風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

真言・高野山・東寺、天台・比叡山を巡る:2

2009年08月25日 | 国内旅行
以下番外[昼休み中に近くを歩く]
ビルマ塔[太平洋戦争ビルマ戦関係者が建立]

ビルマ塔内部の真っ暗な地下展示室                  距離標識        お札を作るお店に版木が       
    
刈萱堂


昼食後、大師教会内で、灯りを消して行われる受戒式[=十の戒めの言葉を聞き、瞑想する]に参加した[500円]。金剛峯寺霊宝殿

ここには多くの収蔵品があり、お薦めである。 金剛峯寺霊宝殿のホームページはこちら をクリック。

宿泊の京都東急ホテルまでは、バスで約1時間

夕食は付いていないので、京都駅近くまで出かけて、うどんで酒を飲んだ。
店を出ると小雨が降っていたのでタクシーで帰った。

三日目:
東急ホテルの朝食


教王護国寺・東寺
五重塔                              五重塔の入り口

通常、塔内は非公開だが特別に拝観が許された。
東寺の写真禁止は異常であった。五重塔の開いている扉を映そうとしたらダメであった。柵の外から。
信仰の対象であり、聖なる仏像を映像化するのは許されないというのか。
それならどうして東寺のリーフレットに仏像が映っているのであろうか。
版権の問題であるというのなら一理あるが、それはあまりに拝金で心が狭い。
光を当てたり、フラッシュをたくと文化財が痛むというならわかる。
除き穴から写真を撮るのもダメという東寺の思想は全く理解できない。
【高野山奥の院のように聖地だから写真はいっさい禁止、公開もされていない、これならわかる】
【エジプトの考古学博物館・ツタンカーメンの墓では、入り口でカメラを預けなければならない】
東寺のホームページは素晴らしいできばえで、沢山の仏像が美しく映っている。 東寺のホームページはここ 

講堂                                金堂

納経所                               太子堂

大日堂                               夜叉神堂

宝堂                               


比叡山延暦寺  次のイラストは比叡山振興会議のホームページから引用

比叡山延暦寺は、一つの寺・山ではなく、全体を言い、西塔・東塔・横川[よかわ]の三つに大きく分かれる。
比叡山は、京都の北東に位置し、陰陽道の鬼門にあたる。

東塔地区
大講堂                               法然上人・親鸞聖人                         一遍上人

阿弥陀三尊                             道元禅師・栄西上人                       親鸞聖人

比叡山は、写真撮影には寛容で、根本中堂の中以外すべてOKであった。

国宝殿                              根本中堂


阿弥陀堂

延暦寺会館で昼食                             【以下はツアー番外・昼休み中に歩いた】鐘楼は100円で撞くことができる。
    
    大黒堂                               文殊楼
    
    法然堂                              宮沢賢治碑
      
    法華経以外は邪教とする日蓮宗の信徒だった賢治は、浄土宗を信仰する家族と対立していた。その宮沢賢治親子が比叡山を訪れていた。

国宝館                               開運平和の鐘

20数年前、比叡山で世界の宗教者による平和についての集まりが開かれたと言う。

西塔地域
常行堂                                法華堂[弁慶のにない堂]
 
この二つは回廊でつながっていて、その下を通って釈迦堂に行く。
釈迦堂[屋根の脇、色が変わっているのは台風で壊れ、修理した。右]


横川[よかわ]地域
元三大師堂[元三慈恵大師]

雞足院潅室[普段は入ることができない]                履き痛んだ草鞋が掛けられていた。

雞足院潅室では、かつて部屋の四方の壁に曼荼羅の仏が掛けられていて、真っ暗闇の部屋の中、
目隠しをされ、先達に手を携えられて部屋を巡り、手にしていた花が落ちた所の仏を自身の本尊とする秘事が行われたという。
痛んだ所の修理が終わり、近々公開されるという。我々は特別に拝観した。暗くはない。

角大師[魔除け]

また、おみくじ発祥の寺とも言われる。

横川中堂

三方が舞台作りは珍しいと言う。屋根のひさし部分が遣唐使船にぶつかる波形をしていると言われる。

以上で高野山・比叡山の旅は終わり、バスで京都駅に向かった。17:56発~東京20:40着。
出発まで1時間ほどあったので、西本願寺に行ったが、境内には入れたが本堂は入れなかった。


高野山、比叡山、東寺ではそれぞれそこの専属のガイドが説明した。
そのガイド、しゃべり過、しかも親に孝、人に親切、何事にも感謝、スリッパきちんと並べよう等々、
まるで儒教の教えや倫理などのお説教がほとんどでうんざりだった。
私は、今回のガイドにもつくづく落胆した。
高野山・比叡山は涼しかった。雨は、京都で夜少し降っただけだった。
京都市内はすごく暑かった。
高野山と比叡山を一度に巡るツアーは珍しいそうだ。
個人の外国人が少なからずいた。
新幹線の新大阪・名古屋間は4000円程違うようで、ツアー料金を安くするため、名古屋から高野山に入ったが、これは大失敗であった。
今回初めて宿坊に泊まった。私としては特別の感慨はない。


―――――――― さて、以下は私のかなり個人的な感想、蛇足である。

即身成仏の思想と他力本願の思想とは私には両立しない。
即身成仏は断食などで生きたままで仏になるといった自己の救いの道のこと、壮絶な自力解放である。
他力本願は民衆をどう救済するのかという宗教者の思想・道と思う。
浄土真宗の他力本願の思想の私の理解は、自分の努力・修行・良い行い=自力で煩悩を脱し悟りに至るのではなく、
ひたすら阿弥陀如来に帰依[=全面的に依存]する思想である。
阿弥陀如来は、全ての民衆を救済することを自分の本願とする如来である。
失敗も喜びも阿弥陀如来の導きなのだから、それに一喜一憂しないでひたすら阿弥陀如来の導きに身を任そうと言う思想である。

仏像と仏教の教えも考えさせられた。
ユダヤ教、イスラーム教はいっさいの偶像を認めない。
唯一絶対の真理=神は形にできないとの考えは理解できないではない。
ユダヤ教から生まれたキリスト教は偶像のはん濫である。
一方、密教の大日如来は宇宙的絶対真理で実体はないのだが、人の形の大日如来像で表現される、不思議と言えば不思議である。
また、密教ではそれらを曼荼羅図として顕現し、それが信仰の対象ともなる。

弥勒菩薩は、釈迦の入滅後56億4000万年後に現れ人を救う、その間は地蔵菩薩が民衆を救済するのである。
菩薩像、地蔵とも人の形で表され、人々の尊敬と信仰を得ている。
観音菩薩は、様々な姿形に変化して人々の前に現れ人々に救いの手をさしのべる。
十一面観音は11の顔を持ち、千手観音は千の手と千の目を持つまことに異形である。
これらは雄大な思想ではあるが、私には複雑で理解はむずかしい。

仏と神々の関係も少し考えた。
仏に、どうして四天王・12神将・明王などの守り神が必要なのか。
仏教が土着の神々や悪霊を従えたと言うことは、周辺の部族を統合していった歴史の反映であることは理解できる。
だが、それらが信仰の対象になるのかは私にはちょっとむずかしい。

密教では、本尊は秘仏とされることが多い。
私は、この思想もよくわからない。
密教の加持祈祷にはシャーマニズムの影響が残り、神秘主義的である。
また、教えは師から弟子へ秘事的に伝えられると言う、そうした神秘性から秘事・秘仏となるのか。
だが、私は民衆に見られてこその仏像だと思うのだが。
仏像と写真撮影の問題はいつも考えさせられている。
どうして写真撮影してはいけないのか、納得いく説明がないと思う。

法然・一遍・栄西・親鸞・道元・日蓮など皆この比叡山で若い頃修行した。
そして彼らは、下山し新しい宗派を起こして行った。
それは当時仏教を学ぶ場が少なかった事情もあるのかもしれない。
それ以上に密教の教えに疑問や批判を感じたのは疑いのないことだと思う。
一番の問題は、自己の悟りの問題と苦しむ民衆をどう救済するのかと言う矛盾であったと思う。
                                終わり


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。