若くして、突然癌と宣告された男女二人の二つの物語。
見る前は、50/50はコメディタッチで面白そう、ハッピィエンドの方はつまらなそうと勝手な印象でしたが、
映画を見てみると、50/50はつまらなく、ハッピーエンドの方が面白かったです。
全くバラバラの二本なのですがこの上なくプロットが近似しているのは興ざめでした。
主人公の二人は、仕事が出来、友人・仲間からとても好かれ、日々の生活を満喫し、非の打ちどころのない「良き人」なのです。
彼らが、ガンと分かった時の周囲の対応もほとんど同じ、特に口うるさい世話焼きの母親像など
登場する人物がなんともステレオタイプで工夫がないんですね。
また、二人の主人公が惚れてしまう相手が、医者というのも全く同じ。
おいおい、脚本家ならもっと工夫し創造性を発揮してよ、と言いたくなります。
マーリーは死の直前まで自分の生活スタイル変えずに死んで行くのですが、彼女の死との向き合い方、
穏やかな死の迎え方はとてもクールでした。
彼女は、三途の川で、三つのお願いごとがかなうと言われ、下界にもどります。
「飛びたい」、「100万ドル」ほしいという二つの願いは叶えられ、三つ目はまだ「?」で、ちょっと時間をちょうだいでしたが、
彼女の友が言った「永らえる命」の願いでなく、フィクションの映画ですから、それはホントの「恋」でした。
100万ドルの保険に対して、税金が50万ドルというのが本当かどうかは知りませんが、
アメリカの医療保険の貧困さ・格差も垣間見えました。命を永らえられるのは金次第、は一面では真実です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自動車の運転は危険すぎるからと運転免許も持た無いのに、同僚に車で送ってもらう主人公のアダム、
彼の手術成功率はフィフティフィフティなのですが、彼は手術を受け、無事生還します。
予告遍では、癌であることをエサにナンパしまくる感じで期待していたのに、妙にシリアスで面白くありませんでした。
セックスだけが人生という彼の友人の「放送禁止用語」の連発も、あまりに過剰すぎてこれも興ざめでした。
ガンとそれに右往左往しすぎる社会を笑い飛ばすコメディにすれば良かったのですが。
抗がん剤治療で、つるつるになった頭をナンパする女性に触らせて、「プヨプヨして気持ちいい」程度のギャグではね。
アメリカでは、苦痛を和らげるために「葉っぱ」が処方されることが、本当かどうかは知りませんが、
禁じ手ですが、「葉っぱ」が効き過ぎてしまって、あまりに善き人になりすぎてしまって、
周囲がどぎまぎしすぎたり、人々の善意・優しさは上辺だけで、化けの皮がはがされ、
思わぬ展開が生じてしまうなんてのは、いかがでしょうか。
ラブロマンスものと思っていた"私だけのハッピー・エンディング"がコメディタッチで、明るい、面白かったのに、
他方、コメディと思っていた"50/50 フィフティ・フィフティ"はちっとも面白くありませんでした。
ホント映画は見てみないと分からないです。
アメリカ映画では、よくジョークが云々されますが、
「体温計を耳に挟んでいる医者が、それは何ですかと聞かれ、お尻にボールペンを取られた」、程度ではサブって感じですね。
また、この手の映画では悪人が出て来ないのも、とても陳腐です。
でも、頑張って、頑張ってのお涙ちょうだいでないのがせめてもの救いです。
映画は、つくづく脚本次第と思いましたね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
朝日新聞系のサイトasParaで試写券が当たったので、この後、もう一本映画を見ました。文京シビックホール。
シビック大ホールは座席数1800の大ホールで、音響効果が良いと言われています。
たしかに低音はずっしりとお腹に響く程すごいのですが、過ぎたるは及ばざるがごとしで、大きすぎる音、そして声が籠もっているかのようで、
音にクリアさが無いのです。そう、目をつむると誰の声か聞き分けられないほどです。
その上全編、効果音が騒々しく、大騒音の連続でした。
これは劇場のせいなのか、映画の方のせいなのかは分かりませんが、おそらく両方の責任で、大失敗です。
映画のスクリプトは、それ以上につまらないものでした。
高名な数学者モリアーティは、暗殺・爆弾・テロなど手段を選ばず戦争を起こし大もうけを企む死の商人で、
彼の野望阻止にむけてホームズとワトソンが挑むと言うだけの話。
私としては、シャローック・ホームズとワトソンの推理や謎解きやイギリスのイヤミたっぷりの皮肉や
訳知り顔のディレンタンティズムを英国なまりの英会話で楽しめると期待したのですが、
前作同様、全編ただ騒々しいだけの活劇でした。
ホームズは、まるでシュワルツェネッガー・スターローンやニコラス・ケイジ・ウィリスのような、
不死鳥スーパーマンなのです。
最期に二人は映画に良くある結末、つまり最も単純な人間の喧嘩スタイル、そう天下の天才が
智恵で争うのではなく、素手で殴り合うというもの。
おいおい、二人は比類の天才同士なのに、殴り合いかよ、あ~あでした。
二人は、断崖絶壁から滝壺に転落するとお粗末さです。
ワトソンが事の顛末を書き終え、"THE END"とタイプした後、ホームズが登場しTHE ENDの後に?とタイプして映画が終わります。
ホームズを画面に登場させず、タイプ音がして「?」とタイプされて、終わる方が味わいがあると私は思うのですが。
モリアーティの死体も発見されていないので、続編があるってこと? なのでしょうか。
一日に三本の映画を見る私もちょっと変ですか。
見る前は、50/50はコメディタッチで面白そう、ハッピィエンドの方はつまらなそうと勝手な印象でしたが、
映画を見てみると、50/50はつまらなく、ハッピーエンドの方が面白かったです。
全くバラバラの二本なのですがこの上なくプロットが近似しているのは興ざめでした。
主人公の二人は、仕事が出来、友人・仲間からとても好かれ、日々の生活を満喫し、非の打ちどころのない「良き人」なのです。
彼らが、ガンと分かった時の周囲の対応もほとんど同じ、特に口うるさい世話焼きの母親像など
登場する人物がなんともステレオタイプで工夫がないんですね。
また、二人の主人公が惚れてしまう相手が、医者というのも全く同じ。
おいおい、脚本家ならもっと工夫し創造性を発揮してよ、と言いたくなります。
マーリーは死の直前まで自分の生活スタイル変えずに死んで行くのですが、彼女の死との向き合い方、
穏やかな死の迎え方はとてもクールでした。
彼女は、三途の川で、三つのお願いごとがかなうと言われ、下界にもどります。
「飛びたい」、「100万ドル」ほしいという二つの願いは叶えられ、三つ目はまだ「?」で、ちょっと時間をちょうだいでしたが、
彼女の友が言った「永らえる命」の願いでなく、フィクションの映画ですから、それはホントの「恋」でした。
100万ドルの保険に対して、税金が50万ドルというのが本当かどうかは知りませんが、
アメリカの医療保険の貧困さ・格差も垣間見えました。命を永らえられるのは金次第、は一面では真実です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自動車の運転は危険すぎるからと運転免許も持た無いのに、同僚に車で送ってもらう主人公のアダム、
彼の手術成功率はフィフティフィフティなのですが、彼は手術を受け、無事生還します。
予告遍では、癌であることをエサにナンパしまくる感じで期待していたのに、妙にシリアスで面白くありませんでした。
セックスだけが人生という彼の友人の「放送禁止用語」の連発も、あまりに過剰すぎてこれも興ざめでした。
ガンとそれに右往左往しすぎる社会を笑い飛ばすコメディにすれば良かったのですが。
抗がん剤治療で、つるつるになった頭をナンパする女性に触らせて、「プヨプヨして気持ちいい」程度のギャグではね。
アメリカでは、苦痛を和らげるために「葉っぱ」が処方されることが、本当かどうかは知りませんが、
禁じ手ですが、「葉っぱ」が効き過ぎてしまって、あまりに善き人になりすぎてしまって、
周囲がどぎまぎしすぎたり、人々の善意・優しさは上辺だけで、化けの皮がはがされ、
思わぬ展開が生じてしまうなんてのは、いかがでしょうか。
ラブロマンスものと思っていた"私だけのハッピー・エンディング"がコメディタッチで、明るい、面白かったのに、
他方、コメディと思っていた"50/50 フィフティ・フィフティ"はちっとも面白くありませんでした。
ホント映画は見てみないと分からないです。
アメリカ映画では、よくジョークが云々されますが、
「体温計を耳に挟んでいる医者が、それは何ですかと聞かれ、お尻にボールペンを取られた」、程度ではサブって感じですね。
また、この手の映画では悪人が出て来ないのも、とても陳腐です。
でも、頑張って、頑張ってのお涙ちょうだいでないのがせめてもの救いです。
映画は、つくづく脚本次第と思いましたね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
朝日新聞系のサイトasParaで試写券が当たったので、この後、もう一本映画を見ました。文京シビックホール。
シビック大ホールは座席数1800の大ホールで、音響効果が良いと言われています。
たしかに低音はずっしりとお腹に響く程すごいのですが、過ぎたるは及ばざるがごとしで、大きすぎる音、そして声が籠もっているかのようで、
音にクリアさが無いのです。そう、目をつむると誰の声か聞き分けられないほどです。
その上全編、効果音が騒々しく、大騒音の連続でした。
これは劇場のせいなのか、映画の方のせいなのかは分かりませんが、おそらく両方の責任で、大失敗です。
映画のスクリプトは、それ以上につまらないものでした。
高名な数学者モリアーティは、暗殺・爆弾・テロなど手段を選ばず戦争を起こし大もうけを企む死の商人で、
彼の野望阻止にむけてホームズとワトソンが挑むと言うだけの話。
私としては、シャローック・ホームズとワトソンの推理や謎解きやイギリスのイヤミたっぷりの皮肉や
訳知り顔のディレンタンティズムを英国なまりの英会話で楽しめると期待したのですが、
前作同様、全編ただ騒々しいだけの活劇でした。
ホームズは、まるでシュワルツェネッガー・スターローンやニコラス・ケイジ・ウィリスのような、
不死鳥スーパーマンなのです。
最期に二人は映画に良くある結末、つまり最も単純な人間の喧嘩スタイル、そう天下の天才が
智恵で争うのではなく、素手で殴り合うというもの。
おいおい、二人は比類の天才同士なのに、殴り合いかよ、あ~あでした。
二人は、断崖絶壁から滝壺に転落するとお粗末さです。
ワトソンが事の顛末を書き終え、"THE END"とタイプした後、ホームズが登場しTHE ENDの後に?とタイプして映画が終わります。
ホームズを画面に登場させず、タイプ音がして「?」とタイプされて、終わる方が味わいがあると私は思うのですが。
モリアーティの死体も発見されていないので、続編があるってこと? なのでしょうか。
一日に三本の映画を見る私もちょっと変ですか。