8日朝、訃報が。
同級生ジュンコチャンの家族から、今朝1時12分に亡くなりましたとの連絡。絶句。
先月7日、本人が携帯に電話してきて「大丈夫よ」と弱々しい声ながら言ってくれて、
快方に向かっていると思い込んでいたからなおのことだった。
同じように親しくしていたアサコちゃんに連絡して、二人して告別式に参列することに。
昨日の早朝、家を出て新幹線で新潟へ、途中高崎からの彼女と合流。
こんなことで、二人して新潟に向かうことになろうとはと嘆く。
葬祭場のロビーに飾られたジュンコチャンの写真を見て胸が詰まる。
笑顔の優しい表情、海外旅行に行った先の数々の写真、仲良しのお姉さんとのショット。
ジュンコチャンの人柄そのものがよく表れていて、あああとよけいに込み上げてくるものがあった。
40代後半にご主人を亡くして、その不幸は如何ばかりだったか察するしかないが、
お仕事があって、お姉さんが1か月以上も泊まり込んでいろいろ助けてくれて、
なんとか脱出することができたわと話してくれたことがある。
亡くなったご自分の両親の家、弟さん家族の家、娘さん家族の家が近い範囲内にあって、ジュンコチャンは
息子さん家族と同居し、お仕事の場所を新しく自宅の前に確保して悠々自適の人生を送っていたのに。
若い時は、お盆になると佐渡に帰っていたから近所同士の二人、立ち寄って立ち話の近況報告。
私が佐渡との往復生活を送っていたときも、寄って行ってと言ってくれて自宅訪問した時もある。
新潟駅付近でランチしながら四方山話をしたことも数度。
ジュンコチャンとアサコチャンと3人の旅行は、四万温泉、伊香保温泉2回、軽井沢と。
3月には湯河原に行く約束をしていたのに。
2年前の9月、軽井沢の旅行でレイクガーデンの花々を楽しんだ時が最後になってしまった。
出棺の時、喪主である息子さんが、
母は行動的な女性で海外旅行が趣味で世界のあちらこちらに何度も旅していたけれど、
今日は最終地「天国」に旅立ちました、と挨拶したのには涙を堪えることができなかった。
現役を退いてもお嫁さんに託したお仕事のお手伝いをしたり、
園芸に熱中したり、好きな演歌歌手のおっかけをしたり。
何よりも家族を大事にし、家族と過ごすひとときを楽しみ、皆で賑やかに暮らしていたとのこと。
これらのことは、皆、ジュンコチャンから聞いていて、私は彼女のことを
「人生の王道を歩いている」と称していた。
祭壇に飾られた花の中のひとつ
孫一同 『じゅんちゃん、ありがとう』
合掌