「実家じまい」そんな言葉があるのね。まったく知らなかった。
調べると私のこの度の大仕事は実家じまいそのものなのね。
2023年10月24日、60年近く住んだ実家をとうとう処分してきた。
写真はすべて8月 実家前の海
2011年に父がなくなってからというもの、うすうす考えてきた実家の後始末が
いよいよ現実のものとなって。そうはいっても母は施設に入所しているので、
実家はまだ母の名義。
私にできることは父の遺品を整理していくことだった。このころは母との面会の
ために月に一度1週間実家に来ていたから、遺品整理はがんがんできていた。
個人情報となる年賀状、日記、記録ノートおまけにスクラップブックが、それこそ
山のようにあって、ごみ収集日の2日間出しまくったわ。恥ずかしいくらい。
2年後母が亡くなって実家は私が相続して。
それから本格的に、とはいってもまだ60代だったから現実味は薄かったけれど。
それでも、お隣さんにそれとなく、そういう場合は買ってもらえるかと打診し、
父の実家にもいちおう話をし、と、それぞれが心づもりはしていた。
その後、実家の従兄が倒れたので実家に、という線は消えて、完全にお隣さんに
お願いした。お願いして了承は得たけれど。
2014年母が亡くなってからの9年間は、お盆と春秋の彼岸に年3回帰るだけで、しかも
コロナ禍帰れずで、お隣さんとの売買の口約束はいきているのかどうか確認できずよ。
こういうところが私の曖昧なところね。お隣さんも催促せず断りもせず待っててくれて。
去年からいよいよ事は動き出したわけ。
お隣さんに、家はそのままで引き受けるけど仏壇だけは何とかしてねと言われ、疎い私は
「アッそれもそうだわね」と慌ててお寺に走り仏壇の魂抜きを住職さんにお願いした次第。
去年の10月に仏壇供養は終わり、大事なものは家に持ち帰って仏壇は処理してもらった。
と、今度は住職さんに「つかぬことを伺いますがお墓はどうされるおつもりで」と聞かれ、
「アッそっちもあった」と住職さんに教えていただいたとおりに両親を今まで通りのお寺で
共同墓地に入れてもらって墓じまいも済ませた。ただただ安堵。
両親の安住の地が決まったから、もう実家じまいをやるっきゃない。
私の行動を見ていたお隣さんもしっかりそのつもりでいたから、これで話は
「いつ売買するか」私の決心次第になったわけ。8月のお盆に帰ったとき、きっちりと売る
ことを伝え、お隣さんに司法書士さんや片付け業者の手配を頼んで、なにもかもおんぶに
だっこ状態。9月には10月のこの日に佐渡に帰るのでもろもろよろしくお願いしますと伝えて。
10月の23日24日には、私は必要書類だけ持参していけばいいようになっていた。
それなのに、そんな重要書類抱えて私は乗り鉄していたなんて口が裂けても言えないわ。
お隣さんに書類に記入しなくてはいけないからと実家売却の値段を聞かれ、1億!って
言ったらどうするなんて冗談言ったけど、ほんと中古車売却価格より安いお値段よ。
苦労して建てた両親に申し訳ないとは思うけど、ま、佐渡で狭い土地でこのご時世で
お片付けの費用が出るから御の字よ。欲は言わない。
まだ完全とは言わないがこれで終わったので、娘としての役割も終わり。
24日にマサちゃんママが来て「もらってもいいか」と残っているもので使えそうなものを
車2回分持って行ってくれた。11月3日に両津でフリーマーケットがあるからそこにも出品でき
るからね。ほとんど空っぽ状態の部屋でも処分できないものは残っていたのよ。
脚立、扇風機、ブリキの箱(ネズミから守るにはいいんですって)座布団、電動ミシン、
カーテン、母の着物箪笥一つ分(マサちゃんが着るって。これが一番頭を悩ましていたので
来てもらえる人がいてほんとによかった)
シーツ、タオルケット、毛布、タオル、書き出すと切りがないくらい。片付けしたのにね。
マサチャンママは「あんた、お金出すっちゃ」ですって。ありがたやと大笑い。
お隣さんには、1回目だいたいを見積もってくれた業者さんに「あれからまたゴミが減ったから
少しは安くしてと交渉してね」なんてずうずうしいお願いをしたりして。ふふふ。
それでも、父が天袋にため込んだ産業廃棄物があるんですって。これが高い、まったく。
それにしても、物をため込んではいけない。体力、労力、気苦労、お金、いらないものを使う。
これ実感。身の回りはいつもすっきりさっぱり、ね。自戒。
私は一人娘だから、実家に関することは全部自分の裁量でやってきた。大変だけれど面倒がなくて
ほんとうによかった。夫も全く我関せずでありがたかった。事後報告聞いて「そうか」と。
これで口出しなんぞされたらたまったもんじゃない。「ご苦労だったな」とめずらしく労いの
言葉があったから、ここ1か月の腹立たしい言動は許すことにするわ。
以上、いつにも増して長々しく書いてきたのは私の備忘録として。
よくおひとりですべてをやり遂げましたね。
最近、故郷佐渡の土地家屋の価格を時々覗いていましたが、売れれば最良と言われているようですね。隣の方への売買が両方ともによいことです。
最近、テレビで遺品整理のことを取り上げています。見ていますと、骨董品も二束三文。
私も最近部屋の整理をしていて、「もう、佐渡の有名人の作品は買わない、古物品も求めない」と決めています
。人間国宝佐々木象堂や前文化庁長官宮田先生等の作品を数点持っていますが、息子によく説明しないと と申しています。
親が大切にしていた遺品の整理は大変ですよね。
ございます。
ほんとうにやれやれです。長い間、頭の片隅
にあった事案ですから、これですべてが終わったと思うと肩の荷がおりた気持ちでいっぱいです。
本格的なさびしさは、これからじわじわとかも
しれませんね。
夷の街を歩くと「売地」の看板がいつまでもあり
ます。それを思えば、両親もよく知っていて気心
知れているお隣さんに買ってもらったのは、とても
ありがたかったです。
お隣さんにおんぶにだっこ状態でお任せしていた
ので、今回の仕事は私としては楽でした。口も手
も出さない夫には、事前事後報告のみです。
一人っ子で子供の時から何もかも一人で決めて
きたので、それが私にとってはごく自然なこと
でした。
Pegasus様、人間国宝佐々木象堂や前文化庁長官宮田先生等の作品は、ぜひ大事に息子様にお渡しください。宝ですから。
後はどうぞがんがん処分してくださいね。なんて、
「いらん へちこぜえ」でした。