中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「人生は後悔だ」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
人は「後悔」する生きものである。
「あの時こうすればよかった」とか「なんであんなことをしてしまったのか」など人以外の生きものは悔やむことはない。
猫や犬は人間に叱られるとすまなそうな顔をするが、後悔はしない。
人生(=生きてあること)に迷いがないからだ。
師走も推し詰まると、「後悔」がドドッと押し寄せてくる。
できなかったこと、しなかったこと、失敗したことなどが1年の締めくくりの時に、後悔となって浮上するのである。
そして最終的には「仕方がなかった」と言い訳して、なかったことにしてしまう。
おじさんは、年を取ると何事も迷うことがなくなり、後悔もしなくなるのだと思っていたが、とんでもない。
若い頃よりも迷いは増えた気がする。
ある剣豪が「我、事において後悔せず」と言ったとか。
これは、後悔を過剰に意識した言葉で、負け惜しみに近い。
つまり、後悔から自分を解き放てないことの逆説的表現だろう。
「人生の師走」にさしかかったワシらの世代は、後悔さえも自慢の種にする。
忘年会では、自分の後悔の大きさを競い合い、あげく帰宅した後、恥じてまた後悔の海に沈み込むものだ。
以上です。
私も年を取って後悔する事が多くなりました。
さださんの「主人公」の歌詞の2番に、
🎶時を遡る切符があれば欲しくなる時がある
あそこの分かれ道で選びなおせるならって・・・🎶
という歌詞があります。
そう思う時もありますね。
まあ、今更選択した事を後悔しても始まらないですが。
人生、生きているうちは、悩みがつきものだと思います。
さだまさし - 主人公
って自分の判断を後悔することがありました
でも今は、どの道を選んでも結果は大して変わらなかっただろうなあって(笑)
そして性格がコロッと変わらない限り、その置かれた場所で多少の後悔をしながら暮らしているんだろうなと思うようになりました
人生ケセラセラで生きていくのが楽です
いずれにせよ、いつも自分で右か左かを決定してきたのですから(笑)
>若い頃はあのときあーすれば良かった・・・
って自分の判断を後悔することがありました
でも今は、どの道を選んでも結果は大して変わらなかっただろうなあって(笑)
そうかも知れませんね。
>そして性格がコロッと変わらない限り、その置かれた場所で多少の後悔をしながら暮らしているんだろうなと思うようになりました
人生ケセラセラで生きていくのが楽です
いずれにせよ、いつも自分で右か左かを決定してきたのですから(笑)
ケセラセラですか、なるようになれですね。笑い
ご自分で選択されたので、後悔は少ないでしょうね。
そういえば、かみさんが言っていました。
両親に勧められて結婚したなら失敗しても両親のせいと言えるけど、自分で決めた事だからそれは言えないと。