まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

始末をせねば

2022-05-18 09:02:05 | くらし

いやあ、世間知らず常識外れは重々承知していたけれど。
ここまでひどいとは、いくらなんでもねの私。

父が亡くなって11年、母が亡くなって8年。11年の間は佐渡の実家は空き家状態。
それでも母が亡くなるまでは施設にいる母に会いに月に1週間帰り、
その後は年に3回墓参りに帰っていた。それもままならなくなり切羽詰まってきたのよ。
もういいかな潮時かなって。

実家の処分は常に頭にあったから、そのためにはまず仏壇の片づけをしなければならない。
仏壇をそのままにして家を処分するわけにはいかないものね。
で、今回はそのことについてお寺さんにご相談しに行くことがいちばんの目的。
遊びに帰ったわけじゃないのよ。
仏さんの魂抜きをする、んですって。その日程を今年の10月と決めた。
その後、業者さんに仏壇の処理を頼むんですって。それもお寺さんに依頼した。
ここまでは夫とも話していたからまあまあ織り込み済み。決まってよかった。

と、その後住職さんがおもむろに言いにくそうに、
「仏壇の片づけを考えているということは、墓じまいのことも頭の片隅にありますか」と。
何となくぎょっとする。考えていたようないないような、先延ばしにしていたような。
「お寺としては、ほっておかれることがいちばん困ることでして」って。
まさに、私がしようとしていたことをズバリ言い当てられた。いかんいかん。



住職さんは無知な私にていねいに教えてくれた。
私のように結婚して姓が変わった人は両親の墓に入るにはややこしい手続きが要り、
しかもそれには子供たちに負担がかかる。それは本意ではない。
となると、まずは檀家を離れ、ある墓を始末して、永代供養の手続きをする必要がある。
墓は石屋さんに片づけをお願いする。ってな手続きになるんですって。
そうかそういうことか。
ずっと以前、その道に詳しいオヤジ同級生が教えてくれた、
「仏のことはほっとけえ」の言葉を真に受けていた私がおばかだったわ。
墓じまいは来年にしようと心に決めて、そのときのことをまたお願いしてお寺を後にした。
これで、今後の道筋がはっきり分かって肩の力が抜けてほっとした。いよいよだわ。

薬局で世間話のついでにこの話をしたら、人生の大先輩のワタナベサンにこっぴどく
怒られた。
「はよせんか、まだそんなこと言うとるのんか。夫と子供たちみんな集めてこうしたい
と話をせんにゃ。おめがころっと逝ったらあとに残されたもんが迷惑するねか。さっさと
明日にでもせえ」なんて。明日は無理だけれど来年にはめどをつけよう。
そうだね、私の実家のことだから私が責任もって始末をせねばならない。自覚した。
横浜に帰ってきてお茶飲むやいない、いのいちばんに夫に話したわ。

始末って家の中を片付け整理すれば終わり、ってなことではないのね。はああ。
ともかく、来年の墓じまいまでは病気になれない死ねないわ。ほんと。
ひとりっ子はつらい。

 


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