中日新聞の読者投稿欄に「般若心経元気に唱える」と言うタイトルで、73歳の女性が投稿されていました。
「ギャーテーギャーテー
ハーラーギャーテー・・・」。
昨年8月に義母が101歳で亡くなってから愛知県扶桑町の夫の実家を夫婦で訪ねては般若心経を唱えています。
だからか、8月27日付本紙の人生のページ「今週のことば」が目に留まりました。
中学生に「ギャーテー」の意味を問われた坊さんが「カエルの声じゃないの」
ととぼけたというエピソードが紹介されていて、私はふと思いました。
「ギャーテー」の意味や理屈をこね回すより、まずは一心に元気よく読経するのが大切なのではないか、と。
私の手元には近所の友人から譲り受けた子ども向けのイラスト付きの般若心経があります。
10月に親戚で集まった際、大きな声で唱えようと思っています。
以上です。
私は神道なのでお経を唱えることはしません。
親戚の法事に行った時は、参列者さんのお経を真似して唱えますが。
「ギャーテーギャーテー
ハーラーギャーテー・・・」をネットで調べますと、
「訳してはいけない真言」というタイトルで記述されていました。
この「羯諦羯諦
ギャーテーギャーテー
波羅羯諦
ハーラーギャーテー
波羅僧羯諦
ハラソウギャーテー
菩提娑婆訶
ボージーソワカー
」という真言の部分は、あえて訳すべからずとされています。
訳してしまうと、意味が限定されてしまうし、言葉としての力も無くなってしまうと考えられています。
とはいえ、内容だけでも知りたいと思うのが人情です。そこで梵語の読み方と、一般的な訳をご紹介しておきます。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸にまったく往ける者よ、幸あれ」

この訳を読んで、なんだ、たいしたことをいってないではないか、と思ったら、やはり私がこの訳をご紹介したことは、間違いだったということです。
でも今さら消すわけにもいきません。
真言というのは、この般若心経で説いてきたことを、総括して神秘的に象徴した呪文です。ですから、これはこのまま受け入れるべきものです。
スモモモモモモモモノウチという早口言葉があります。
意味は「李も、桃も、桃の内」です。なんだ、たいしたこといってないではないか、と思う人はいないでしょう。
これは内容が問題なのではありません。早口言葉として意味のある言葉なのです。

この真言の部分は、般若心経を唱えることに慣れていない方には、あれ?と思う場所です。
どうしてかというと、ここまで、一つの漢字を一拍で唱えてきます。
ところが、この真言の中で二回目の「波羅」と「娑婆」だけは、漢字二字を一拍で唱えることになっているからです。
次の傍線の部分です。
ギャー・テー・ギャー・テー・、ハー・ラー・ギャー・テー・、ハラ・ソー・ギャー・テー・、ボー・ジー・ソワ・カー
このカラクリが分かるまでには、皆さんずいぶん苦労するようです。
さらに、最後の「般若心経」の「心経」の部分は、スピードが遅くなります。
ハン・ニャー・シーーーン・ギョーーーーという感じです。
との記述がありました。
>中学生に「ギャーテー」の意味を問われた坊さんが「カエルの声じゃないの」
と、とぼけられたのも理解できます。
「意味など考えるな!」ということだと思います。
投稿者さんが「私はふと思いました。
『ギャーテー』の意味や理屈をこね回すより、まずは一心に元気よく読経するのが大切なのではないか、と。」。
投稿者さんの「まずは一心に元気よく読経するのが大切なのではないか」。どうもこれが正しいようです。
Julie London-Misty
「ギャーテーギャーテー
ハーラーギャーテー・・・」。
昨年8月に義母が101歳で亡くなってから愛知県扶桑町の夫の実家を夫婦で訪ねては般若心経を唱えています。
だからか、8月27日付本紙の人生のページ「今週のことば」が目に留まりました。
中学生に「ギャーテー」の意味を問われた坊さんが「カエルの声じゃないの」
ととぼけたというエピソードが紹介されていて、私はふと思いました。
「ギャーテー」の意味や理屈をこね回すより、まずは一心に元気よく読経するのが大切なのではないか、と。
私の手元には近所の友人から譲り受けた子ども向けのイラスト付きの般若心経があります。
10月に親戚で集まった際、大きな声で唱えようと思っています。
以上です。
私は神道なのでお経を唱えることはしません。
親戚の法事に行った時は、参列者さんのお経を真似して唱えますが。
「ギャーテーギャーテー
ハーラーギャーテー・・・」をネットで調べますと、
「訳してはいけない真言」というタイトルで記述されていました。
この「羯諦羯諦
ギャーテーギャーテー
波羅羯諦
ハーラーギャーテー
波羅僧羯諦
ハラソウギャーテー
菩提娑婆訶
ボージーソワカー
」という真言の部分は、あえて訳すべからずとされています。
訳してしまうと、意味が限定されてしまうし、言葉としての力も無くなってしまうと考えられています。
とはいえ、内容だけでも知りたいと思うのが人情です。そこで梵語の読み方と、一般的な訳をご紹介しておきます。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸にまったく往ける者よ、幸あれ」

この訳を読んで、なんだ、たいしたことをいってないではないか、と思ったら、やはり私がこの訳をご紹介したことは、間違いだったということです。
でも今さら消すわけにもいきません。
真言というのは、この般若心経で説いてきたことを、総括して神秘的に象徴した呪文です。ですから、これはこのまま受け入れるべきものです。
スモモモモモモモモノウチという早口言葉があります。
意味は「李も、桃も、桃の内」です。なんだ、たいしたこといってないではないか、と思う人はいないでしょう。
これは内容が問題なのではありません。早口言葉として意味のある言葉なのです。

この真言の部分は、般若心経を唱えることに慣れていない方には、あれ?と思う場所です。
どうしてかというと、ここまで、一つの漢字を一拍で唱えてきます。
ところが、この真言の中で二回目の「波羅」と「娑婆」だけは、漢字二字を一拍で唱えることになっているからです。
次の傍線の部分です。
ギャー・テー・ギャー・テー・、ハー・ラー・ギャー・テー・、ハラ・ソー・ギャー・テー・、ボー・ジー・ソワ・カー
このカラクリが分かるまでには、皆さんずいぶん苦労するようです。
さらに、最後の「般若心経」の「心経」の部分は、スピードが遅くなります。
ハン・ニャー・シーーーン・ギョーーーーという感じです。
との記述がありました。
>中学生に「ギャーテー」の意味を問われた坊さんが「カエルの声じゃないの」
と、とぼけられたのも理解できます。
「意味など考えるな!」ということだと思います。
投稿者さんが「私はふと思いました。
『ギャーテー』の意味や理屈をこね回すより、まずは一心に元気よく読経するのが大切なのではないか、と。」。
投稿者さんの「まずは一心に元気よく読経するのが大切なのではないか」。どうもこれが正しいようです。
Julie London-Misty
私は毎晩寝る前に「般若心経」を唱えます。
3年前は意味を探ろうとしましたが、今はその日を振り返りながら
今日の一日をお父さんと共有しています。
しかし、それも習慣化して、ぼぉ~と唱えている夜もあります。
昨日お彼岸の入りで、我が家と実家のお墓参りをしてき来ました。
先週は山の家に行ってました。
スマホのGBの契約がケチして最低限で、masaさんのブログは毎日を見るのが精一杯でした。
そろそろ携帯電話変えようかな?と悩んでいます。
でも、お高いのでねクスン………
>今日の一日をお父さんと共有しています。
大切なご主人と「今日の一日」を共有されていらっしゃるんですか。
ご主人が羨ましいです。
>しかし、それも習慣化して、ぼぉ~と唱えている夜もあります。
ぼぉ〜と唱えられても、毎日唱えて頂けるなんて、ご主人は幸せ者だと思います。
>我が家は真言宗なので、事あるごとに般若心経を唱えます。意味も解らず読んでいました。
意味は解らずの方が良いようです。
事あるごとに唱えていただくことが大切のようです。
>スマホのGBの契約がケチして最低限で、masaさんのブログは毎日を見るのが精一杯でした。
そろそろ携帯電話変えようかな?と悩んでいます。
でも、お高いのでねクスン………
私のブログを読んで頂いて、とても嬉しいです。
スマホね。
便利ですけどお高いですね。
私もアイホンのスマホにしたいですが、費用が高くなるのでガラケーのままです。
月々の使用料が2千円台になれば、アイホンに変更したいのですが。
僕は「帰命無量」で始まる正信偈というお経を18歳の時に一年間ほとんど欠かさず唱えました
勿論意味など分かりませんでしたが弟のためと思って
でもそれは今思うと
自分のためだったような気がします
お経とは不思議なものです。
結婚してお坊さんが来られても、後ろで意味もわからずお経を聞いていました
葬儀などでもお経よりも僧侶のお話の方が理解しやすいのです
般若心経も唱えたことはありませんが、写経をしてみたいと思ったことはあります(まだ実現していませんが・・・)
確かに意味を考えるより大きな声で唱える
それが大事かもしれませんね
>僕は「帰命無量」で始まる正信偈というお経を18歳の時に一年間ほとんど欠かさず唱えました
ネットで検索しますと、下記のように説明されていました。
浄土真宗の方ならどこかで聞いたことがある『正信偈(しょうしんげ)』。
『正信偈』という言葉は知らなくても
「きみょ~むりょ~じゅ~にょ~らい~」
で始まるアレ、と言われるとピンとくる方もあるでしょう。
浄土真宗の葬式や法事、お盆などで読まれることが多い正信偈ですが、意味がわかって読んでいる方はあまり多くないようです。
浄土真宗のお経も意味を知らずに読まれている方が多いとのこと。
お経は意味など知らなくても良いようです。
>勿論意味など分かりませんでしたが弟のためと思って
でもそれは今思うと
自分のためだったような気がします
お経とは不思議なものです。
弟さんの為に読まれたでしょうが、それがかっつんの癒しになったように思います。
>葬儀などでもお経よりも僧侶のお話の方が理解しやすいのです
それは言えますね。
親戚の法事に来られるお坊さんはまだ40代半ばの男性ですが、お経を読まれるたびに咳き込まれます。
あがり症なのかな?
お経は咳き込まれますので、気になってしょうがないですが、お話はまともに話されるので安心して拝聴できます。(笑)
>確かに意味を考えるより大きな声で唱える
それが大事かもしれませんね
どうもそのようですね。
般若心経を暗記できるのかという事です。
くちサメ、揃ってのお遍路も20ケ寺位。
サメ氏は、一人で歩き遍路でまた半分位唱えて回っています。
近くに真言宗のお寺があり、そこの行事に参加する時も、気が遠くなるほど、何度も唱えます。
で、いつも、覚えていないのは、くちサメだけ。
なんで?
まあ、ぎゃーてーの所は、最後で覚えやすいので覚えていますよ。
>どうして、皆さん、いとも簡単に?
般若心経を暗記できるのかという事です。
うちの親戚のおばさんは般若心経を暗記していました。
理由はよく知りませんが、子供の頃 習ったのではと思っていました。
>サメ氏は、一人で歩き遍路でまた半分位唱えて回っています。
近くに真言宗のお寺があり、そこの行事に参加する時も、気が遠くなるほど、何度も唱えます。
で、いつも、覚えていないのは、くちサメだけ。
なんで?
どうして何でしょうね。(苦笑)
ご主人は頭が良いのに・・・。
覚える気が無くても、自然と覚わると思うのですが。(苦笑)