第63回ピースボート・地球一周の船旅1
出発
洋上から三回ほど発信したが、その後通信事情が良くなかったので中止した。
そこで、初めから少しずつ載せることにする。
出発 [9/7]
今回のピースボートトラブル続きである。
当初8月28日出発の予定が1週間延びた。
さらに2日延びて、結局9月7日の日曜日となった。
当日、桟橋に着くと、さらに6時間も延びたのである。
いよいよと言うべきか、やっとと言うべきか、ピースボートが出発した。
9月7日10時集合だったが、着くと点検ができていないということで、午後2時集合ということになった。
映画館で時間をつぶそうと思ったがわからないので結局、家に戻ることにした。
関内駅から桟橋までは歩くと15分ほどかかるし暑かったのでタクシーにした。
2時半に乗船手続きをした。乗船手続きはうごく簡単で、パスポート・イエローカードとクレジットカードを提示するだけであった。
部屋に入ると送っていた宅急便が着いていた。
荷物はダンボール三つとリュック一つであった。
ダンボールは生活雑貨と服と本で、リュックはパソコン関係であった。
船室は四階で、ツインの部屋だが入居者は私一人である。
窓はないが、収納も十分だし文句はない。
遅れたのでオリエンテーションなどは翌日となった。
17時に出港した。
しばらく進むと東京湾は雷雲が被い、真っ暗で稲妻が走った。
まさに、このピースボートの行く末を予感させているかのようだ。
早速、缶ビールを飲んだ、340円と高くなく安心した。
ビールを飲みながら、外人グループがいたので話しかけたら、英会話クラスの先生たちであった。
食事はかなり質素であった。野菜が少ない。
案内された席は、8人席で皆女性であった。
おとなしくビールを飲んだ。
夜は、『東京ギャングスター』というミュージシャンのLIVEがあった。
ウイスキー・オールドのダブルの飲んだ。
船はやはり揺れる、ゆっくりと大きく。
僕には船酔いするほどのものではないが、気持ちよいものではない。
夜、エアコンの関係か空気がかなり乾燥して目が覚めた。
9/8・月
5時頃目が覚めたが、また寝た。
午前に船内生活オリエンテーションがあった。
午後は避難訓練があった。
出港後24時間以内に行わなければならないそうである。
朝食・昼食ともビュッフェ形式であった。
欲張らずに腹八分にしたが、ヨーグルトとジュースがなかった。
夜は、ウェルカムフォーマルディナーとパーティがあった。
9/9・火
午前中、ウォーキング25分、バイク15分した。
バイクはかなりの運動量でだいぶ汗をかいた。
午前GETのオリエンテーションがあった。
有料の授業が35回、無料のプログラム[40分]が35回、そのほかいろいろな企画がある。
英語を学ぶよい環境ではある。だが、無理をしないでマイペースで行こう。
午後、写真家・石川文洋の『ベトナムの戦争と平和』の講演があったが、とてもつまらないので途中退席した。
石川さんは写真を見せてその説明だけすればいいのにぐだぐだとおもしろくない話ばかりであった。
同じく午後、高遠菜穂子さんの『マザーテレサの家からエイズホスピスそしてイラク』の講演会もあまりに退屈で30分で途中退席した。
30分たっても子供時代の思い出から北海道でカラオケ店を出してうまくいった話だったのだ。
夜、高遠さんの『イラク報告』はとてもよかった。
パルージャの悲劇の実態は身の毛がよだつと言う表現だ。
高遠さんは自分で見たこと、人から聞いたことをきちんと使い分けていることがとてもよい。
誕生日にはバースデーケーキが無料サービスされるというので、試した。
なんと三人の男性がギターを弾きながらハッピーバースデーを歌ってくれ、
B5位のしかも私の名前が書かれたケーキを持ってきてくれた。
一人では食べられないので周りの人にも食べてもらった。
9/10・水
GETのクラス分けのためのインタビューがあった。
自己評価は微妙である。
どこの出身か、暇なときは何をしているか、埼玉県の特徴は何か、などの質問であった。
アンコールワット遺跡巡りオプションの説明会があった。
昼前から低気圧が襲ってきて、船揺れが激しくなった。
夕方過ぎには猛烈な揺れになり、テーブルの上のものは床に落ち始めた。
気分が悪くなり、ついに吐いた。
吐くとだいぶ楽になってが、食事もとらず、シャワーにも入らずトラベルミンを飲んで、お酒も飲まずに寝た。
夜中はさらにお激しく揺れた。
9/11・木
揺れはだいぶ収まり、seashickもだいぶよくなった。
朝は猛烈にお腹がすいていた。
今日からマラリア予防薬を6週間飲む。1錠360円。
予防万能薬ではないが、感染症は怖いから保険みたいなものだ。
10時から『GETオープンスクール』があった。
受講生のレベルはほんとにピンからキリまでのようだ。
9/12・金
一昨日たくさん寝て、昨日は揺れが残り風も強かったので甲板への出入りができなかったため、ウォーキングもできず、運動も足りなかったせいか、夜なかなか寝付かれずまた眠れなかった。
それでもかなり寝て、6時15分に起きて、洗顔して約30分のウォーキングをしたら、かなりの汗をかいた。
シャワーで軽く汗を流し、食堂に向かった。
食堂は7時オープンなのに閉まっている。
キャビンに戻って昨日の船内新聞を見ると時差が生じていた。
昨深夜時計を1時間戻すのを忘れていたのであった。
【時差と時計調整】
船は西に向かって進んでいる。約15度/1500km進むごとに1時間の時差が生じることになる。
こうして地球を一周すると一日ずれるので日付変更線が設けられた。
この日付変更線の位置はイギリスに一番都合よい位置に決められた訳だ。
【キャビン】
1.2m×10mで、ベッドが二つ入っている。
一つのベッドの上には折り畳みベッドがある。
最大三人で使用する場合もあると言うこと。
シャワー室は55cm×60cm、トイレ・洗面台がまとめられていて、その脇に1.2mほどの洋服掛け、その正面にデスク(45cm×150cm)が着いている。
これを二人・三人で使う場合はかなり手狭で、この状態で三ヶ月も生活するとなると家族でもかなりのストレスだろう。
テレビは付いているがアメリカのFOXTVとビデオなのでほとんど見ない。
バスタオル・フェイスタオル・バスマットとシーツは毎日変えてくれるが、僕は3~4日置きに変えてもらうことにした。
水道水はもめるがかなり消毒臭があり、飲み水とお湯は給水器で入れることができる。
エアコンは完全に切ることはできず、だいたい25~26度台であり、横になっているときなどは半袖では涼しいほどだ。
出発
洋上から三回ほど発信したが、その後通信事情が良くなかったので中止した。
そこで、初めから少しずつ載せることにする。
出発 [9/7]
今回のピースボートトラブル続きである。
当初8月28日出発の予定が1週間延びた。
さらに2日延びて、結局9月7日の日曜日となった。
当日、桟橋に着くと、さらに6時間も延びたのである。
いよいよと言うべきか、やっとと言うべきか、ピースボートが出発した。
9月7日10時集合だったが、着くと点検ができていないということで、午後2時集合ということになった。
映画館で時間をつぶそうと思ったがわからないので結局、家に戻ることにした。
関内駅から桟橋までは歩くと15分ほどかかるし暑かったのでタクシーにした。
2時半に乗船手続きをした。乗船手続きはうごく簡単で、パスポート・イエローカードとクレジットカードを提示するだけであった。
部屋に入ると送っていた宅急便が着いていた。
荷物はダンボール三つとリュック一つであった。
ダンボールは生活雑貨と服と本で、リュックはパソコン関係であった。
船室は四階で、ツインの部屋だが入居者は私一人である。
窓はないが、収納も十分だし文句はない。
遅れたのでオリエンテーションなどは翌日となった。
17時に出港した。
しばらく進むと東京湾は雷雲が被い、真っ暗で稲妻が走った。
まさに、このピースボートの行く末を予感させているかのようだ。
早速、缶ビールを飲んだ、340円と高くなく安心した。
ビールを飲みながら、外人グループがいたので話しかけたら、英会話クラスの先生たちであった。
食事はかなり質素であった。野菜が少ない。
案内された席は、8人席で皆女性であった。
おとなしくビールを飲んだ。
夜は、『東京ギャングスター』というミュージシャンのLIVEがあった。
ウイスキー・オールドのダブルの飲んだ。
船はやはり揺れる、ゆっくりと大きく。
僕には船酔いするほどのものではないが、気持ちよいものではない。
夜、エアコンの関係か空気がかなり乾燥して目が覚めた。
9/8・月
5時頃目が覚めたが、また寝た。
午前に船内生活オリエンテーションがあった。
午後は避難訓練があった。
出港後24時間以内に行わなければならないそうである。
朝食・昼食ともビュッフェ形式であった。
欲張らずに腹八分にしたが、ヨーグルトとジュースがなかった。
夜は、ウェルカムフォーマルディナーとパーティがあった。
9/9・火
午前中、ウォーキング25分、バイク15分した。
バイクはかなりの運動量でだいぶ汗をかいた。
午前GETのオリエンテーションがあった。
有料の授業が35回、無料のプログラム[40分]が35回、そのほかいろいろな企画がある。
英語を学ぶよい環境ではある。だが、無理をしないでマイペースで行こう。
午後、写真家・石川文洋の『ベトナムの戦争と平和』の講演があったが、とてもつまらないので途中退席した。
石川さんは写真を見せてその説明だけすればいいのにぐだぐだとおもしろくない話ばかりであった。
同じく午後、高遠菜穂子さんの『マザーテレサの家からエイズホスピスそしてイラク』の講演会もあまりに退屈で30分で途中退席した。
30分たっても子供時代の思い出から北海道でカラオケ店を出してうまくいった話だったのだ。
夜、高遠さんの『イラク報告』はとてもよかった。
パルージャの悲劇の実態は身の毛がよだつと言う表現だ。
高遠さんは自分で見たこと、人から聞いたことをきちんと使い分けていることがとてもよい。
誕生日にはバースデーケーキが無料サービスされるというので、試した。
なんと三人の男性がギターを弾きながらハッピーバースデーを歌ってくれ、
B5位のしかも私の名前が書かれたケーキを持ってきてくれた。
一人では食べられないので周りの人にも食べてもらった。
9/10・水
GETのクラス分けのためのインタビューがあった。
自己評価は微妙である。
どこの出身か、暇なときは何をしているか、埼玉県の特徴は何か、などの質問であった。
アンコールワット遺跡巡りオプションの説明会があった。
昼前から低気圧が襲ってきて、船揺れが激しくなった。
夕方過ぎには猛烈な揺れになり、テーブルの上のものは床に落ち始めた。
気分が悪くなり、ついに吐いた。
吐くとだいぶ楽になってが、食事もとらず、シャワーにも入らずトラベルミンを飲んで、お酒も飲まずに寝た。
夜中はさらにお激しく揺れた。
9/11・木
揺れはだいぶ収まり、seashickもだいぶよくなった。
朝は猛烈にお腹がすいていた。
今日からマラリア予防薬を6週間飲む。1錠360円。
予防万能薬ではないが、感染症は怖いから保険みたいなものだ。
10時から『GETオープンスクール』があった。
受講生のレベルはほんとにピンからキリまでのようだ。
9/12・金
一昨日たくさん寝て、昨日は揺れが残り風も強かったので甲板への出入りができなかったため、ウォーキングもできず、運動も足りなかったせいか、夜なかなか寝付かれずまた眠れなかった。
それでもかなり寝て、6時15分に起きて、洗顔して約30分のウォーキングをしたら、かなりの汗をかいた。
シャワーで軽く汗を流し、食堂に向かった。
食堂は7時オープンなのに閉まっている。
キャビンに戻って昨日の船内新聞を見ると時差が生じていた。
昨深夜時計を1時間戻すのを忘れていたのであった。
【時差と時計調整】
船は西に向かって進んでいる。約15度/1500km進むごとに1時間の時差が生じることになる。
こうして地球を一周すると一日ずれるので日付変更線が設けられた。
この日付変更線の位置はイギリスに一番都合よい位置に決められた訳だ。
【キャビン】
1.2m×10mで、ベッドが二つ入っている。
一つのベッドの上には折り畳みベッドがある。
最大三人で使用する場合もあると言うこと。
シャワー室は55cm×60cm、トイレ・洗面台がまとめられていて、その脇に1.2mほどの洋服掛け、その正面にデスク(45cm×150cm)が着いている。
これを二人・三人で使う場合はかなり手狭で、この状態で三ヶ月も生活するとなると家族でもかなりのストレスだろう。
テレビは付いているがアメリカのFOXTVとビデオなのでほとんど見ない。
バスタオル・フェイスタオル・バスマットとシーツは毎日変えてくれるが、僕は3~4日置きに変えてもらうことにした。
水道水はもめるがかなり消毒臭があり、飲み水とお湯は給水器で入れることができる。
エアコンは完全に切ることはできず、だいたい25~26度台であり、横になっているときなどは半袖では涼しいほどだ。