッキリと広がった青空。
やっぱり気持ちがいいわ。
1日中一歩も外に出ず引きこもっていたからね、もう何もかも腐ってしまったね。

で、下の記事は昨日のブログの前振りで書いていたもの。
いつものようにずらずら書いていたら、あらまいけないわ、またもや長くなってしまった。
いくらなんでもな、と今日、もう少し付け加えてアップした次第でして。

昨夜は(って、一昨日の金曜日の夜)TVで昭和歌謡三昧。
「ざわつく金曜日」40代~60代の卒業ソング1位を当ててはいけません。
いつもは観ないけれど「1位を当ててはいけません」だけは観る。
7位が♪仰げば尊し。
若い時は♪仰げば尊しなんて思っていたけれど、ドラマ「僕の生きる道」で、
余命いくばくもない高校教師の中村先生の教え子たちが、病室の外で感謝の意を込めて
♪仰げば尊しを歌うの。病室の秀雄先生に届くようにって。この場面を観て初めて、
高校生なら恩師と思える先生に出会ったら歌いたくなる卒業ソングだなと。
タイトルが出て、かぶせるように曲が流れてきて、それだけで毎回胸が詰まってきて。
うーん、今思い出しても泣けるいいドラマだったわ。もちろん草彅剛さんドラマ。
ちなみに1位は♪卒業写真 



その後はタイトルは忘れたけれど武田鉄矢さんの司会の番組。
途中から観たのでよく分からないけれど、なにしろ春日八郎さんの♪山の吊橋が聴けて
嬉しかったのなんの。子どもの頃から春日さんの歌、大好きだったの。甲高い声の出だし、

♪山の吊橋ァ どなたが通る~ せがれなくした鉄砲うちが 話相手の 犬つれて 
熊のおやじを みやげにすると 鉄砲ひとなで して通る ホレユーラユラ

春日さんの艶のある歌声とともに情景が浮かんでくるのよ。

で、次に録画しておいた「TheCovers ザ・昭和歌謡ナイト」
誰かが誰かの曲をカバーして歌うってあまり好きじゃないけれど、昭和歌謡ナイトと
あったからにはいちおう録画よ。

ゲストは宮本浩次さん。
もうこのへんの歌手になると、どなたかさっぱり分からない。
彼がカバーした3曲は♪飾りじゃないのよ涙は ♪まちぶせ ♪恋に落ちて‐Fall-in-love
全部好きな曲。

画面観ないで聴いていたらけっこう魅かれていって。悪くないなって。
それにしても、ユーミン作詞作曲の♪まちぶせって結構怖い歌なのね。

やっぱり昭和歌謡っていいなあとしみじみ。齢だね。
一昨日の夜は、頭痛くなるくらいテレビを観てたわ。
って昨夜は安井かずみ特集があったから、またもや録画しておいたりして。

 

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街角ピアノ 「旭川」

2022-11-07 08:58:07 | TV

今朝は3時半ころ目が覚めて。
しばらくもそもそしていたが眠れそうにもないので「トイレにでも行ってくるか」と。
パソコン部屋が明るい。あれっ、とガラス戸から外を見たら月が林に沈むところだった。
少しだけ欠けている月、きれいだった。トイレ行きもまんざらではなかったわ。

録画した3日の『街角ピアノ「旭川」』を観ている。好きな番組だけれど、放映時間がつか
めないから番組表を見て気が付いたら録画しておくだけで。
ノーナレーションと定点カメラで演奏者を見つめるだけ、後は演奏者の話。
それが静かで心地よい。

ピアノが置かれた旭川駅が素敵で、今すぐにでも行ってみたいなと思ったくらい。
広い駅舎、高い天井、広々した木の床。窓際に沿った木のベンチ、数々のテーブル。
そこで勉強する女子高生、お弁当食べているご夫婦。
「人にやさしい駅舎」のコンセプトそのものそのもの。
南口を出れば東京ドーム2、5倍もある庭園、北口は冬はスケートリンクができるとのこと。
晴れた日に庭園を散策したらいいだろうなあ羨ましいなあ、と。

2011年に完成した新駅舎は、数多くの建築賞を受賞しているんですって。
設計者の内藤廣さんは「これだけの空間密度を持った駅舎は、世界的にみても例がない」
と述べているそうな。ちなみに内藤さん、みなとみらい線「馬車道駅」も設計しているのね。

♪フォレスガンプを弾いていた64歳の電気設備士の男性は、2番目3番目というのが好き
なんですって。旭川はそれにぴったりなんですって。で、定年後は家族で移住したそうな。

今回は男性が多かったように思う。
友人の前で初めて腕前を披露して、腕前を褒められて照れている高校生。
反対にピアノを見つけたら弾かずにはいられないという部活帰りの高校生。
ふたりともピアノを弾くのが楽しくてたまらないというのが見て取れるのよ。

61歳の行政書士の男性。自転車で25キロ走る、街を走る、川沿いを走る、林を走る。
駅はちょうど折り返し地点だから、ピアノを弾いて帰る。ピアノは独学ですって。

独学の男性はもうおひと方いた。71歳。
定年後、保育士の免許を取り、毎日のように駅に着て弾いて行くとのこと。
独学でピアノ演奏ができるようになるってすごいことだ。もうただただ感心するの。

そんな人生を選んだのかと、転機になった動機は何かと惹きつけられた女性お二方。
ドラマロンバケの曲を弾いていた還暦を迎えた女性。
写真を撮るために夫と息子を残して逆単身赴任で。
好きなことができるのも元気なうち、と送り出してもらったそう。
普遍的な写真を撮りたいんですって。よくきっぱり自分の人生を選び取ったなと。

もうおひとりは41歳で幼稚園教諭からスナック経営に転職した女性。
まるで180度違う転職だ、子供相手から大人相手、昼から夜へのお仕事。
何がきっかけだったんだろう、申し訳ないけれどいろいろと想像したりして。

ほんとにかわいかったのが小4の弟と小6のお姉ちゃんの連弾。
弟が茶目っ気があるのよ、カメラに顔をうんと近づけたりして。
弟「ひとりだと心細いけど、連弾だとお姉ちゃんと一緒で安心する」んですって。
仲がいいのね、お姉ちゃん大好きなんですって。微笑ましい。
いくつまでそう言っているかな、うふふよ。

旭川の街角ピアノは、上手い人だけでなく個性豊かな方たちが思い思いに演奏していて
とても楽しかったし心温まった。
ちなみに、私は音楽も全くダメで楽譜も読めません、ましてピアノなんかとてもとても。
クラシック音楽になると居眠りするくらいで、はい。

 

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大人も楽しめる Eテレ『ワルイコあつまれ』

2022-08-04 08:21:47 | TV

明け方の雷と雨、真っすぐ降り注ぐ大粒の雨、大歓迎。
おかげで涼しい朝を迎えた。なんならあと1日2日、この程度の雨を降らせてくれてもいいわ。

 

私が長年の草彅剛さんファンと言うこともあるけれど。
ジャニーズ事務所を退所した新しい地図の面々(稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さん)が
地上波のレギュラー番組を持つということがとても喜ばしいし嬉しい。

ひところは全てのレギュラー番組がなくなり、SMAPの言葉すら禁止だったのだからね。
それが徐々に地上波解禁になってきて、ほんとによかった。

で、その地上波レギュラー番組、Eテレ「ワルイコあつまれ」

子どもも大人も楽しめる新しい教育バラエティー 社会を楽しく学んでいきましょう。
ですって。はい、ま、楽しめます、ファンだから。


(写真は全て番組HPから借用)

Eテレ土曜日朝10時、再放送が午後10時。私は録画して観ている。
夏休みアンコール放送ということで8月は再放送、時間帯もまちまちのようだ。

いろいろなコーナーがあって、例えば
「国宝だって人間だ!」から。
この回は人間国宝は琵琶奏者の奥村旭翠(きょくすい)さん。琵琶奏者の人間国宝は世界に1人
しかいないそう。

社会科見学にやってきた慎吾先生と子供たちが旭翠さんにいろいろと質問。
人間国宝の顔に隠れている人間らしいおちゃめな部分を見つけ出すという趣向ね。

質問は忘れたけれど、稲垣さんはお好みですか、香取さんは、って。しばしの後のお答え。

またのコーナー。
「ガヤガヤ姉妹の今日はガヤガヤ」あの姉妹が全国の“ガヤ”を紹介って、ガヤガヤあるある。
明らかに阿佐ヶ谷姉妹さんのパクリよね、もう画面に映っただけで笑っちゃう。
この日のガヤは「千駄ヶ谷」の紹介、将棋会館とかをね。

その後番組のダンス「ワルイコソーラン」をこの二人が踊るの、この格好で。
慎吾君はこの姿にふさわしく女性らしく踊るのに、剛君は草彅剛に戻ってキレッキレの
ダンスを披露、いやはやおかしくて女性でしょと突っ込んだの。いかにもの剛君だったわ。

こんなコーナーもある。
「昭和歌謡合唱団」この日の先生は阿木燿子さん。歌詞の意味解説。
そして今回のテーマの曲は山口百恵さんの「プレイバック Part2」
って、この曲を10歳前後の児童合唱団が歌うのよ。合唱よ。

♪ぼうや いったいなにをおそわってきたの なんて 意味わかってんのかね。
とは思うけれど、そこは阿木燿子先生、きっちりこの歌詞ができたときのことや時代背景まで
きちんと説明して。私もふんふん、なんて聞いていて。

で、ピアノ伴奏での児童合唱団の「プレイバック Part2」歌。
♪ばかにしないでよ って10歳前後が合唱でどんな風に歌うのさと思ったわ。
危惧したけれどあらまあお見事、なかなかのものでした。もちろん阿木燿子先生も絶賛。

夏休みアンコール放送の一部 子ども記者会見は山中伸弥先生。
8月10日(水)午前9時

そんなに面白くないときもあるけれど、ガチャガチャせずに楽しめるからいいなって。



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大相撲 テレビ観戦

2022-07-19 08:25:22 | TV

 

テレビ観戦するスポーツは、今や大相撲しかない。
若い時は、テニスをはじめラグビー、野球、バレーボールなどけっこういろいろ楽しんで
いた。興奮して夢中になって応援していたのに。
それがたいていのスポーツは試合時間が長いから、勝負がなかなかつかないから、
めんどくさくなってさっぱり見なくなった。それにチャンネル権は夫にあるしね。
だから、あっという間に勝負が決まる相撲がいちばんだと。これだけは譲らない。

制限時間いっぱいになるまでの力士の様子だって観察するのが面白い。
いくら勝負があっという間だって勝ち負けだけじゃつまらない、仕切りを見なくては。
徐々に気合が入って行くのが分かる力士もいれば、いかにも、もういいやが見て取れる
力士もいる。そういう輩には、負けちゃえと念力を送るのよ。
ま、5時前後から夕食の準備をしながら、支度終えて泡飲み物飲みながらテレビ桟敷で。

で、気になるのは力士だけじゃないの、三役格行司の木村容堂さん、お名前覚えた。
制限時間いっぱいになって軍配を返した時のお姿がかっこいいのよ。
小柄で膝をぐっと曲げてそのままの姿勢で微動だにしない。いつも惚れ惚れして見ているわ。
行司って部屋に所属していることも初めて知って。

行司さんのお顔は覚えようとしないけれど、力士の名前と顔が一致しないのにはほんとに
困る。さすがに大関横綱は分かる、が他は毎日見ているのに混同する。
「あれ?大栄翔だったっけ隆の勝だっけ。こっちが霧馬山か豊昇龍か」なんて。
その昔、SMAPの誰が誰だか分らないと言った年寄りがいて。
あんなに違う顔をしてるじゃないとぷんぷんしたものだが、今はその戸惑いがよおく分かる。

それでもようやく、阿炎と宇良、若隆景、兄ちゃんの若元春の区別がつくようになった。
とはいっても、宇良はピンクまわしで認識しているから、まわしが変われば怪しいもんだ。
うん、琴ノ若も鮮やかなエメラルドグリーンまわしでしっかり分かる。ひいきだしね。
若隆景は、今場所からまわしが新しくなったわね。銀灰色の渋くて好きな色だけれど、
若いからもう少し派手でもいいんじゃないの
、なんて。
大相撲がある2週間は夕方が楽しい。今場所は琴ノ若に優勝してもらいたいもんだ。

 

「職業病は腱鞘炎」 行司、華やかな土俵をおりると

 

行司さん、いちばん大事なのは口の堅さか。なれないな、無理。

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ザ・ヒューマン 「止まらない男 柳家小三治」

2021-07-31 08:54:51 | TV

もうだいぶ前のことになる。
NHKBSにチャンネルを切り替えたら「ヒューマン 止まらない男 噺家 柳家小三治」
途中からの視聴でも面白くて、最初から観ればよかったなあと残念に思っていた。
が、再放送があることを知り、今度はしっかり録画して何度も見返している。

小三治さん、本当にお名前だけ。
29歳で17人抜きの真打になって、人間国宝になったことも知らなかった。
もちろん小三治さんの落語も聞いたことがない。それが、TVを観ているうちにその人間性や生き方に惹かれて。
何事も究めようとする人の凄みを感じ、ただただすごい人だなあとため息が出た。

12月で81歳になった小三治さんは、噺家と呼んでもらった方がいいそうな。
昨年の12月からの撮影だから冬の洋服。それがおしゃれなの。素敵な色のセーターを着て、
それに合わせた色の長い長いマフラーを2枚重ねて巻いてお帽子をかぶる、
外出着はいつもそんな感じ。そういうコーディネートがよく似合っておしゃれ、
とても80歳とは思えないセンス。それでいて年相応にも見えて素敵だ、唸る。

カメラは行きつけの床屋、緊急事態で半年ぶりに催された独演会、NHKでのインタビュー、
京都の仙台の舞台、年明けの初仕事、地方巡業を追いかけている。
端折れないから長くなるけれど、小三治さんの言葉を中心に印象に残った場面を書いてみる。

〇去年の暮れ、長年通っている行きつけの床屋さんで。
「老人らしいんだ俺。さっき鏡見てああ老人だなと思った。老人だと思ったってしょうがない
老人なんだから。でもちっとも老人だって思ってないよ」

髪を手入れしてもらいながら、小三治さんはご自身の人生観をとつとつと語る。
弟子にも話しますよって。でもこれこれこうだという説明はしない、と。
感じる人だけが感じればよい、無理やり感じさせたってその人間の中には入って行かないからね。
人間って面白いね、と言う。感じる人が感じればよい、と言う言葉は随所で話しているからよほどの意味があるのね。きっと。

高座に上がる前の小三治さんの(出し物はその日高座に上がる前に決めるそうな)
楽屋や舞台袖で待機している様子はその時々でずいぶん違う。えらく違う。

〇コロナ禍で中止になって、久しぶりの独演会の前は緊張している様子がよおく見て取れる。
舞台袖、出の前では、
「大丈夫かな、できるかな、どこまで持つかな、できるかなと思っちゃうよ。
なんて言えばいいかな。腹の底から声を出して、喉から声を出すのはだめ。
歩けねえよ。行くか、行くよ。」と独り言。ぶつぶつ。

マネージャーさんは、
「休みたい休みたい」が口癖の人が「仕事がしたい」って初めて言ってきた。
半年も休んでいたから必死に取り戻そうとしていると話す。

一席40分間、休憩10分で2時間喋り続ける独演会、たったひとりの2時間の舞台。
80歳を超えてなお半年ぶりの高座に緊張する。何年も何回もの噺なのに。
そして、お客様を喜ばせ、やり遂げるのだからいくらプロとはいえ凄いもんだと。

〇京都での高座。
頸椎を痛め、長年リウマチも患う満身創痍の身体の地方への移動でとてもしんどそう。
数年前の頸椎手術の定期検査もかねて。リウマチも患っているので進行を抑える注射を
自分で打つことも欠かさない。壮絶だわ。

移動の疲れがたまっていて、楽屋に入ってくるなり「眠たくなったね」って。
開演1時間前。マネージャーさんがまたもや催促、80歳最後の高座とはっぱをかける。
小三治さん「信じられないね自分が80だなんて、ぼう然とするね、嘘だろとか思っちゃうよ。
お前だましてんだろ、もう寝るしかないね」とまたもやテーブルに突っ伏す。

マネージャーさんは「大丈夫じゃなくても、大丈夫なようにだんだんだんだんなっていく。
長年やってきているからね」と。

出の時間が迫っているというのに、準備しなくてはいけないのに、
髭を剃っていても途中でくたびれたといって投げ出してしまう。
それでも徐々に支度をし出し物の確認をし着物に着替えて。
「大丈夫かな、できるかな、何と言えばいいかな」とぶつぶつ言いながら高座に上がる。
高座に上がれば噺家はひとり。見守るしかないとお弟子さん。
終わるとマネージャーさんの肩につかまってようやく立ち上がる。
そういう舞台もあるのね。老人小三治さんかなって怒られるかしら。

〇京都に比べて仙台の高座。心の故郷と言うだけあってとてもうれしそう、弾んでいる。
駅について 懐かしい 故郷だと思っている、と。それには幼少期の切ない思い出が。
疎開でお母さんに連れてこられて「東京行の切符を買ってくる」と言ってそのまま置いて行かれたそうな。
「捨てられたと思ったね」なんとも重たい言葉だ。
預かってくれたおばさんに、この人何になるんだろう、おばさんかなお母さんかなって。
それで「おばちゃん」と呼びかけると仙台弁で「あいよ」って。
この件になると小三治さんは突如涙ぐんで言葉が詰まる。
「お母ちゃんと呼ぶと「あいよ」と言ってくれる。何回呼んでも同じように「あいよ」って。
「あったかいよ、あったかいしまた帰ってきたよって感じ」
こんなところはどこへ行っても他にないと。

小三治さんは、百点以外はだめ東大以外はだめという厳格な両親のもとで育てられたからね。
このエピソードは、観ているこちらももらい泣きしたくなるほど切ない。

ご自身の著書ではこう書いている。
病床のお母さんを見舞って「なんでもそうやって今ははーいはーいって言ってるけど、
なんでもっと前からそういう素直なお母さんになってくんなかったんだよ」
「そういう返事くれたこと、いっぺんもなかったじゃないか」
「だって、お前が素直じゃなかったからだよ」
もう、こいつとはあの世へ行っても仲良くなれないって思ったね」と。

親子のもつれは、後々まで尾を引いて根深い。

たまたま読んだ小林聡美さん酒井順子さんの「ていだん」で両親のことについて話している。
両親が一番嫌がる「人の前で笑いものになる」落語家になるかって。それは復讐心だったと。
いつか母親に「私が悪かった、お前の好きなことをおやりと言ってほしかった。
それだけが私の望みで、今もそれは変わりません」と言っている。80歳になろうとしてもまだそう言っている、
お母さんは61歳で死んでいるというのにね。うーん、考えさせられ唸る、何とも複雑。

で、仙台での高座。

出を待つときから足でリズムをとり、出囃子に合わせて指揮をする真似をしながら
ご機嫌な様子でとても楽しそう。
枕では「生きてましたね、私も生きてましたよ」
「生きている限り体の続く限り声の続く限り、皆さんが待っててくださるなら、そこへ伺いたい。」と。
舞台が終わると「一生懸命やれた時は嬉しいね」って。
そしてスタッフの人たちに「ありがとう」と挨拶し鼻歌まで歌っている。
心から楽しみ喜んでいる舞台、それが仙台での高座。

〇2021初席 仕事始めの日 出を待つ間、体を上下させて奮い立たせて
元気な足取りで高座へ。緊張した面持ち。持ち時間を聞いて出し物を決める「粗忽長屋」
端折ってはいるものの結構な時間聞かせてくれて、少しだけ小三治さんの芸に触れた気分。

 

〇NHKでのインタビュー

「噺家 目指していたあり方は」

どんな面白いことに出会っても落語の方が面白いといつも思っていた。
だけど面白いというにはもっと究めないと、その面白さは分からないよなと思って、
どう究めたらいいのだろう、というようなことは毎日毎日考えていた。

今日よりも明日、明日よりも明後日というふうに。昨日と同じ時点では留まりたくない、
それにはどうしたらいいのだとそればかり考えていました。
この言葉は「ていだん」の中でも、まずいところがあってもなくてもその上を
いきたい!といつも思う、と話していている。ぶれないのね、ほんとにすごいなと思う。

「噺家人生62年 これからの生き方は」

『もっと素敵な生き方をしたいと、思う』とおっしゃっているの。
そうでなきゃあすべてを投げうって噺家になった代償は得られない。ですって。
80歳になっても「もっと素敵な生き方をしたい」だなんて。いやいやほんと素敵だ。

ああ噺家になってよかったって、いつか思える日があるように。
息を引き取る際に、落語であれもやりたかった、これはどんなふうにやれば面白かった
のだろうと。結局落語にとりつかれた男かね。

噺家 柳家小三治
「ひとつひとつの高座をかみしめながらこれからも落語とともに生きて行く」
と、締めくくる。で、小三治さんは「ただ生きてるだけだよ」ですって。

もうただただ恐れ入りましたって。それも不遜だわね。

 

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「こころ旅」プレイバック2014春・佐渡

2020-06-17 08:30:06 | TV

金曜日の夜だったかしら、飲み終わってごろりとくつろいでいた7時。
ニュースもなんだからとBSプレミアムに。
おやまあ「こころ旅」は佐渡だったんだ。よかった間に合った。
この頃でこそ観なくなっているが、大好きで初回放送富山の旅からずっと楽しんでいた。

もちろん2014年の佐渡の放送も観ている、が何度観ても懐かしく思い出がよみがえる。

1日目は姫崎灯台。
新潟から船上の人になれば、この灯台が見えると佐渡も近いと心弾み、
佐渡から出ていくときは、灯台が過ぎるとああ佐渡ともお別れだなとしみじみする。

私の青春時代ここにはキャンプ場があったの

遠くにカーフェリーが

高速船 ジェットフォイルが 新潟に向かっている

本当に小さな灯台です 2010年6月15日撮影

そして2日目の昨日は真野の梨の木地蔵へと坂道延々チャリオをこいでいた正平さん。
6キロもの坂道、あえいでいたわ。「佐渡、嫌いや」ですって。ふふふ。
私も行ったことがない、車がないと行かれないようなところだからね。
両津から遠いから、さすがの私もマサチャンママには連れて行けとは言えない。

この日のお手紙は加茂湖のほとりで読んでいた。もう懐かしい。
ここのそばで、よ。


2012年6月11日


2010年11月16日

両津からバスに乗って佐和田という町から真野新町へというルート。
以前行ったとき、バスの時間待ちにぶらりした真野湾の海。
いつも見ている両津湾とは違う風景が新鮮だったわ。

今晩は小木の方へ。BSプレミアム7時からです。佐渡の宣伝!

 

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認知症の第一人者が認知症になった長谷川先生の言葉「変わらない。ふつうだ」

2020-02-14 09:11:20 | TV

『窓の向こうのガーシュウィン』を読んでいたら、認知症かどうか調べるために
「長谷川式」でテストしてみようという話が出てきた。
「長谷川式」?そうだわ、私、NHKスペシャルで長谷川先生の姿を見てえらく感激して
書き留めておいたんだわ、とそのことを思い出して下書きを探し出した。あった。

今は冗談のように、夫に夫から「アキヤマサン(脳神経外科)に行ったら!?」
と言い合いっこしているけれど、遠からず直面するだろう認知症に対する
漠とした不安は身近に潜んでいる。

公式ホームページから

自ら認知症であるという重い事実を公表した医師がいる。
認知症医療の第一人者、長谷川和夫さん(90)。
「長谷川式」と呼ばれる早期診断の検査指標を開発、
「痴呆」という呼称を「認知症」に変えることを提唱するなど、
人生を認知症医療に捧げてきた。
認知症専門医が認知症になったという現実をどう受け入れ、何に気づくのか。
誰もが認知症になりうる時代。
長谷川さんの姿を通して認知症を生き抜くための手がかりや希望をつむぐ。

長谷川さんは研究の師から「君が認知症になって初めて君の研究は完成する」
と言われたそうだ。
ずしんとくる言葉だ、けれどご自分がそうなるとは当時は想像だにしなかった
ことであろう。
そしてある患者さんが発した「僕の心の高鳴りはどこへ行ってしまったんだろうか」
という悲痛な叫びが今も忘れられないと話す。

その患者さんの奥様が 五線譜に書き留められた言葉を見せてくださった。

「僕にはメロディーがない。和音がない。共鳴がない。
帰ってきてくれ、僕の心よ。すべての思いの源よ、再び帰ってきてくれ。
あの美しい心の高鳴りはもう永遠に与えられないのだろうか」

つらいだろうなと思う。
比べることに何の意味もないが、今の自分だって「心の高鳴り」がないことに
虚しさを感じる時があるのだからそのつらさの想像はつく。

書き留めた長谷川先生の言葉、ほんの少し。

自分自身が壊れていきつつあるというのがほのかに分かっている。

いつも確認していなくてはいけない、そういう感じ。
「確かさ」という生活の観念が、生きているうえでの
「確かさ」というのが少なくなってきたように思う。

年を取るということは容易ではない。
僕の生きがいは何だろう。

夢と現実の境目がよくわからなくて、
夢の中のことが現実に起こっているような気がして
はっきりしないことがある。

認知症を生きるとはどういうことか。

余分なものがはぎとられるわけだよね、認知症になると。
心配はあるけれど心配する気づきがない。よくできているよね。
神様が用意してくれたひとつの救い。

最後に番組のスタッフが質問した。
「認知症になっての景色ってどんな景色ですか?」

変わらない。ふつうだ。前と同じ景色だよ。
夕日が沈んで行くとき富士山が見えるときふつうだ。会う人もふつうだ。変わらない。

「認知症になっても見える景色は変わらない」。
この言葉を聞いたとき「そうか、認知症になっても見える景色は変わらないのか」
と全身がほわっと緩むような安堵した気分になって。
ま、認知症になってもそれはそれで仕方ないかと思えたのよ。

(そばで生活を共にしたり介護する立場になったりしたら、
これはまた別な話になるだろうけれど)

番組ディレクターの言葉。

番組で紹介できなかった長谷川さんの言葉…。
「認知症の人は、急にぱっと認知症になったわけではない。
通常の状態と連続しているんだ。だから普通の人なんだよ。」

よろしかったらご覧ください

「認知症の第一人者が認知症になった」

コメント (2)
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