中日新聞の読者投稿欄に「大切な着物 食料と交換」というタイトルで83歳の女性が投稿されていました。
戦後の1945(昭和20)、46両年の実りの秋の決まって夕方、
現在の愛知県あま市で農家をしていたわが家を見知らぬ何人もの女性が次々と訪ねてきた。
どの女性も風呂敷から着物を取り出し「米でなくてもいいんです。サツマイモでも何でもいいから交換してください」と
母に懇願していた。
女性は皆悲しげで疲れた様子だった。
小学生だった私はそんな母とのやりとりを耳にしながら
「困っているなら米を渡してあげて。着物を返してあげて」と心の中で叫んだ。
あのとき、彼女らが置いていった着物は実に60枚近くに上っていた。
一人娘だった私が31歳で嫁ぐ際、母からはこれらの着物を持っていくように言われた。
時は流れたが、この着物は今も私の衣装ケースの中にある。
食べ物を得る代償となったであろう着物を思うと、母に託した無念さからとても申し訳なくて
私は袖を通すことができなかった。
以上です。
母方のおばあさんからよくこのような話を聞きました。
高価な着物をお米に替える為、農家に行ったが相手にされず、お米を頂くことができなかったと嘆いていました。
町の者は食料がなく、大変だったそうです。
うちの母親も芋のツルなどを食べていたと言います。
おばあさんはそのような経験をした為、荒地を開墾して農業をやろうとしたようです。
母親も手伝わされたと言ってました。
人間いざとなれば食べ物が一番なんですね。
高価な着物も、食料不足の前には、何ら役に立たないということのようです。(苦笑)
Call Me Irresponsible (Frank Sinatra - with Lyrics)
戦後の1945(昭和20)、46両年の実りの秋の決まって夕方、
現在の愛知県あま市で農家をしていたわが家を見知らぬ何人もの女性が次々と訪ねてきた。
どの女性も風呂敷から着物を取り出し「米でなくてもいいんです。サツマイモでも何でもいいから交換してください」と
母に懇願していた。
女性は皆悲しげで疲れた様子だった。
小学生だった私はそんな母とのやりとりを耳にしながら
「困っているなら米を渡してあげて。着物を返してあげて」と心の中で叫んだ。
あのとき、彼女らが置いていった着物は実に60枚近くに上っていた。
一人娘だった私が31歳で嫁ぐ際、母からはこれらの着物を持っていくように言われた。
時は流れたが、この着物は今も私の衣装ケースの中にある。
食べ物を得る代償となったであろう着物を思うと、母に託した無念さからとても申し訳なくて
私は袖を通すことができなかった。
以上です。
母方のおばあさんからよくこのような話を聞きました。
高価な着物をお米に替える為、農家に行ったが相手にされず、お米を頂くことができなかったと嘆いていました。
町の者は食料がなく、大変だったそうです。
うちの母親も芋のツルなどを食べていたと言います。
おばあさんはそのような経験をした為、荒地を開墾して農業をやろうとしたようです。
母親も手伝わされたと言ってました。
人間いざとなれば食べ物が一番なんですね。
高価な着物も、食料不足の前には、何ら役に立たないということのようです。(苦笑)
Call Me Irresponsible (Frank Sinatra - with Lyrics)
ただ着物を食べ物に交換できても駅で警官?に取り上げられることがあったそうです
弟がそれを抱え込んで素早く逃げ切ったことがある ってよく聞かされました
母は町の人で農家の親戚がなかったので苦労したようですが、父の方は田舎出身だったので食べ物の苦労はなかったようです
それでも居候の身だったので気苦労はあったようですけどね
戦争は残酷です。
>ただ着物を食べ物に交換できても駅で警官?に取り上げられることがあったそうです
警官が取り上げるんですか!
物物交換なのに、禁止されていたのかな?
>父の方は田舎出身だったので食べ物の苦労はなかったようです
それでも居候の身だったので気苦労はあったようですけどね
戦争は残酷です。
気苦労はされても、食べ物に不自由されていなかったのは、ある意味恵まれていたのでは?
戦争中でも上層部は美味しいものを食べていたようですが、弱いものにはより過酷な世界にさせるようです。
日本は70年もの間戦争に巻き込まれていません。
ありがたいです。
着物であろうと、金銀財宝だろうと、
生きて行くためには無用なもの。
セリ、嫁菜、さつま芋の茎、蛇、カエル、トンボは食べませんでしたが、
イナゴは勿論、ハチの巣を取って来て、巣の中の子供やウジは醤油で炒って食べました。
今朝、ウサギの肉はカエルに似ていて、あっさりした味と言ったら、
蛙の味を知らないカミさんに「エっ!」言われました。
説明のしようがありません。
南アフリカへ行った時、青虫の野菜炒めを食べましたら、
食べた証明書をくれました。貴重な蛋白源だそうです。
これも娘からどんな味?と聞かれて、
蜂の子と同じ、噛むとプチュッと中味が出てくる、
結構おいしいよ、と。
蜂の子を食べたことの無い娘、得も言われぬ顔をして納得した振りをしていました。
>今朝、ウサギの肉はカエルに似ていて、あっさりした味と言ったら、
蛙の味を知らないカミさんに「エっ!」言われました。
説明のしようがありません。
昔 栄にある焼き鳥屋に入った時、メニューにカエルが載っていましたが、遠慮しました。(苦笑)
小学校の時、ナマズは川で取って、かば焼きにしてもらって食べたことがあります。
>南アフリカへ行った時、青虫の野菜炒めを食べましたら、
食べた証明書をくれました。貴重な蛋白源だそうです。
青虫も蜂の子も無理です。(笑)
いくら栄養があっても、断ります。
どんなに高価な着物でもそれでお腹を膨らませることはできませんものね
やはり生きていくためには何よりも食べ物が大切
今回の台風で停電のために無駄になった食料を思うと切ないですね
まだ個人宅の食料はある程度の量でしょうが、保存する水槽が使えず破棄された魚介類を思うと、農作物もそうですが、自然の力の前にどうしようもない非力さが悔やまれますね
私もどれほどひもじくても虫は絶対無理って思っていますが、極限状態になればわかりません(笑)
>私の母も北陸の方にお米や食べ物をわけてもらいに行ったことがあると何かに書いていたことがあります
どんなに高価な着物でもそれでお腹を膨らませることはできませんものね
京都の方は、北陸の農家さんまで物々交換に行かれたのですね。
どんなに高価な着物よりも、まずは食べ物ですね。(苦笑)
>まだ個人宅の食料はある程度の量でしょうが、保存する水槽が使えず破棄された魚介類を思うと、農作物もそうですが、自然の力の前にどうしようもない非力さが悔やまれますね
自然の力には人間はかなわないですが、それにしても大都会東京の隣の県が、ここまで停電が続くなんて。
ライフ・ラインが弱すぎるのでは?
>私もどれほどひもじくても虫は絶対無理って思っていますが、極限状態になればわかりません(笑)
そんな状態が再び来ないように願います。(苦笑)