風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第63回ピースボート・地球一周の船旅3・アンコールワット編

2009年02月03日 | 63回ピースボート
第63回ピースボート・地球一周の船旅3
アンコールワット編[9/14~9/17]




9/14
VN323便ダナン発、ホーチミン14:50着
VN849便ホーチミン発18:35、シェムリアップ19:35着 
ソカー・アンコール・ホテル宿泊~

9/15
泊まったホテル

朝のシェムリアップの風景




入り口・全景


南門入り口


水牛

南門


バイヨン(東門内)




早大が修理している壁


アンコールトム内仏像

外の仏像


バプオン(フランス修理)


ガルーダ(半獣半魚)


象の鼻の飾り


王宮入り口


アンコールワット外観



主門


主塔


回廊


歯を出して笑う女神像


唯一残っているとされる仏像(後は盗掘)


セクシーな女神像


天地創造の図=綱引きの審判


《レストランKOULENで食事》昼食後ホテルに戻って3時まで休憩=昼寝
その後再び観光、夜は伝統舞踊ショーを鑑賞しながら食事

ソカー・アンコール・ホテル泊[シュムリアップ]

9/16
5時集合で、サンライズツアーに出るが雷雨のスコール


ホテルに帰って食事、ホテル前の道路[繁華街でこの街唯一の信号がある]
若い女性が道路清掃をしていた。


ホテルは右後方。
ホテルのすぐ後ろが仏教の寺院で、朝3時40分に太鼓がなる、
こちらでは中秋の名月のお祭り=雨期の始まりで水の恵みを感謝するそうだ。



前日のスコールで川が洪水を起こし、道路が冠水している。
バイクや自転車、徒歩者は人に背負われて運ばれる。

バンテアスレイ[女性の砦]
バンテアスレイの入り口には『地雷障害者自立村』の看板が。

民間人は地雷被害にあっても何の保障も手当もないそうだ。
地雷被害にあったと思われる人が物乞いをしている、みやげ売り子ども・大人の数が多いし、そのしつこさはすさまじい。
一度目があったらずっと離れず着いてくる。
驚いたのは遺跡観光を終えて出てくると私の写真が描かれた絵皿を見せられたことだ。
買いたかったがやめた。安くは無いだろうから。
絵はがき10枚で1ドル、写真集が千円程度。

入り口


全景


内部


東洋のモナリザと言われる女神像


アイスレイ主塔



レストランで食事後ホテルの戻り昼寝。

午後は
タ・プローム観光
[ガジュマルの木の根が遺跡群を覆い始めている]
そのガジュマロの木を宿り木がさらに巻き付き締め付けている。
木を伐採すると遺跡が崩落しかねないし、放置する訳にもいかず対策に苦慮しているとのことだ。




もう一つの遺跡、プリア・カン[王宮]



その後シェムリアップ航空でプノンペンへ。
19:50発FT997便、プノンペン着20:40、ホテルチェックイン後食事。
カンボジアーナ・ホテルは有名なホテルらしいが老朽化していて、良好とはいえなかった。
カンボジアーナ・ホテル宿泊

9/17
ホテルの窓からのプノンペンの街並み


朝食後ホテル食堂前からメコン川を撮る。



プノンペンのメインストーリーの通勤風景。


カンボジアのシェムリアップは地方都市と言うより、アンコールワット遺跡の入り口の街、と言うことか。
あたりは農村そのものである。
道路の脇、スコールで水がたまるところが水田、と言う感じだ。

カンボジアの教育システムはまだまだのようだ。
子どもは十分どころか小学校低学年で学校をやめるようだ。
教育に金がかかると言うことと、子どもも重要な労働力と言うことらしい。
牛の世話をしている少年には数多くあった。
放し飼いにすると稲を食べてしまうだろうから。
遺跡周辺ではおみやげ売りに驚かされる。
カンボジアはカンボジアリエルが通貨であるが、米ドルは流通している。
レストランではミネラルウォーターもビルもドルである。
価格は2~4ドルで決して高くはないと思うが、現地価値からすればすこぶる高値だろう。
売り子はワンダラー、おじさんかっこいい、と日本語である。
でも、どこか悲惨さは感じられない。
早周りして我々を待っていたり、途中で遊んだり、そして近くには必ず大人がいる。
大人が売るより、子どもの方が売れるのだ。

スコールが来れば子どもは嬉々として体を洗い、また水浴びをしている。
大人も日中は日陰で談笑しているという感じ。
貧しいと言うより、私には豊かさが感じられた。
日本のように水田は労働力集約と言うより、スコールで水がたまれば田植えをし、後は放置という感じ。
せっせと働いているという感じはしない。
果物も豊富らしい。

この豊かさも子どもへの教育の不十分さを考えるとやはり課題は多い。
読み書きはやはり必要だし、教育のあるなしは社会生活を強く規定するだろう。
テレビは少しづつ普及しているので都会的生活習慣が農村を席巻するのはそう遠くはないだろう。
特に貨幣経済の農村への浸透はいろんな問題を派生させるだろう。
いつまでも観光客相手の物売りでは展望はない、は実感である。
中央政府は地方の教育にまで予算も人も回せない、と言う感じだ。
また、アンコールワット遺跡の保存状態はすこぶる悪い。
野ざらしで、観光客の足に踏まれるままである。
雨も多く、このままでは朽ちていくのではないだろうか。

インドシナは今、雨期である。
雨期と言っても日本の梅雨とは全く違う。
一日中雨、と言うことではなく、朝晩、特に夕方スコールが降る。
それも生半可な雨足・雨量ではない。
あっという間に道路は冠水し、小川となる。
でも人々にはあわてない、ずぶ濡れになって歩き、自転車に乗っている。
雨は恵みの雨であり、雨が降ると人は喜ぶ。
特段の努力なしにも実りの秋はやってくる、は言い過ぎだろうか。
それは豊作の絶対条件だし、水道電気が普及していない農村ではそれはシャワーでもある。
雨も、日差しの強さも、気温の高さも東京都とは比較にならないほど強烈である。
我々との価値判断、比較はおそらく意味のないことなのだろう。
ベトナムの力強い活気さとカンボジアののんびりさの違いはどうして生まれたのだろう。
だが、両国とそこでの住民たちの生活レベルは詳しくはわからないだろう。

かつてのポルポト派がもたらした悲劇・損害は今なお強く社会を拘束している。
地雷は全国各地に今なお残っているし、
知識人層や社会的中間層の希少さも国作り・社会作りに困難をもたらしている。

私には、カンボジアは明るかった。


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