一昨日の夜 63歳の時に脳梗塞を患った元の会社の同僚に電話しました。
彼は脳梗塞の後遺症もなく、元気にゴルフ三昧の日々を送っています。(笑)
電話したのは先日届いた喪中ハガキに奥様が亡くなったと書かれていた元の会社の同僚の親友だったからです。
電話してわかったのですが、若い頃は親しく行き来をしていたようですが、転勤などしているうちに疎遠になり、
「今は年賀状のやり取りをしているだけだ」と言っていました。
同じ会社にいても、部署が違ったり、転勤したりすると疎遠になってしまいますね。
また独身の頃は頻繁に行き来もできますが、家族ができると行動が家族中心になりますからね。
彼のお父さんは96歳まで生きていらっしゃいました。
彼は「親が死ぬなんて、少しも思わなかった」と言いました。
私は「え〜」との思いでした。
「100歳でも、100歳以上でも生きて欲しかった」と言いましたので、
「そんなに生きられたら、自分が先に逝って親不孝になったのでは?
そちらが脳梗塞を患った時、お父さんはお幾つだった?」と訊きましたら、
「93歳だった」と言いました。
「もう少しで親より早く死んで、親不孝になるところだったね」と、言いいました。
彼が「後悔していることがある」と言いました。
お父さんは最初老人ホームの一人部屋に住んでいらして、その部屋についている庭で花を
育てるのを生きがいにされていたそうです。
ところがその部屋をリフォームすることになり、部屋代が3倍に値上げになるということに
なって、やむなく3人部屋に移ることになってしまったそうです。
それで好きな花を育てるのもやめられてしまったそうです。
私が「サラリーマンが3倍の部屋代を援助するなんて無理だわ、2割アップぐらいならなんとかできるけど」
と言いましたら、
「5割までならなんとかできたけど」と、彼は残念そうに言いました。
彼は結婚してないので、そこまでならなんとかできたようです。
やはり老人ホームで快適に過ごすには、お金も必要のようです。(苦笑)
今はお母さんが老人ホームにいらっしゃるそうです。
94歳とのことです。
自宅から15分ぐらいなのでいつでも行けるようですが、「10日に一度ぐらいしか
行ってない」と言いました。
私は「それでもいいじゃないの、自分の人生も楽しまなくちゃ。何かあれば行かなくては行けないけど」と言いました。
君たちがいて僕がいた 舟木一夫 さん2
彼は脳梗塞の後遺症もなく、元気にゴルフ三昧の日々を送っています。(笑)
電話したのは先日届いた喪中ハガキに奥様が亡くなったと書かれていた元の会社の同僚の親友だったからです。
電話してわかったのですが、若い頃は親しく行き来をしていたようですが、転勤などしているうちに疎遠になり、
「今は年賀状のやり取りをしているだけだ」と言っていました。
同じ会社にいても、部署が違ったり、転勤したりすると疎遠になってしまいますね。
また独身の頃は頻繁に行き来もできますが、家族ができると行動が家族中心になりますからね。
彼のお父さんは96歳まで生きていらっしゃいました。
彼は「親が死ぬなんて、少しも思わなかった」と言いました。
私は「え〜」との思いでした。
「100歳でも、100歳以上でも生きて欲しかった」と言いましたので、
「そんなに生きられたら、自分が先に逝って親不孝になったのでは?
そちらが脳梗塞を患った時、お父さんはお幾つだった?」と訊きましたら、
「93歳だった」と言いました。
「もう少しで親より早く死んで、親不孝になるところだったね」と、言いいました。
彼が「後悔していることがある」と言いました。
お父さんは最初老人ホームの一人部屋に住んでいらして、その部屋についている庭で花を
育てるのを生きがいにされていたそうです。
ところがその部屋をリフォームすることになり、部屋代が3倍に値上げになるということに
なって、やむなく3人部屋に移ることになってしまったそうです。
それで好きな花を育てるのもやめられてしまったそうです。
私が「サラリーマンが3倍の部屋代を援助するなんて無理だわ、2割アップぐらいならなんとかできるけど」
と言いましたら、
「5割までならなんとかできたけど」と、彼は残念そうに言いました。
彼は結婚してないので、そこまでならなんとかできたようです。
やはり老人ホームで快適に過ごすには、お金も必要のようです。(苦笑)
今はお母さんが老人ホームにいらっしゃるそうです。
94歳とのことです。
自宅から15分ぐらいなのでいつでも行けるようですが、「10日に一度ぐらいしか
行ってない」と言いました。
私は「それでもいいじゃないの、自分の人生も楽しまなくちゃ。何かあれば行かなくては行けないけど」と言いました。
君たちがいて僕がいた 舟木一夫 さん2