おはようございます。旅先、盛岡からの投稿です。昨日の朝は平泉の毛越寺、そして午後は盛岡の城址公園で、それぞれ、見事な紅葉を堪能しました。詳細は、帰ってから報告します。
横浜の神奈川県立歴史博物館で開催されている、没後100年・五姓田義松/最後の天才は、二度ほど観に行った。最初は、はじまって間もない頃、二回目はNHKの日曜美術館で取り上げられた、その日の午後だった。観客の入りが全然、違うのに驚いた。マスコミの威力はちがう。そのあと、感想文をすぐにと思っていたのだが、なんと、遅れに遅れ、旅先で投稿するようになってしまった。
一番、印象に残る絵というと、やっぱり、お母さんが、亡くなる寸前まで写生し、それを仕上げた、”老婆図”だろうか。まさに息を引きとろうとする形相。細かいところまで見逃さないように凝視し、筆をとる息子に必死に応えているような目。おもわず、胸がつまる絵だ。
五姓田義松は、安政2(1855)年の生まれ。父は洋画家、五姓田芳柳で、10歳のとき、横浜在住の英国人、チャールズ・ワーグマンに弟子入り。そして、10年足らず、一流の洋画家となる。そして、明治13(1880)年、パリへ留学。海外で画家として生きて行くつもりだった。しかし、それは、叶わず、帰国。黒田清輝よりも早く、スタートしたが、その後、時流に乗り遅れ、忘れられたという。本展は、この謎多き画家の生涯と実像を、800点を超える作品や資料などから明らかにしようとするもので、30年ぶりの大回顧展とのこと。
まず、若き日の自画像から。 自画像(東京藝術大学蔵)
肖像画といえば、随分、多い。どの肖像画もほんとに上手。これなら依頼も多かったと思う。
原敬肖像〔大礼服〕 盛岡市原敬記念館蔵 一歳違いで、パリ時代からの友人だった。そのほか、緒方洪庵も。これは、江戸時代の肖像画をもとに作成したとのこと。大隈重信は最大の肖像画。
五姓田一家之図 当館蔵 集団肖像画として優れ、老婆図と共に、五姓田の代表作とのこと。
パリ時代の作品から。
西洋婦人像 パリでの修業時代の一作。身体の骨格に重点を置いた作。裸婦像はほかになかったので目立った。
ぼくも行ったことのある、”クリュニー美術館にて”。
後期の油彩画は富士山の絵も多く、富士山好きだったらしい。ぼくと同じ。
鉛筆画、水彩画、油彩画となんでもござれ。質量共すごく、圧倒された五姓田義松の回顧展だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます