ブログだったかしら、ツィッターだったかしら、ともかくネット上で目にしたの。
“夜、布団に入るとちょっとだけ寂しくなります”
ちょっとだけ、がミソでして。
おかしかったけれど、ああ分かる分かる、確かにそんな気持ちになるよね。
私だって、胸がつまるようなギュッとなるような何とも形容しがたい寂しい気持ちに毎晩おそわれるもの。
ま、今のところはそれ以上に深くならないからいいけれど。
でもな、こんな甘ったるいこと言ってると佐藤愛子先生に、
「寂しい?当たり前のことだ。人生は寂しいものと決まっている。寂しくない方がおかしいのである。」
とどやされるに決まっている。
『人間の煩悩』
佐藤愛子さんの過去の作品(小説、エッセイの類)からこれはいいと思える文章を抜粋して集めた1冊。
私、人間の芯が決まってなくてふらふらぼやぼやしているから、時には《きっぱり》の方にきっぱり言っていただきたい。
で、この度は佐藤先生に決めた。それなのにほっぺた引っ叩いてもらいたいわりには寝転んで読んだりして。
欲望が枯れていくということは、楽になることなのだ。
それと一緒に恨みつらみも嫉妬も心配も見栄も負けん気も、もろもろの情念が涸れていく。
それが「安らかな老後」というものだと私は思っている。
これからの老人は老いの孤独に耐え、肉体の衰えや病の苦痛に耐え、死にたくてもなかなか死なせてくれない
現代医学に耐え、人に迷惑をかけていることの情けなさ、申し訳なさにも耐え、
そのすべてを恨まず悲しまず受け入れる心構えを作っておかなければならないのである。
どういう事態になろうとも悪あがきせずに死を迎えることができるように、これからが人生最後の修行のときである。
如何に上手に枯れて、ありのままの運命を受け入れるか。楽しい老後など追及している暇は私にはない。
死と向き合って生きるものに必要なことは、欲望をなくし、孤独に耐える力を養うことだ。
読み終わった後、さっぱりしたようなそうでもないような。キッパリした気持ちになったようなそうでもないような。
寂しさは当たり前で孤独も当たり前で耐えていかなきゃいけないのね、愛子先生。
できません。