午前中は、山陽メディアフラワーミュージアムに行った。
前庭で見ごろの、寒咲きハナナ(菜の花)が撮れればよいなと思っていましたが
風が強くてままならない。
館内に入った。
チューリップやクリスマスローズ、プリムラ、シクラメン、ムスカリなどを見ているうちに
1階の展示室で「新春洋ラン展」を開催していることを知った。
展示室は洋ランの香りがいっぱい、
珍しい種類の花にたくさん出逢った!!
午前中は、山陽メディアフラワーミュージアムに行った。
前庭で見ごろの、寒咲きハナナ(菜の花)が撮れればよいなと思っていましたが
風が強くてままならない。
館内に入った。
チューリップやクリスマスローズ、プリムラ、シクラメン、ムスカリなどを見ているうちに
1階の展示室で「新春洋ラン展」を開催していることを知った。
展示室は洋ランの香りがいっぱい、
珍しい種類の花にたくさん出逢った!!
1月3日の早朝に落下させたカメラとレンズ。
その場で自己チェックし、落下点に小さな外傷がありましたが操作は異常なくできたし、画像にも違和感が感じられなかった。
しかし、かなりの衝撃だったので、できるだけ早くメーカーの点検を済ませ、
必要に応じ修理なりなんなりしたいと思っていた。
が、一昨日まで使用していました。
今日は、ニコン銀座サービスセンターへ点検に行ってきました。
結果は、カメラボディはピント調整をし、レンズはAF動作時異音があるがピントには影響ないので使用できるとのこと。
その他は異常なし。
恥ずかしながら、参考まで今回の私の事例も一部始終を記してみます。
<事故発生の状況>
カメラ&レンズを三脚の雲台に固定して、3段に伸ばし撮影場所に立てた。
その時点では何も起きず、自身が三脚を背後にして3~4m離れたママチャリのところに移動した。
と同時に、ガチャンと大きな音がして後ろを振り向いた。
倒れる瞬間は見ていませんが、事後確認、レンズフードが飛んで割れ、ストロボの蓋が開いていた。
<事故原因>
はっきりした原因はわからない。風は強くなかった。傾斜地に三脚を立てていたので、たぶんそれに対する配慮、チェックが十分でなかったのかもしれない。
<今日のサービスセンターでの経過>
正月明けは、かなり混むというので10時半開始に間に合うように到着。
受付は1番でしたが、私の後に10人ほど並んでいた。
「事故発生のカメラボディと望遠レンズ」、「事故に遭っていない標準レンズ」の3点について
清掃を兼ね、点検依頼した。
通常の清掃点検なら1時間余りで返却してもらえる。
ピント調整があるので午後1時半に、受付に来て下さいとのこと。
待ち時間は、店内のギャラリーで写真展を見たあと、JR有楽町駅周辺、皇居あたりをブラリ散歩!!
・交通会館~ビッグカメラ~電気ビル前から晴海通りに右折、日比谷通りを横断して~祝田橋
~桜田門から皇居外苑、ここで昼食~二重橋~日比谷公園~銀座4丁目~ニコンの銀座サービスセンターで点検結果を聞き依頼品を受領
※ 皇居は昔、会社のマラソン大会や走友会の練習で何回も来ていましたが、仕事引退後遠のき久々の来訪でした!!
・カメラのピント調整は、アトピン(ピントが自身が狙った箇所より後ろに合ってしまう)だったので、前にずらす調整をしたとのこと(でも、これが転倒落下が影響したものであったかは聞きそびれた)
・費用は、部品交換とか修理とかは無く、おすすめ点検パックの定価どおりで済みました。
帰りは、地下鉄日比谷線発13:33に乗車。
JR京葉線八丁堀駅で乗り換え、
葛西臨海公園駅でスイセンと蝋梅を見たいので途中下車した。
1時間ほどぐるぐるウォーキング。
スイセン、蝋梅は咲き始め、写真愛好者に7,8人ほど出会った。
スイセンは、千葉県では「江月水仙ロード」や「をくずれ水仙郷」といった箇所が有名だ。
ですが、明日は身近な場所、山陽メディアフラワーミュージアムへ、
点検済みの機材を持って、ハナナ、スイセン、チューリップ、その他を目当てに、
試し撮りですね。
(※ 今日の記事の写真は、コンパクトデジカメ撮影です)
今朝の朝刊からの抜粋転載です。
私たちが感じていて、誰も表立って言わないことが多いなか、さらりとエッセイにしている。
上記のエッセイに共感しつつ、今の日本の状況と重ね合わせ、かつて心に響いた抜き書きを以下に再掲しました。(故人2人)
<池波正太郎>
○ 還暦に思う人生(昭和58年)
・これは、太平洋戦争に若い自分が直面し、その前途が五分五分に生死に賭けられていたからだろう。
だが、戦場で戦うこともなく、海軍の航空基地から復員したときは、生還の僥倖を喜ぶよりも、日本の敗戦により、一夜のうちに変わった時代と、戦死した少年航空兵の顔が重なり合い、一年ほど虚脱してしまっていた。
‥ ‥
おのれの健康をほこる気持ちは、いささかもない。生と死は、いつも、隣り合わせになっているのだから……。
60年生きて来て、いまさら感じることは、我欲のない人ほど幸福になっていることだ。
むろんのことに、これは金銭とは別のもので、いかに我欲を貼って財産を得たところで人間は満たされない。その実例を、数え切れぬほどに、私は、この目で見てきた。
恐ろしいのは、我欲と傲慢の結果が、すぐにあらわれずに、一国家、一団体、一個人それぞれに、我欲の芽がふくらみ、長く潜伏していて、これが表にあらわれ、はっと気づいたときには、手遅れになっていることだ。
私の我欲が薄いといっても、ないわけではない。
その残存する我欲を一つ一つ取り除くことを、こころがけて行きたい。
‥ ‥
…私は、政治や経済のうごきについては、ジャーナリズムを信用しない。できない。
これは、終戦のときの、一夜にして白が黒となり、黒が白となった衝撃が尾を引いているからだ。
私が信用するのは、自分の目でとらえた「一個人が表現しているもの」のみである。
○ すべて簡素に、簡明に(昭和59年)
・こう書いてくると、まだまだやりたいことはいくらでもあるわけだが、私は欲張らない。
仕事と生活の上において余分なものは一つ一つ切りとって行き、もっとも簡素な生き方をしたい。
戦後の私は、あまり人付き合いのよい男ではなくなってしまったけれども、これからはなおさら義理を欠き、付き合いの時間を減らしていくつもりだ。
それも60歳を超えた私には許されることだと思っている。
これからは、人も世も、国家も、すべて簡素に……簡明にである。
<茨木のり子>
1975年(49歳)、四半世紀を共に暮らした夫が先立ち、以降、31年間にわたる一人暮らしが始まる。
2年後、彼女は代表作のひとつとなる『自分の感受性くらい』を世に出した。それは、かつて戦争で生活から芸術・娯楽が消えていった時に、胸中で思っていた事をうたいあげたものだった。
●自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
その後、 弟が先に他界し、かつての同人仲間が1人、2人と世を去るのを見送った。だが、彼女は孤独感をものともせず、1999年に73歳で『倚(よ)りかからず』を発表するなど、詩への創作意欲は衰えなかった。
●倚(よ)りかからず ※73歳の作品
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
2006年、自宅で脳動脈瘤破裂によって急逝した彼女を、訪ねてきた親戚が発見する。きっちりと生きることを心がけた彼女らしく遺書が用意されていた。「私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。返送の無礼を重ねるだけと存じますので。“あの人も逝ったか”と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます」。この力強さ。享年79歳。
戦争への怒りを女性としてうたい上げた「私が一番きれいだったとき」は多くの教科書に掲載され、米国では反ベトナム戦争運動の中でフォーク歌手ピート・シーガーが『When I Was Most Beautiful』として曲をつけた。彼女の心の声が国境を越えて人の心を打ったのだ。人生を明るく、そして清々しくうたう茨木の詩は、没後も多くの人を魅了し、晩年の『倚りかからず』は詩集としては異例となる15万部のベストセラーになっている。エッセイ本も多数。 韓国語を学んで出した『韓国現代詩選』(1990)では読売文学賞を受賞している。
●わたしが一番きれいだったとき (茨木さんは15歳で日米開戦を、19歳で終戦をむかえた)
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね
冒頭の朝刊エッセイに関連して、
この5年間で、特定秘密保護法(25/12/13)・安保法(28/3/29)・共謀罪法(29/6/21)などの重要法案が成立し、今年度は憲法改正!!メディアを通じてのプロパガンダというか、世論操作に惑わされないようにしたい。
432円の文庫本「日本国憲法」(講談社学術文庫)から主要な箇所を抽出してみた。
他の条文も大切なのですが、とりあえず。
冒頭のエッセイの一文をお借りすれば、
今年こそは国民一人ひとりが「正気」を保って、平穏な世の中がず~っと続くようにしていきたいですね!!
美浜公園10周/昼過ぎ 約10k (9:27~9:50~9:36~9:58~8:51~9:22~9:35~9:21~8:57~8:13/1:33)
月間累計 44km
だいたいの方向を定めながら、行き当たりばったりのウォーキング!
スポーツセンター
歩いた道沿いの花やめぼしい景色をデジカメパチリしながら
休憩スポットで時折脚を休め、体力を温存しながらの
ぶらぶらウォーキングだった。
お天気は比較的暖かく、ほぼ快晴。
スポーツセンターの道沿いの花壇で、スイセンやパンジーの花を撮り
クラウドシティーを抜けて、ヤオコーで昼の飲食を購入!
千葉西警察署裏、14号道路の右側を通り検見川神社に向かった。
通り沿いの生垣の、珍しい花をパチリ!
鳥居をくぐり参道の石段を上ると検見川神社。
三連休のせいか、まだ、たくさんの初詣の参拝客がいた。
神社の裏を降り、JR総武線の線路下のトンネルをくぐって、浪花橋に出た。
瑞穂橋から上流を望む
花見川千本桜緑地に到着。
ここで昼食。
三種類の秋冬の桜が咲いていた。
花の名札がついていなければ、見た目ではわかりにくい。
ここの緑地には、珍しい桜の木がたくさん植わっている。
4月前後の最盛期から、ソメイヨシノ、ベニシダレ、シロタエなどから
4月中旬過ぎあたりのウコン、ヤエなどの桜まである。
花見川と緑地の間を抜けるサイクリング道路では、
散策する人や、たくさんのジョガーとすれ違った。
散策中のワンちゃんに挨拶をして
シラサギ公園に右折。
抜けると瑞穂の住宅街。
この通りには、ハンカチの木があるが、大きい丸い実をつけていた。
丸い実は初めてだった。
住宅街を出て、右折~左折、子安神社に向かった。
坂を上って参道を直進すると子安神社。
主に安産・子育ての神が祭られているという。
浅間神社や検見川神社ほど参拝客がいませんが、境内の雰囲気と
歴史が感じられて、好きな神社の一つである。
右に曲がって、亥鼻橋近くでさらに右にカーブ。
畑町コミュニティセンターに寄って小休止。
植えたばかりの春キャベツの畑を右に見ながら直進。
畑町西交差点を東大グランド方面に下った。
東大グランド際道路沿いの花壇には、スイセンやスイートアリッサムの花が咲いていた。
何年か前まで11月に開催していた、千葉国際駅伝の第5区間の道路である。
検見川陸橋の手前で左折し、尾高自動車整備工場~千葉西警察署裏に出て
再びヤオコーに寄った。
夕方の食材を買って午後3時ごろに帰宅。
ウォーキングの距離は、およそ12kmでしょうか。
検見川神社~子安神社 12k
月間累計 34km
正月の千葉は、4日とも快晴が続いた。
今日は、10時過ぎから気ままにウォーキング!
目的地も時間も決めたわけではなく
思いつくままぶらぶらと散策!!
カスミストアで赤飯のオニギリとおかずを買って
まず、「千葉市ゆかりの家」へ。
縁側は、無風で日当たりが良く、ぽっかぽか!
冬枯れの枝に、せんだんの実がぶらさがっていた。
次は、「浅間神社」だ。
社殿は、まだ初詣客がたくさん。
そこは素通りして、
階段下の八坂神社にお参り。
病気退散の神社とあった。
神社を抜けてからは「稲毛公園」の起伏、松林を通った。
住宅街に出て、坂を上り、JR稲毛駅に行く道路を横断、京成電車の線路沿いを直進した。
黒砂2丁目の谷合の交差点に下ると、
14号道路から穴川十字路に向かう、格好の遊歩道がある。
交差点際の高台に、お天気の良い日は日向ぼっこができる休憩場所があるので、
そこでオニギリの昼食を摂った。
遊歩道を左折し、
かつて知った「西千葉公園」に寄り道。
寒つばきを撮って
敬愛大学方面へ。
途中に「かげぼうし日時計」がある。
日時計表示の中心線の1月の位置に立った。
ちょど1時ごろだった。
腕時計とほぼ同じだった。
敬愛大学と千葉大学の間の道路を直進し、すぐに左折。
この辺りは学校がたくさんあるが、
千葉経済大学、轟中学校とかの間を進んだ。
T字路にぶつかった。
右折すると、千葉市の重要文化財である「大日寺」があった。
境内を見学。
この寺は、鎌倉時代に千葉頼胤が開いた寺で、
元は松戸・馬橋にあったものを、千葉に移したのがその子・胤宗。
しかし後に寺は戦火で焼失してしまい、通町(現児童公園)から今の場所に移された。
境内には千葉氏累代の五輪塔、16基が並んでいる。
JR西千葉駅に向かい
まだ歩いてもよいのだけれど、相棒に合わせ
西千葉駅で、JR稲毛方面の電車に乗った。
かれこれ、6kmぐらいのウォーキングになった。
西千葉駅 6k
月間累計 12km
昨日が満月だったのを知り、
5:50に家を出た。
風はやや強く、まだ暗い。
1月3日の日の出前!!
西の空に月が落ちて行く。
月の光が煌々と海面を照らしていた。
日の出の時刻が近づいてくる。
浜辺の像の近くで三脚を立てた。
ママチャリに戻ったとたんに、後ろで大きな音がガチャン!!
ヒヤ~ッ!!
三脚が倒れた!!
不覚にも、三脚の上のカメラ&レンズが浜辺のコンクリート床に叩きつけられたようだ。
外観、設定、操作は何とかOK!
一度メーカサービスでチェックしてもらうことにして、とりあえず撮影を続行!!
徐々に月が落ち、7:00を過ぎ
スカイツリーの西側地平線に沈んでいくことがわかった。
日中の用事を済ませた後、
夕方近く、再び検見川の浜へ!!
かなり強い風が吹いていたけれど、ほぼ快晴。
釣り人が3,4人いたが、入り口側の橋は塩水で冠水状態!
橋げたに波が打ちつけ、時折大きな波しぶき!!
烈風がすさまじい。
ママチャリ漕ぎ漕ぎ、そこを超えて突堤の先端へ。
機材を風で飛ばされないようにしながら、
日没前後の海辺の風景をデジカメパチリ!!
でした。
朝は7時10分ごろから走り初め。
スロージョギングで、検見川の浜の「浜辺の像」の先で折り返した。
約1時間余。
走路は、「松風通り~草野水路水門~検見川の浜~浜辺の像~稲毛幕張シーサイドランニングコースの3.5km表示地点」
自宅から浜辺の像折り返しは、約5km余、
上記の3.5km表示地点折り返しは、約6km、
のようです。
その後は、ゆっくりとテレビの「箱根駅伝」を観戦!!
朝のジョギング時は、白雪をいただいた富士山が、東京湾越しによく見えていた。
右端が富士山
ですが、夕方日没前後は帯のような雲に覆われていました。
浜辺の像の先まで 6k
月間累計 6km
検見川の浜より(昨年末撮影)
6:37
名前を教えてもらいましたが、「スタンドアップパドル」というサーフィンだそうです。(海の上を散歩するんだと言っていました)
当地の今年の元旦は、ほぼ快!!
6:40
幕張メッセと千葉マリンスタジアム
比較的あたたかく穏やかな一日。
6:45
日の出を見に来た人たちや釣り人たち
朝食前に検見川の浜に出かけた。
日の出
7:18
富士山は、もやっていてよく見えませんでした。
帰宅後、
孫台風の襲来、年賀の整理をして、午後は、ふたたび検見川浜へ!
15:19
15:36
富士山は、まったく見えない。
15:50
ジョギングや散策、凧揚げや
16:00
サーフィンなどで、お正月を海辺でくつろぐ人が
たくさんいた。
16:03
富士山は、とうとう一日中よく見えませんでしたね。