原題の"Remember"は、とても意味が深いです。これについては後述します。
邦題の「手紙は憶えている」はピント外れです。
とても面白い、いや良く出来た映画です。以下、あらすじ・結末が書いてあります。
アウシュビッツを生き延びた一人のユダヤ人の執念の復讐サスペンス映画です。
ある日、アメリカの老人ホームに、「ユダヤ人」のゼヴ夫婦が入所して来、マックスと運命的に出会います。
マックスもユダヤ人で、アウシュビッツの看守、オットー・ヴァリッシュとクニベルト・シュトルムに家族を殺され、
自らは、アウシュビッツを生き延びたユダヤ人です。
彼は、その二人が今なお生き延び、その一人がコランダーという名でアメリカで生存していることを突き止めます。
しかし、彼はもはや一人では動くことの出来ない体となっています。
そこで、マックスは実に深遠で周到な計画を巡らします。
マックスは、ゼヴが入所してきた時、彼にはマックスが何者なのか記憶が全くないことに着目したのです。
ゼブは、妻を失って以降、すっかり痴呆症が一気に進みました。
マックスは、目覚めると記憶が曖昧になるゼヴにまさに殺人計画書の「手紙」を書きます。
ゼヴは、妻の葬儀の後、マックスとの打ち合わせ通り施設を抜けだし計画の実行に着手します。
彼は記憶が薄れるとマックスの手紙を読み、その指示通り行動し、コランダーを次々と捜しあてます。
探し当てた三人は無関係であることがわかり、いよいよ残されたのは一人となり、クライマックスに突入します。
ゼヴは、彼にピストルを突きつけ、「真実を語れ、お前はコランダー、本当の名はオットーか」と問い質します。
彼の口からはとんでもない言葉が返ってきます。
「お前がオットーじゃないか」と。 ゼヴとマックス
ゼヴは、実はユダヤ人ではなく、アウシュビッツの看守のオットー、つまり彼こそコランダーだったのです。
ゼヴとは、ヘブライ語(確か)で「オオカミ」と言うあだ名でした。彼らは自らの腕に「囚人番号」の入れ墨をし、
二人でアウシュビッツを脱出し、過去を封印し、アメリカに渡り、生き延びていたのです。
シュトルムの衝撃的発言に、彼は、ゼヴからオットーに戻り、シュトルムを銃殺し、自らの頭も撃ちました。
銃も何十年も触ったこともなく老齢で銃を持つ手は震えているのですが、無意識下の銃の経験・腕前はプロ級でした。
さて、Rememberは、記憶ではなく、「忘れるな、憶えていろ」だという命令形だと私は思います。
彼が、コランダーの家でシュトルムを待つ間、彼はピアノに向かい、楽譜無しにピアノを上手に奏でるのでした。
その音楽は何と"ワーグナー"でした。実は、ゼヴはピアノの名手でした。
ヒトラー、ナチスはワーグナーをプロパガンダに利用しました。ユダヤ人にとっては、ワーグナーはタブー視しされています。
ゼヴは、言います。「お前の顔は忘れたが、お前の声は覚えている」と。
ピアノの妙手ゼヴは、耳が良かったのです。
ユダヤ人を装ってきた彼は、長らくワーグナーを封印して来たのですが、土壇場でワーグナーを見事に演奏したのでした。
マックスがこうした事情を調べることができたのは、1977年に設立された組織「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」です。
その組織は、ホロコーストの記録保存や反ユダヤ主義の監視を行い、ナチス戦犯を追及し続けています。
イスラエルの諜報機関・モサドも有名ですが、これらの組織の評価は様々に分かれているようです。
それらはこの映画のテーマではありません。サスペンスと言う観点からみて十分に楽しめた映画ですが、
痴呆症・老い・復讐、そし既に忘れ去ってしまった若き日に経験・体験したことが、無意識下に記憶されていて、
それが現在の自分の意志とは無関係に人を動かす、かもしれないといったこと、などのある種の恐ろしさと、
私自身の老いと死、そして痴呆は私にはとても興味深いものでした。
ここまで書いてきて、Rememberは、そうしたフロイト達の言う無意識下の記憶なのかもしれないとも思いました。 【4月10日】