こんばんわ。
現代の人気者は大谷翔平だが、中世の稀代の人気者といえば源義経だろうか。司馬遼太郎は”日本人は、これまでに人気者というものをもったことがなかった。義経においてはじめてもった(義経)”と評している。その人気は中世どころか近世、現代まで延々と続いている。先日、久しぶりに藤沢浮世絵館に立ち寄ったら、夏休み特別企画として、”源義経/浮世絵と現代漫画に描かれた英雄の姿”展が開催されていた。
現代漫画は北崎拓の作品「ますらお」で、その原画、そして当館所蔵の義経関連の浮世絵が上下に並べて展示されていた。ここはいつも撮影OKなのだが、たぶん漫画家の要望と思うが、撮影禁止なのが残念。しかし、入り口の看板とサイトの写真で義経がどう描かれているかは十分わかる。イケメンである。まるで大谷翔平のようだ。
看板絵。左が浮世絵(国貞)、右が漫画(北崎拓)の義経。漫画の義経はイケメンながら鋭い目つき。翔平はこういう目つきをすることはないかな。
静御前と義経 こちらはやさしい目つき。
以下、浮世絵は公式サイトや以前撮った写真から。
義経
九郎冠者伊予守源義経(国貞)鎌倉入りを拒否された義経は京都に戻り、伊予守に任ぜられる。画は伝説的英雄にふさわしく、衣装や甲冑は豪華に描かれている。看板絵はこれから採っている。
東海道五十三次之内 藤枝 源義経 これは『役者見立東海道五十三駅』というシリーズで当時人気の役者を、各宿場にちなんだ物語や風俗に見立て、背景に配した。藤枝と言えば熊谷直実で、浄瑠璃「一ノ谷嫩軍記」の主従つながりということで、義経が描かれている。よって、これは義経の顔というより役者の顔。
弁慶
東海道五十三次内 荒井白須賀間 はしもと 弁慶(五代目市川海老蔵)国貞 本作品の背景には、荒井と白須賀の間の宿(あいのしゅく)である橋本(はしもと)が描かれており、手前には五代目市川海老蔵演じる”勧進帳の弁慶”。
狐忠信
東海道五十三次の内 袋井 忠信(三代目嵐璃寛)国貞 佐藤忠信は、浄瑠璃”義経千本桜”で鼓の皮になった親狐(お袋)を慕い人の姿になって、その鼓を持つ静御前を守る子狐。お袋の連想から、袋井の画に登場している。『役者見立東海道五十三駅』シリーズ。
義経の戦記名場面。翔平のWBC決勝トラウト討ちの名場面に匹敵か(笑)。
義経之軍兵一ノ谷逆落し之図 国芳 義経の武勇の逸話は多くあるが、その第一は、一ノ谷(鵯越え)の逆落としでしょうか。
義経
ついでながら、翔平のWBC決勝トラウト討ちの名場面。
牛若丸 国芳 義経の幼名は牛若丸、幼少期の義経は、京都の鞍馬寺で学問に精進し、天狗のもとで修行した。カラス天狗と剣術の稽古をしている場面が描かれている。
ついでながら、翔平の修行、花巻東高時代。
月百姿 五條の橋の月 月岡芳年 牛若丸時代、京の五条大橋で弁慶との出会。画は、弁慶の長刀を避けてふわりと飛び上がる牛若丸の姿。これを契機に義経と弁慶は主従関係を結ぶ。
実際の義経はどのような容姿であったか。平家物語では”九郎は色白うちいさきが、むかばのことにさしいでてしるかんなるぞ。ただし直垂と鎧を常に着かふなれば、きっと見わけがたかんなり”とある。小柄で色白だが出っ歯であるといっている。しかし、司馬遼太郎は出っ歯でも魅力がある、という書き方で美醜論に踏み込まなかった(笑)。中尊寺所蔵の義経像あたりが平均的義経像であろうか。
藤沢で何故、義経か。市内に義経の首洗い井戸があり、その近くに義経を祀る白旗神社があるのだ。詳しくはここをどうぞ。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
八幡さまの源氏池の蓮が見頃を迎えています。
歴史的なことからだと、義経よりも弁慶。
それ以前の牛若丸と弁慶の、京の五条の橋の上。
主従関係の在り方にも、静御前の悲運に。
御能に、船弁慶がありますね。
四国まで行って観ました。
時代が代わると、人物の表情にも著しい変化があるものですね。
大谷選手、器の大きさが違いますね。
台風が直撃ですね。お気をつけて。