中日新聞の「くらしの作文」に「尊い言葉」というタイトルで、83歳の女性が投稿されていました。
義母が亡くなって38年、最期の尊い言葉が、私の脳裏に焼き付いています。
亡くなる前日の朝。
床の中にいた義母のところへ、いつものように牛乳を持って行くと「今朝はいいよ」と。
昨日まではあんなにおいしそうに飲んでいたのに、なぜだろうと心配しながら義母の部屋を出ようとしました。
その時、「あのー」と言う声に振り向くと、私の方を見て「世話になった、おまえは私の宝だった」と言いました。
突然の思いがけない言葉に夢を見ているようで、ただ驚くばかりでした。
少しの間の後、私には「もったいない」とわかり「私の方こそ」としか言えず、涙があふれました。
義母は、あの言葉を最後に、翌朝早く家族が見守る中、静かに90歳で天国へ旅立ちました。
亡き後の悲しみや淋しさは、とても深いものでした。
思えば、聡明で年齢差のある義母と、未熟者の私との生活は不安でした。
厳しさもありましたが、それ以上に優しさがあり、いつの間にか不安は消えていきました。
晩年の頃の義母には、かわいらしさも感じるようになりました。
私は、義母の力添えで幸せな嫁として過ごすことができました。
感謝でいっぱいです。
声を大にして言いたい。
「世界一のお姑さんでした」と。
以上です。
人間って、死期が分かるものでしょうか。
投稿者さんの義母さんは、分かったように思われます。
だから一番世話になったお嫁さんに感謝の言葉を言われたのでは。
>その時、「あのー」と言う声に振り向くと、私の方を見て「世話になった、おまえは私の宝だった」と言いました。
こんな感謝の言葉を言われたら、今までの苦労がいっぺんになくなりますよね。
投稿者さんが涙があふれたのは、理解出来ます。
このお嫁さん、謙虚ですよね。
このような態度で接して貰えば、姑さんも小言も減るでしょうね。
私は長男坊ですが、かみさんと母がうまくいってくれればいいと願っていました。
私は義母と嫁さんは、絶対にうまく行かないと思っています。
それもあって、両親と同居しませんでした。
私は霊感がないので、両親の死期を察することが出来ませんでした。
かみさんは海に遊びに行った帰りバスの乗っていると、バスの窓にお祖父さんが映ったとのことです。
翌朝 お祖父さんは亡くなったと言ってました。
このお祖父さんは毎日出勤する際顔を出して挨拶してくれる長男孫に亡くなる前日の朝、いつものように挨拶してくれた長男孫に向かってお経を唱えられたそうです。
感謝の気持ちを表されたのかな。
私の息子も義父が時々夢に現れるようです。
子供の頃によく可愛がってもらい、帰省するたびにどこかへ連れて行ってもらっていましたから。
夢に出ると、かみさんに「お墓参りに行こう」と、よく言ってました。
藤 圭子 圭子の夢は夜ひらく
私は逆です
私がそう言って先に召されたいですもの。
夫には本当に感謝しかないです。
>私は逆です
私がそう言って先に召されたいですもの。
夫には本当に感謝しかないです。
そうなんだ。
残念ですね。
人生なかなか思うようにいかないものですね。
朝起きて外へ出ると私の寝る部屋以外雨戸が開いています
そして洗濯物が干してあります
私は昨夜妻と晩酌をし機嫌が良さそうなのでブログを妻に見せました
これで秘密は無くなりホットしてます
妻は昨夜は眠れなかったようです
【その時、「あのー」と言う声に振り向くと、私の方を見て「世話になった、おまえは私の宝だった」と言いました。
突然の思いがけない言葉に夢を見ているようで、ただ驚くばかりでした。】
私達夫婦で亡き母が入院している時見舞いに行きました
母は少し痴呆症のようです
そして妻が母の洗濯物を車に運んでいる時私に問いかけました
「お前には苦労かけたな? 弟夫婦の人生も面倒みてくれて」
「そして長男なのに何1つ残してやれないのに」
「お父さんの出来なかった先祖の墓をリホームしてくれてありがとう」と言われました
その時だけはボケていなかったようです
妻が車から洗濯した品を母のベットの横に置きました
私はその言葉で全ての苦労が飛びました
そして親父が取られた実家を取り返すぞと思いました
その言葉で私は勇気と頑張りが出来ました
お陰で実家を取り返し弟夫婦に譲りました
その後母は実家を取り返す前に亡くなりました
人生って両親の言葉一つで勇気が倍増するようです
不思議ですね 親の言葉は・・・・・・
>朝起きて外へ出ると私の寝る部屋以外雨戸が開いています
そして洗濯物が干してあります
私は昨夜妻と晩酌をし機嫌が良さそうなのでブログを妻に見せました
これで秘密は無くなりホットしてます
妻は昨夜は眠れなかったようです
今朝はよく寝られたようで。😀
ところで奥様にブログを見せられたのですか。
これはまずい、ご自分はスッキリしたでしょうが、奥様はモヤモヤ感がおありなのでは。
私はかみさんにブログを書いている事は言ってますが、その内容は言っていません。
もし見せたら、かみさんの悪口を書いている事がバレてしまうからです。
私はかみさんへの反論をブログに書いてストレスの軽減を図っています。
>「お前には苦労かけたな? 弟夫婦の人生も面倒みてくれて」
「そして長男なのに何1つ残してやれないのに」
「お父さんの出来なかった先祖の墓をリホームしてくれてありがとう」と言われました
その時だけはボケていなかったようです
妻が車から洗濯した品を母のベットの横に置きました
私はその言葉で全ての苦労が飛びました
そして親父が取られた実家を取り返すぞと思いました
その言葉で私は勇気と頑張りが出来ました
お陰で実家を取り返し弟夫婦に譲りました
その後母は実家を取り返す前に亡くなりました
人生って両親の言葉一つで勇気が倍増するようです
不思議ですね 親の言葉は・・・・・・
お母様は一時的にボケが収まっていた時に、常日頃感謝されている佐貫卓球ルーム2さんにお礼の言葉を言われたんですね。
佐貫卓球ルーム2さんは、立派です。
私も佐貫卓球ルーム2さんのように親に感謝されたかったですが、自分たちが食うだけで親の助けまで手が回らなかったです。
向上心が足りなかったですね。
ただ一つ母親から言われた「兄妹仲良くしてね」の遺言は、守るようにしています。
ボクの友人の病床を見舞ったとき
「またくるね」と言って帰りましたが、
ある時、帰り際に右手を出して、
「もういいよ」と言いました。
出した右手に笑顔で握手して
「うん」と答えて帰ると翌日無くなりました。
不思議なことに、二人目の友人の時も同じ言葉を聴きました。
やっぱり握手して帰ると翌日無くなって居ました。
これで死期が解るような気がしてならなかったのです。
>ボクの友人の病床を見舞ったとき
「またくるね」と言って帰りましたが、
ある時、帰り際に右手を出して、
「もういいよ」と言いました。
出した右手に笑顔で握手して
「うん」と答えて帰ると翌日無くなりました。
不思議なことに、二人目の友人の時も同じ言葉を聴きました。
やっぱり握手して帰ると翌日無くなって居ました。
これで死期が解るような気がしてならなかったのです。
お二人のことをお聞きすると、どうも人間は死期が分かるようですね。
うちの母親も分かったなら前日言って欲しかったです。