団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

「遺歌(いか)」は、エンディング・ノートに「小田和正さんのDVDを葬儀に流してくれ」と書いておくことにしよう。

2020-07-16 04:25:14 | 日記
 中日新聞に「永六輔は生きている」というタイトルで、隈元信一(ジャーナリスト)さんが記事を書かれていました。
その後半から、



 その後、「自分の歌を歌いたい」という気持ちが高まる。
74年には、歌手デビュー。

 八大さんの作曲とピアノ伴奏で、死生観を歌詞に込めて自ら歌った。

 デビュー曲「生きているということは」の一節はこうだ。

 <生きているということは

 誰かに借りをつくること

 生きていくということは

 その借りを返してゆくこと

 誰かに借りたら誰かに返そう>


 八大さんと作った最後の「生きるものの歌」は、
死を歌う。


 <わたしが この世を去る

 その時 愛はあるか

 その時 夢はあるか

 そこに 幸せな別れがあるのだろうか>



 2003年、永さんはNHKテレビの「人間講座「人はなぜ歌うか〜六輔流・日本音楽史」で音楽論を語った。

 その最後に「生きるものの歌」を取り上げた。

 「人間はいつか、必ず死んでいく。

 その時にそばにいてくれる人がいて、大好きな歌があったらいいな」

 
 講座の問い「人はなぜ歌うか」には、こう答えた。

 「太古の昔、言葉の前に歌があったんじゃないか」
だとしたら、「遺言」だけでなく、「遺歌」が人々の心に響くのもむべなるかな。

 そう、永六輔は私たちの心の中に生きている。


 以上です。


 永六輔さんのラジオ番組『永六輔の誰かとどこかで』を長きに渡って、よく聴きました。
永六輔さんは、旅好きで、博識の人でしたね。

「生きるものの歌」の全歌詞がネットに載っていました。

 「生きるものの歌」

 あなたがこの世に生まれ あなたがこの世を去る

 私がこの世に生まれ 私がこの世を去る

 その時 涙があるか その時 愛があるか

 そこに幸せな別れが あるだろうか あるだろうか

 (台詞;もし世界が平和に満ちていたとしても

 悲しみは襲ってくる 殺されなくても命は終わり

 誰もがいつか別れていく

 世界がどんなに平和でも 悲しい夜は来る

 誰もが耐えて生きている

 思い出と歌があなたを支えてゆくだろう)


 私がこの世に生まれ 私がこの世を去る

 あなたがこの世に生まれ あなたがこの世を去る

 その時 明日がある その時 未来がある

 そこに生きるものの歌がある 歌がある 



 以上です。


>「人間はいつか、必ず死んでいく。
 その時にそばにいてくれる人がいて、大好きな歌があったらいいな」

 今 新型コロナウィルスにかかり入院すると、そばに家族がいる事を許されないようです。
これって、とても悲しい事ですよね。

 「遺歌(いか)」は、エンディング・ノートに「小田和正さんのDVDを葬儀に流してくれ」と書いておくことにしよう。





上原 徹 from フォー・セインツ 「生きるものの歌」MUSIC VIDEO short ver.
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同世代っていいもんですね。

2020-07-15 03:06:13 | 日記
 先日ブログにも書きましたが、ネットフリックスをテレビで見えるようにしました。
ついでにYouTubeもテレビで見えるようにしました。

 夕方 YouTubeで歌を聴いています。

 一昨日 舟木さんの学園シリーズの歌を聴いていましたら、台所で夕飯を作っていたかみさんも茶の間に来て、
「学園広場」の曲を聴きながら、「この頃 高校生活に憧れていた」と言いました。
「学園広場」の動画を見て「この頃 松原智恵子は可愛かったね」と言いました。
松原千恵子さんの三姉妹は、名古屋で美人三姉妹と言われていたそうです。(笑)

 「学園広場」が流行っていた頃 私は高校生でしたが、かみさんは中学生でしたので、この歌にあるような高校生活を送りたいと思っていたようです。
かみさんは学園広場を聴きながら、この歌を口ずさんでいました。

 同世代っていいもんですね。
思い出の曲が重なるので、話が合います。
それが同世代夫婦のメリットかな(笑)


 話は変わって、今ハマっている韓ドラ「アバウトタイム〜止めたい時間〜」の主演の女の子。人の余命時間が分かる女の子を演じています。
彼女イ・ソンギョンは、174センチの長身なのに、かわいい。
気に入ってます。(笑)








学園広場 ☆ 舟木一夫


君たちがいて僕がいた ☆ 舟木一夫
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いい大人なんだからもっと気をつけなければ、恥ずかしいといったらありゃしない。

2020-07-14 03:33:26 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「感染防止 客も心掛けて」というタイトルで64歳の女性が投稿されていました。



 久しぶりに大手チェーンの喫茶店に行ったら座席の間隔は広くなり
ソーシャルディスタンスを意識した店内となっていました。

 ランチ終了間際の時間で、案内された席に座ると、すぐそばの席の高校生たちも、
若者グループも、数組のサラリーマンもほぼ全員が食事を終え、マスクを着けてのおしゃべりを楽しんでいました。

 唯一の例外は私と同世代の女性二人組で、マスクをせずに大声でずっと話をしていました。
口角泡を飛ばすといった感じでした。

 彼女たちの隣の席にいた男性グループが会計をしながら店員にこう話し掛けているのが聞こえました。
「飲食店も大変だね」と。

 その言い方と目線から、すぐにマスクをしない彼女たちのことを暗に指していることが分かりました。

 飲食店は新型コロナウィルスの感染拡大を防止する諸策を取って営業しています。
利用者も一層節度ある行動をしなければいけないな。

 私はそう強く思いました。


 以上です。


>唯一の例外は私と同世代の女性二人組で、マスクをせずに大声でずっと話をしていました。
口角泡を飛ばすといった感じでした。


 このコロナ禍の時に、これでは他のお客様の気分を害しますよね。
いい大人なんだからもっと気をつけなければ、恥ずかしいといったらありゃしない。

 新型コロナは、空気感染するようです。
もしご自分たちが感染していたら、周りの人達もうつってしまいます。
気をつけて欲しいです。

 私は学校が休校になった3月4日以降、毎日のように行っていた喫茶店へ行っていないです。
密になるかもしれないですし、マスクをせずに大声でずっと話をするような人もいるかもしれませんので、安心できませんから。

 車の中から覗いてみますと、モーニングタイムの喫茶店の駐車場は満車状態です。
でも、まだ不安で喫茶店に行く気が起こらないです。




DREAMS COME TRUE - 未来予想図Ⅱ(from DWL2007 Live Ver.)
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かみさんから「敷居を踏むな!」と、注意されてしまいました。(苦笑)

2020-07-13 03:39:01 | 日記
 昨日の朝 朝食を終えて茶の間で血圧を計ろうとして移動し始めた時、
かみさんから「敷居を踏むな!」と、注意されてしまいました。(苦笑)

 まだ頭がぼんやりしていましたので、敷居を踏んでしまったようです。
それでも73歳のおじいちゃんに「敷居を踏むな!」と、注意するのかな?と思いました。

 かみさんもきっと子供の頃「敷居を踏むな!」と注意されたことがあるなと思いました。
私も子供の頃 父親やおばあちゃんに「敷居を踏むな」と、注意されたことが何度もあります。


 敷居はなぜ踏んでいけないのかは、いろんな説があるようです。
ネットにこんな事が書かれていました。

 「敷居は踏むな」の意味、知っていましたか?

 「敷居は踏むな」という言葉は、昔から言い伝えられていますが、なぜ敷居を踏んではいけないのでしようか。

 ただ意味も分からず「敷居を踏んではいけない」と言われると子供さんは余計におもしろがって、ドンドンと踏んでしまいます。

 「いけません」と注意すると、子供さんは「どうしていけないの?」と聞いてきますね。
でも答えられなくて、「ダメだから、ダメなんだ」では、子供さんは納得しません。
「しきい」を、今のような「敷居」という字を書いていると、その意味は分からないことになってしまいます。

 敷居の上は、なんと言うでしょうか。最近はあまり聞かれなくなったかもしれませんが、「鴨居(かもい)」と言います。
「鴨」という字の「甲」のところの真ん中の棒を短くすると「田」になります。そして田の鳥と書くと「鴫(しぎ)」という鳥になります。
つまり「敷居(しきい)」と読んでいるところは、本当の意味は「鴫居(かもい)」です。

 「鴨(かも)」も「鴫(しぎ)」も、どちらも水鳥です。
上側は、「鴨居(かもい)」ですから、「鴨(かも)」がおり、下は、「鴫居(しきい)」ですから、「鴫(しぎ)」が居て、
その水鳥が、上と下から現代的なスプリンクラーのように、その家を火災から守って下さるのです。

元々の日本家屋は、木造建築が主でしたし、さらに障子や襖などは紙で作られていましたから、とても火災に弱い作りでもありました。

その為、防火の神様として、水鳥にたとえ、その家を火災から守って下さっていたのです。

ですからその防火の神様の居る敷居を踏んだりしますと、神様がその敷居からお離れになってしまいます。

それで「敷居を踏むな」と言い伝えられてきたのです。

ちなみにこの防火の神様は、「みずはのめの神様」と言い、龍田大社の神様です。

という事が、ネットに書かれていました。

 神様の居る敷居を踏んでは、当然いけないですね。

 ネットの記事で、大切な行事の最中、私と同じく敷居を踏んでいる安倍首相の写真が載っていました。
きっと後でお母様に大目玉をくらったのでは?(苦笑)








ラブ・ストーリーは突然に
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私も彼の作ったチャーハンを食べてみたくなりました。(笑)

2020-07-12 04:09:58 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「チャーハン作り 極めた」というタイトルで15歳の男子中学生が投稿されていました。




 感染拡大が続いた新型コロナウィルスの影響で学校は思いの外、長い休みとなりました。
この休みの間、僕はせっかくの機会だから何かを極めよう! そう考えました。

 テレビで偶然目にしたのが料理番組でした。
直感的になんでもいいので一つの料理を極めてみようと思いました。

 どの料理にしようかと迷った末、チャーハンに挑戦することを決めました。
炒めるだけで簡単にできそうですが、案外奥は深いのではないかという気がしたからです。

 最初に僕が作ったものは味が濃くて、母も弟も全然食べてくれませんでした。
そこで僕なりに試行錯誤を繰り返しました。

 そして四度目となったチャーハンは母も弟もどんどん口にしてくれました。
とてもうれしかったです。

 どんなことでもやればできるのです。
このことを僕は学びました。


 以上です。



 このコロナ禍の長い休みを利用して、一つの料理を極めようと考えた投稿者さんの心意気に感動しました。


>そして四度目となったチャーハンは母も弟もどんどん口にしてくれました。
とてもうれしかったです。

 四度も挑戦する態度が立派ですし、お母さんと弟さんがどんどん口にしてくれたことで達成感も生まれたことと思います。
私も彼の作ったチャーハンを食べてみたくなりました。(笑)


>どんなことでもやればできるのです。
このことを僕は学びました。

 彼はコロナ禍の長い休みを有効に使ったと思います。







平井 堅 『瞳をとじて』MUSIC VIDEO
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