11月6日、高雄市から台湾・南部の嘉義市に移動しました。
8:30ホテルをチェックアウトし、私は一切の疑問を持たずにメトロで左営新幹線駅に向かいました。
切符売り場は、全く並ぶことなく買うことが出来ました。指定席で410元 9:00→9:34着
私は、新幹線(台湾では高鉄)嘉義駅(台湾では站)について、びっくりしました。
私の予約したホテルは、嘉木駅前と思っていたのですが、どうも様子が違います。
インフォメーションで聞くと、ここは新幹線の嘉木駅で田舎にぽつんとあり、在来線の嘉木駅は別だというのです。
その間は直線距離で15キロメートルも離れていてシャトルバスで30分もかかるのでした。
シャトルバスは1時間に3本ほどで20分ほど待ちました。
男性の一人旅、バスを待っていると風俗の客引きがありました。
嘉義駅 ホテルは、駅の目の前、徒歩2分にありました。
このビルはとてもユニークで、裏のもう一つの出入り口は1階から数階が映画館でその上に
三つほどのビジネスホテルが雑居しています。
裏口の映画館
ビルの入り口は狭いのですが奥行きがとてもあってかなり広いです。
私の予約したホテルは、嘉義優遊商旅(Yoyo Hotel)と言い、そのビルの11階にあります。
チェックインは3時なので、荷物を預けて出かけました。
冷蔵庫付き、バスタブ付きは良かったです。
嘉木駅には無料の自転車があるというので借りに行きました。
旅遊服務中心(インフォメーション)に行くと、日本語が出来る女性がいました。
駅のこちら側では自転車は出払ってありませんでした。
彼女は、反対側の後駅インフォに電話してくれると、1台空いて借りました。
無料ですが、IDカードが必要で、私はパスポートのコピーを渡しました。
嘉義市内は見当がつかないので、一番の観光ポイントである嘉義公園に向かいました。
市の西端にあり、直線距離で5km程です。
途中に地蔵庵がありました。
嘉義公園はかなり広いです。 孔廟
嘉義市史跡資料館(日本が台湾を植民地にしていた時、嘉義神社を作り、その社務所が資料館になっています。)
射日塔 神社は現在はなく、忠烈祠跡が射日塔となっています。
12階建てのビルで50元でした。 足元はガラス張りです。
昼食の時間になったので、麺でも食べようと思ったのですが、適当な店が見つからず、
目の前のコンビニでスパゲッティとヨーグルトを買いましたが、まずかったです。
台湾のコンビニは、店内にテーブルがあり飲食できますが、嘉義公園の木陰で食べました。
嘉義旧刑務所跡
天后宮
檜意森活村 嘉義は昔、檜の大産地で侵略した日本がこの檜のために鉄道を敷き、
嘉義は檜と鉄道の大拠点だったそうです。 広大な鉄道の敷地跡は、森林鉄道車庫公園になっています。
嘉義市文化局(音楽ホールなど) 嘉義市博物館(入りませんでした。)
仁武宮
城隍廟
中央噴水池 日本統治下の1931年、嘉義農林学校は台湾代表として夏の甲子園に出場し、準優勝したそうです。
北嶽廟
嘉義駅裏の嘉義鉄道芸術村。嘉義鉄道操車場跡の倉庫が開放されているようですがすっかり寂れていました。
富義宮 嘉義駅跨線橋
時刻は2時半過ぎ、日射しが強く気温も高く汗びっしょりになり疲れたのでホテルに戻ることにしました。
洗濯後、ゆっくりバスタブにつかり疲れを取りました。
インターネットは無線ランではなく有線ランで、ケーブル貸し代保証金100元でした。
ホテル代は3900元で、このホテルは予約時10%前納で、残金2648元でした。
夕飯は、適当な食堂が見あたらないので、持ち帰りの弁当にしました。120元
テイクアウトは台湾語では、「外帯」、いくら?は「多少銭?」です。読み方はわからないのでメモを示すと笑って応えてくれます。
夕方外に出るとかなり、昼の暑さが嘘のように涼しくカーディガンが必要でした。
嘉義市も古い町のようですが、高雄市と比べるとかなり田舎のようです。
そのせいでしょうか、バイクの数も高雄ほどではなく、私の鼻炎もだいぶ楽になりました。
明日の計画を立てよう地図を見ると、今日ほとんど回ってしまったようです。
来る前は、ガイドブックには嘉義市は市内の交通の便が良くなく、広いと思ったのですが、想像以上に狭いようです。
明日は、早めに自転車を借りて、ゆっくり市内を走り回ろうと思います。
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11月7日 金曜日、嘉義市二日目
翌朝の朝焼けです。
昨日は、駅の貸し自転車に行くとすでに貸し出されてしまっていたので、
今日は朝食後すぐ、インフォがオープンする朝8時に駅に行き、自転車を借りました。
ホテルに戻るとホテルにも貸し自転車があることが分かりました。
こちらの方は、6段変速で新車なので駅のよりはるかに良いので、こちらを借りることにしました。
駅の自転車を返し、出発したのは9時でした。
天気予報では、時々雨とあるのでレインコートも用意しました。
グーグルの地図はおおざっぱで、とても分かりづらいです。
博愛路二段という片道4車線ほどもある広い道を一路南下していると、途中に、
伏龍宮
大和宅急便の車がありました。佐川急便の車も後日見かけました。
30分程走ると北回帰線太陽館が左に見えました。地図の縮尺計を見ると約5kmほどですが、ずいぶん遠く感じました。
北回帰線とは簡単に言うと夏至の日、太陽の南中高度が90度になるところを北回帰線と言うそうです。
地球が傾いているためにそうなるそうです。ここから南を熱帯と言います。
北回帰線標識誌
北回帰線標識標 左に写っているのは借りた自転車です。 北回帰線太陽館
道路にかかる北回帰線のモニュメント
世賢路三段道路を左にひた走ります。片道4車線の道路の外側に歩道と自転車専用道路があります。
この道路は、木陰になっています。気温は高いのですが、木陰はさわやかな感じです。
南順宮
彌陀路にぶつかると右折です。小1時間ほど走ったでしょうか、彌陀禅寺が見えました。
入口の反対側に二二八記念碑があります。
二二八とは、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった民衆の一大運動です。、
国父と言われる孫文さんとならんで台湾人の誇り・アイデンティティを作っている重要な歴史的運動です。
各地にこの運動を記念し、次世代に残す施設があります。
当時、まだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)との大規模な抗争でした。
私は恥ずかしながらこの歴史的事件を知らなかったのですが、蒋介石在台中国人と台湾人との間には軋轢・抗争がありました。
今日の中国=台湾の対立と抗争・関係の歴史的背景と日本の台湾侵略・植民地の問題が入り組んで居ます。
国父と言われる孫文さんとならんで台湾人の誇り・アイデンティティを作っている重要な歴史的運動です。
各地にこの運動を記念し、次世代に残す施設があります。
当時、まだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と外省人(在台中国人)との大規模な抗争でした。
私は恥ずかしながらこの歴史的事件を知らなかったのですが、蒋介石在台中国人と台湾人との間には軋轢・抗争がありました。
今日の中国=台湾の対立と抗争・関係の歴史的背景と日本の台湾侵略・植民地の問題が入り組んで居ます。
彌 陀 寺 参拝者もなく、私はしばらく木陰でのんびりしました。
彌陀宝殿 本尊
霊隠塔
義民塔 道ばたでかごを売る人
二二八公園
二二八資料館 誻羅之年輪碑
蘇周連宗祠 [入れません。]
北安宮
昼食 麺と漬け物75元 おいしかったです。
阿里山森林鉄路車庫園区・北門駅 檜意森活村
嘉義はかつて檜の大生産地でその鉄道の広大基地跡が公園になっています。
嘉木駅近くの霊巌講堂本堂内仏像
台湾の街は慣れるとかなり分かり易いです。
ほとんどすべての道路に名前が付いていて、その標識が至る所にあるからです。
地図があれば道に迷うことはありません。日本のような交差点の名はありません。
グーグルの地図は、とてもおおざっぱで、神社などの記載が少ないの分かりづらいです。
バイクは多いですが、多くは交通信号を守り、車もバイクもあまりスピードを出していませんのであまり怖くはありません。
信号も多いのですが、路上駐車が多く、狭い道路では歩道と1車線を車とバイクが駐車し、歩道は通れません。
このときは、仕方なく車道を歩かざるを得ないのですが、注意が必要です。
七彩噴水円環は夜はきれいらしいのですが疲れているので出かけませんでした。
夕方、明日の切符を買いに出かけました。
私が泊まった台中のホテルは、新幹線の台中駅では無く在来線の台中駅近くです。
つまり、嘉木駅も台中駅も在来線の駅近くなので高い新幹線を使う必要は全くなく、
急行・指定席で行くことにしました。224元
本当は、高雄から嘉義までも新幹線ではなく、在来来線を使うべきでした。
私の、事前の調査不足でした。本数も多いです。
台湾の公共交通は本当に安いです。高雄のメトロは20~25元、路線バスは10元です。
台湾の新幹線代は日本と比べると安いですが、台湾の他の交通機関と比べると割高感がありますし、
新幹線の駅と在来線の駅がかなり離れている所もあるようです。
台北→高雄間は在来線ではちょっと長いですが、後は新幹線でない方が良いと思います。
嘉義市は高雄より気温が高く二日とも30度以上だったと思います。
自転車でかなり走り回ったので汗もかき疲れたので、少し早めにホテルに戻り、
明日から台中に入るので、荷物の整理などをしました。鶏肉はおいしそうに見えたのですが、
香草の香りが強く、私の好みの味ではありませんでした。値段は忘れました。
【11月7日、嘉義市終わり】