風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/ヤコブへの手紙とBIUTIFUL(ビューティフル)、大和の尼寺(三門跡寺院)展

2011年11月01日 | 映画
10月31日、映画/ヤコブへの手紙・BIYTIFUL(ビューティフル)を見ました。
その後日本橋高島屋で行われている『大和の尼寺(三門跡寺院)展』を見ました。
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フィンランド映画、75分の小作品ですが、文句なしの秀作でした。
上画面では見づらいですが、多くの賞(第82回アカデミー賞外国語部門代表選出、フィンランド・カデミー賞、
第33回カイロ国際映画祭グランプリと脚本賞など)を受賞したそうです。
出演者は全部で7人ですが、主に登場するのは盲目の牧師ヤコブとレイラと郵便配達人の三人だけです。
ストーリーはとてもシンプルです。
レイラは、赤ちゃんの時、母親から虐待を受けます。レイラの姉は身を挺してレイラを守りました。
大人になったレイラは、姉を虐待する夫を刺し殺してしまい、終身刑を受けます。
レイラの姉は、彼女の恩赦を願う手紙をヤコブ牧師に送り続けます。
しかし、姉の幸せを奪ってしまったと深く思い悩むレイラは生きる望みも無く、自ら命を絶とうとしています。
恩赦を受けたレイラは、ヤコブ牧師送られて来る手紙を読み、返事の代筆をして欲しいと言うヤコブ牧師の誘いを受け、そこで暮らし始めます。
他方、ヤコブ牧師への手紙もいつしか途絶えるようになり、ヤコブも次第に生きる希望を失っていきます。
牧師への手紙を井戸に捨ててしまって来たレイラは、届いていない偽りの手紙を読み始めます。
そして、自分の罪の懺悔の手紙を「語り」始めるのでした。
ヤコブは、姉が送り続けてきた手紙の束をレイラに見せるのでした。
レイラはブスなのですが、それまで暗かった彼女の表情がみるみる輝きを増し、美しくなって行きます。
素敵な映像でした。
二人の心が通い始めたつかの間、ヤコブは死んでしまいます。
レイラは姉からの手紙を携えて、姉の住むヘルシンキへ旅立つのでした。
私は、シンプルな制作方法にも驚きました。
レイラや彼女の姉が受けた虐待、レイラ姉の夫の殺害、彼女の服役時代、手紙を書き続ける姉などの映像は全く描かれていません。
普通なら、こうしたシーンを頻繁に登場させます。
そうした禁欲は、それらのシーンから受け取るだろう心象・イメージ・先入観は必要ない、
手紙=言葉をありのまま、感じるように信じ、受け取って良いんだよ、と言っているようです。
そう、映像はあるとき充分刺激的で、そのことによってかなり先験的イメージを作ってしまいがちだから。
映画は短いのだが、それぞれのシーンの時間はゆっくりと流れ、その間にイマジネーションを膨らませることが出来るのです。

さて、"東京公園"の私のコメントについて、「馬鹿者に、この映画の良さは分からない」とのコメントが私に届きましたが、
『ヤコブの手紙』は、私にはとても心が和み、癒される映画でした。
多額の制作費・長時間・有名俳優・アクションと過剰なセックス・突飛なストーリーなどのハリウッドと対極にある映画でした。
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スペインを舞台にした映画で、第63回カンヌ国際映画祭主演男優賞受賞、アカデミー賞主演男優賞などを受賞しています。
始めどこの街か分かりませんでしたが、バルセロナの目抜き通りラ・ランブラで分かりました。
その後、カタルーニャ広場や水道局タワー、サグラダファミリアなどが映し出されました。

事故で亡くなった多くの移民中国人の死体が捨てられたのはArtsホテルのモニュメント前のきれいなビーチでした。
焼き場はモンジュークの丘にあるとか広大な港湾が映像されますがほとんど一瞬で、いわゆる観光案内ではありません。
だが、映像が全体にスモークがかかったように暗く、そしてきれいでないのはとても残念でした。
私の見たバルセロナは明るく、きれいでしたから。
主人公のウスバルは躁鬱症を病む妻と別居し、二人の幼い子供と暮らしています。
彼は、露天で商売するアフリカ系移民達のブローカーのような仕事をしています。
彼は、突然、余命2ヶ月・末期癌の宣告を受けます。
一時、彼は妻とヨリを戻しますが彼女の病は重くそれは長く続きません。
彼の配下の移民達の一部がヤクに手を出し、警察に捕まり、その後始末などで彼は穏やかに死の準備を迎えられません。
寒さに震える移民中国人達に彼は安い暖房器具を贈るのですが、不良品のため事故が起こり多くの中国人が死んでしまいます。
朦朧とする意識の中で、彼は母親から聞いた父親との別れのシーンを思います。
父親は、ファシスト・フランコの圧政を逃れてメキシコへ亡命しますがメキシコに着いてすぐ肺炎で死んでしまいます。
自分より若い父親と雪の林の中で会話を交わしながら、「そちらはどうなの?」と彼の方に歩み寄って、映画は終わります。
ウスバルがあまりに良き人に描かれ過ぎ、それに反して妻の描き方はちょっと悲しすぎます。
良き妻・母親になりたい、なろうとすればするほど彼女はその重圧に打ちのめさせられます。
私は、彼女が不条理な格差や貧困と無知に苦しみ・もがき・格闘する民衆の象徴にさえ思えました。
私は、彼女の中には「希望」は見えなかったのですが、娘アナ(超美人ではない)が垣間見せる表情は「Biutiful(ビューティフル)」そのもので、
彼女なら父親の死、病気の母、逆境に耐え抜いて生きて欲しいし、出来る、という希望を見いだすのです。
おそらく「Biutiful(ビューティフル)」にそんな意味があるのではないでしょうか。
と、私は書いたのですが、どうも違うようです。
英語では、「美しい」はbeautifulです。私はてっきりbeautifulのスペイン語表示だと思ったのですが、
その意味は、「石ころ」で、同時に"旅立つ"=死 の意味があるらしいのです。
映画の中で、ウスバルは子ども、確か娘のアナに、ビューティフル=美しいのスペルは?と聞かれ、
それは、音の通り、biu ti fulだよと答えます。でも、それはおそらく間違いで、正しくはbeautifulなのです。
死が間近な彼は霊能力者に救いを求めます。彼女はウスバルの二つの石ころを渡します。
ウスバルは、子ども達に、それは"お守り"=私の思い出なのだよ、と手渡すのでした。
映画のタイトル=「Biutiful(ビューティフル)」には、こんな深い意味があるようです。

イタリア・スペイン・フランスなどの地中海諸国では、多くのアフリカ系移民達が路上で商売をしています。
彼らは、お土産や、鞄や、サングラスやおもちゃなどを路上で売り、雨が降ると彼らは雨宿りして、どこからとも無く傘売りが現れます。
彼らの生活の実態はほとんど知られていませんし、この映画でもそれを描くことが目的ではありません。
シーツのような風呂敷に商品をたくさん詰め込んで商売し、地下鉄で移動する彼らに暖かい視線を送っています。
「私の見たバルセロナは明るく、きれいでした。映画は暗かった」と書きましたが、
"明るいバルセロナ"だったら、この映画の雰囲気は伝わらないかな、とも思えます。
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日本橋高島屋8階ホールで開催されている『大和の尼寺 三門跡寺院の美と文化展』を見ました。
入場料は800円ですが、無料のチケットをもらったのです。


何十年ぶりかで入るデパートは、目がくらむようなまぶしい照明でした。
門跡とは、天皇家と関係する寺院のことですが、展示されている三つの尼寺に残された文物は非常に華やかでした。
映画の画面が暗かっただけに、そのまぶしさと華やかさが私には奇妙に印象深かったのです。
映画の後でなかったら、おそらく全く違った印象だったかもしれません。                    【終わり】


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