風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

2006年1月読書ノート

2006年01月24日 | 読書ノート
4.お金の思い出~石坂啓 
沖浦さんの重いテーマだったので軽い読み物にした。
石坂さんが大学を卒業し、手塚プロにアシスタントとして入社し、「一流」と言われ始める頃までのお金にまつわる=つまり貧乏暮らしについての断片的エッセイ集。
金持ちだった実家の会社が倒産し、一家で夜逃げし、本当に貧しい生活だったらしい。普通こういう話は成功談=つまり実家や、初めは貧乏だったけどくじけず頑張った、今日の成功は“私のガンバリ”みたいな自慢話が多いのだが、石坂さんの文章は、さらりとしていて、そんなことをみじんも感じさせない。
手塚プロがアシスタントを安くこき使う漫画制作会社ではなく、かなりの高給を払っていたことは「へぇ~」と言う感じがした。

3.瀬戸内の民族誌~沖浦和光 [岩波新書]
瀬戸内は古来から日本の大動脈であった。
しかし、海の民は身分制社会の底辺であり、「板子一枚下は地獄」という過酷な労働を強いられた。
今は、消えた「家船」[=船を家とし、漁業権を持たない、戸籍を持たない零細被差別漂流民]、「おちょろ船」[=ちょろ押し船=小舟で春をひさぐ人]の風俗を伝える。
・675年〈殺生禁断〉令が布告された。仏教の五戒第一律の「不殺生戒」にもとづくもので牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食することを4月から9月間禁じた。この禁止令が後代における「穢れ観念」による狩猟民・漁民差別の一つの端緒となった。
禁じられたと言うことは、これらを日常的に食していたと言うことだ。

【メモ】「ワタツミ神」~ワタ=海、ツ=助詞、ミ=霊。
【メモ】「一向」~ひたすら・純粋のこと、「一向専修(せんじゅ)」=ひたすらナミアミダブツを唱えて阿弥陀仏の大慈悲にすがり救われることを意味した。
16世紀には、商人、職人、海陸運送人、卑賤視されていた山の民・海の民・などにどんどん広がっていった。

竹の民[その一部は、サンカ・被差別民]、海の民[その一部は家船]は社会・生産の重要な位置を占めたが、律令制度下農本主義の非農民ということで、戸籍を持たず視され、差別を受けた。
いずれも文字を持たなかった。
その存在を示す資料はとても少ないという。
サンカ・零細漁民は次第に、陸上がり、定着するようになるが、その場所は被差別の近くで、だが、被差別部

落民からもその下とされ差別されたという。
明治以降は戸籍を持つことが強制され次第に歴史から消えていく。
30年前から沖浦さんはこの問題を取り上げているが、沖浦さんの本は図書館にはほとんど無い。
無くなった網野善彦さんは民衆の視点から中世史をとらえ返し風穴を開けたが、沖浦=網野のもっと論争があればよかったのにな~とつくづく思う。


2.竹の民俗誌~沖浦和光 [岩波新書]
竹は日本人に身近な植物で、日常生活品もたくさんある。
竹は南アジア・マレー半島周辺に自生したらしい。
竹の日本上陸は、そうした海洋民族の日本への渡来を示している。
しかし、竹を生活用具にしたのは、農民ではなく、土地無き被差別民であった。
または、河川や山に分け入るサンカと言われる漂白民であった。
沖浦の竹取物語の解釈はおもしろい。時の権力者の天皇一族に破れた隼人系=海洋系の人々の伝承という。
【メモ】
アニミズムと竹の霊力
・竹は三ヶ月で成竹となる、その異常な生長力
・竹の空洞の霊的空間~籠もると言う呪術的意味
・永世的生命力~一本の竹の15~20年だが、地下茎が次々と伸びて若竹を生育させ竹林全体としては途切れることなく続く。
・神秘的一斉開花~20年周期で開花するという。開花の理由はまだよく分からないらしい。花が咲いたからと行って種子ができる訳ではなく、地下茎で世代交代していく。
・竹林の強靱な地盤と神業的葉変わり~落葉期と新緑期がうまく重なり端境期が無く、常緑である。春先の紅葉を竹の秋と呼ぶ、竹の春は秋の季語。
・竹の精力~いろいろな薬用成分が含まれていて、漢方薬・精力剤として用いられてきた。葉芽には殺菌力がある。

〇ヒンドゥー教では全てのモノを浄穢の観念で価値・序列づけた。それをヒトの世界に適用したのがカースト制だ。

1.けったいなアメリカ人~米谷(こめたに)ふみ子

アメリカのユダヤ人脚本家[ジョシュ・グリーンフェルドで映画『ハリーとトント』などを書く]と結婚した米谷さんのアメリカの作家、映画監督、役者たちとの交友録、というより彼らの世界のエッセイ。
マッカーシズムでのエリア・カザンをめぐる『華やかなハリウッドで起こった大論争』、『ゴッドファーザー』脚本のマリオ・プーゾは興味深い。
だが、文章がなぜか翻訳調で読みにくい。

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