風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第63回ピースボート・地球一周の船旅8・ポートサイド/エジプ ト②編

2009年02月03日 | 63回ピースボート
第63回ピースボート・地球一周の船旅8
ポートサイド/エジプト編②




10/10
モーニングコールは8時であった。
わずかな時間であったが、ぐっすり寝られたようだし、腸内には何も残っていなくなったのも良かったようだ。
カイロの気温はルクソールと比べて遙かに低いようで、朝は涼しいくらいであった。
空腹を感じたので、おそるおそるパンと牛乳とジュースとヨーグルトなどだけを食べたが、腹痛はおきなかった。
一番にピラミッドを見に行くというので、ピラミッドを見て調子が悪かったらツアーを抜けてタクシーでホテルに戻ればよいと思って、出発した。
ギザノピラミッド


ギザのピラミッドからカイロ市内を臨む


観光ラクダ


スフィンクスとピラミッド


第二ピラミッド


全景


パピルス店・土産屋


ナイル川に浮かぶ船上レストランで昼食

お腹は持ちこたえていたので、消化が良さそうなものだけを選んで食べた。

ハンハーリ市場前広場

その後ツアーは巨大なハンハリーリ市場への自由散策となったが、
私は市場には出かけず、バスの中で休憩・睡眠を取った。

メルデリンホテル


ピラミッドは壮大な“無”のような観がしないではない。
ピラミッドは宗教的意味合いはあまり無く、権力誇示というよりナイル氾濫期、
農民の失業対策事業の意味合いが強かったと言うことが最近の通説のようだが、
また、同時代の中国では長城にそのエネルギーを費やすが、
ローマでは水道橋・道路・劇場・浴場などの社会的生産のインフラを作った。
一概にどの文明が賢明だったとはいえないが、ローマはぬきんでていると私は思う。

夕飯はナイル川クルーズでの食事とベリーダンスショウ見学であったが、
私と吉沢さんは体調が悪いので、部屋にルームサービスの食事とした。
サンドイッチとフルーツとスープとウイスキーを頼んだが、
その量はとても多く体調不十分な二人は食べきれなかったが、のんびり話しながら食事した。
吉沢さんは私より一つ年上で大阪の人で穏やかな人であった。
一時間半ほどで引き上げゆっくり休んだ。

ル・メリディアン・ヘリポリス宿泊

10/11
朝6時のモーニングコールで目が覚めた。
体調は万全とは言えないが、だいぶ戻った。
朝食も普通のものを少し控えめだが普通に食べた。
まずモハメド・アリモスク、別名要塞モスクの見学した。

天井

ドーム

アリの棺

モスク中央

時計台

カイロ市内を臨む

アリ要塞モスクの外観

大きなモスクだ。

ガーマ・リファーイーモスク


ガーマ・スルタン・ハサンモスク


★イスラームのモスクはとてもユニークで開放的だ。
靴は脱がなければならない、肌を露出するなどの服装はいけないが、後は自由だ。
中は特別なものは何もない。
メッカの方向だけがわかるようになっている。
天井は高い。ドームはお祈りの言葉や説教が響くためらしい。
また、高い塔はお祈りの声が遠くに届くためのようだ。
宗教画や像、偶像はいっさいない。

考古学博物館を見学した。

ものすごい人の数であった。
入り口でカメラを預ける。館内は撮影禁止。
一時間強、ガイドから代表的で有名な展示物の説明を聞いて見学した。
ツータンカーメンの棺室ではその黄金のマスクと棺は東京の電車のラッシュと同じ混み方であった。
ゆっくり見る時間が無く押し出されるように出た。
その後の自由時間に再来したらほとんど人がいなかったのでゆっくり見ることができた。
朝一番ならすいているというガイドの思いこみが失敗だったようだ。
考古学博物館は決して広く、大きくはない。
とてもすべてを展示できないので所蔵する多くは倉庫に眠ったままという。
それでも少し丁寧に見ればどのくらいの時間がかかるのだろう。
中国・台湾の故宮博物館、イギリスの大英博物館もっと大きいかもしれない。
だが、残念ながら見学の順路の案内も、展示物の説明も十分ではないし、
展示順序やまとめ方なども工夫がされているとはとうてい言えないし、
もちろん音声ガイダンスもない。
日本ではほとんど国宝級の物と思われる物が、整理されず、研究されず、
ただ無造作におかれているという感じだ。
この博物館内のミイラ室は他に20米ドルほどのエジプトポンドが必要で前日両替したのだが、
博物館の見学時間がたったの2時間なので、ミイラ室の見学はやめた。
エジプトポンドが余ったので両替屋に行ったら、
手数料30ピアストルないと20米ドルにならない、と言われた。
日本円にすると6円ほどか。30ピアストルを吉沢さんからもらって再両替した。

その後レストランで食事し、ポートサイドまでトイレ休憩なしのバス移動であった。
途中スエズ運河と併走した。
砂漠の真ん中を大型の船が通る不思議な風景ではある。

私は、サファガからオーバーランドツアーしたので、
スエズ運河を船に乗って通過することはできなかった。

運河沿いは畑で、水田らしき物も見受けられた。
船に4時半頃合流し、その後私は、一人でポートサイドの街を小一時間ほど散歩した。
ポートサイド市内のモスク・教会[名前はわからない]


夕方のポートサイドは涼しかった。
街は雑然としている。決してきれいではない。
街の中心部はかなり高いビルやマンションが建っているが[それでも12,3階だろうか]、
あちこち工事中であったり、廃屋地はゴミの山であった。
夕方にはモスクから呼びかけの放送が流れ、道ばたで礼拝する人々がいた。
途中モスクなどを見ているうちに方向を見失ったが大事には至らなかった。
海が見える大きな通りに出れば、大丈夫だからだ。
明るいうちに船の戻った。

エジプトは広い。ほんの一部を駆け足で通り過ぎただけだ。
砂漠の砂の色とナイルの恵みの緑の色なのだが、街・建物の色が砂色なので、
どこかよごれっぽい・ほこりっぽい感じがする。
道路は、街は汚い。
ゴミを捨てることには何の抵抗もないらしい。
命の川・恵みナイルから引かれた運河はどぶ川状態だ。
便所事情はエジプトだけ特別悪いわけではないが、観光立国なのに、である。
そして数少ないトイレだが、水量が無いため汚物がたまっていたり、きわめて汚い。
出入り口には人がいて、使用料を請求したり、トイレットペーパーを手渡してチップを要求する。
次に土産物売りのしつこさは尋常ではない。
路上で財布を開くのは絶対だめである。
また、品物を手渡された、受け取ったら、ほとんど断れない。
また、絶景ポイントがあると親切に案内、教え、サービス料を要求する。
また、写真を撮ってやると言ってチップを要求もする。
これは民間人だけでなく、警備員・観光警察官の一部も平然と行っている。
貧しさに起因していても気持ちよいものではない。
ただ、エジプトの物売りには子どもが少ないのは救いではある。

この時期のエジプト観光は失敗ではある。
半端な暑さではない。
観光というだけなら、私には是非再訪したいほどでは無いような気がする。
古代エジプトの遺跡は確かに偉大ではあるが、繊細さに欠けるような気がする。
ガイドのワエルさんはカイロ大学日本学科卒で、名ガイドであった。
ただ、このツアーには買い物屋への案内が多過ぎはした。
トイレを使用するという理由があったとしても、である。
私は土産物には全く興味がないが、みなさん良く買い物をする。
私は、2ドルで薄いショールをかった。日よけにはこれが一番であった。
船に返って選択したらものすごい色落ちであった。白にするべきであった。

ルクソールは都市と農村が混然としてゆったりした感じだ。
バスの車窓から見える農村は落ち着いた感じであった。
家畜が家屋の周りに人と一緒に住んでいる風景は本当に心和む感じであった。
人がロバに乗って移動したり、荷を運んだり、家畜が餌をはんでいる。
雨が少ないためだろうか、屋根の上に草が乗っている。
おそらくそれは家畜のえさになるのだろう。
また、家がどれも建築途中のような感じ、屋上に柱が突き出ているのだ。
手狭になったら、日干し煉瓦を積み重ね、すぐ建て増しできるかのようだ。

ナイルの水は本当に偉大だと痛感した。
ナイルの周辺は緑があふれている。
水道もだいぶ普及しているという。


カイロは大都会であった。
人も車もあふれるほどであった。
市場は広大で、人々があふれ、活気があった。

エジプトは観光の国、とも言われる。
観光警察は独特のシステムのようだ。
コンボイと呼ばれるツアー客を乗せた数多くのバスが観光警察の車に誘導されて、
一般道路を高速道路のようにノンストップで走る。
道々の交差点では、トランシーバと銃を持った地域の観光警察官が一般車両を止め、
観光バスコンボイが行き去るのを待っているのである。
このシステム、観光客のためのようであるが、見ようによっては逆のようでもある。
つまり、観光バスがばらばらに自由に通るよりも、ひとまとめにして通す方が効率が良く、
かえって渋滞にならないのかもしれない、と思った。


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