鳥取県中部を回る中国四十九薬師めぐり。4月22日は琴浦町の「サンシャインとうはく」で宿泊。日本海の波の音を聴きながらの1泊となった。
翌23日の5時過ぎ、部屋からの景色はすでに明るくなっていた。日の出は5時24分、せっかくなので日の出を見ようとホテルからすぐの海岸に出る。
海岸に着くとちょうど太陽が顔を出したところで、常に打ち寄せる波の音を聞きつつ、ゆっくりのぼるのを遠く眺める。今日もいい1日になることを期待する。
部屋でもう少しゆっくりした後、朝食である。一通りのバイキングメニューが揃い、家庭的な味である。大山の白バラ牛乳のパックもある。普段牛乳は飲まないのだが、せっかくなので1本いただく。この白バラ牛乳を製造する大山乳業も琴浦町にある。
さてこの日の行程だが、琴浦町から倉吉市に入り、第42番・大日寺に参詣。その後、関金地区をたどることもあり、旧国鉄倉吉線の廃線跡に立ち寄る。そして三朝町に入って第43番の皆成院に行くが、この皆成院、三徳山三佛寺の塔頭寺院である。
三佛寺といえば国宝の投入堂で有名なところ。投入堂にたどり着くには修行用の山道を進む必要があるが、危険防止のため1人での参詣はお断りとある。前回、中国観音霊場めぐりで三佛寺を訪ねた時も、同じバスに乗って来た個人客どうしで声をかけ合えば一緒に上ることができたかもしれないが、断念している。今回も一人旅だが、投入堂まではまあいいかなという思いもあるし、上れるなら上ろうという気もある。現地に行ってからのことにしよう。
8時前にホテルをチェックアウト。地図を見ると大日寺はちょうど南の方角にある。道順を考えても、前日倉吉まで行って戻るより、琴浦町に泊まったのは正解だったようだ。琴浦町役場の横を過ぎ、右手には大山の北壁から船上山にかけての景色も見ることができる。船上山は、隠岐に流された後醍醐天皇が名和長年の手引きにより迎えられたところで、倒幕の狼煙を挙げたところである。
その大山の手前に風力発電設備が10基ほど建っている。鳥取県内にも複数の風力発電所が存在しているが、琴浦町の風力発電所では2020年にブレードの折損事故があったそうである。風の力を利用して電力を起こすのに、風が強すぎてもいけないというから難しいものだ。
倉吉市に入り、集落の細道を通って大日寺に到着する。石州瓦の建物で、里山の素朴な寺院の佇まいである。
大日寺が開かれたのは平安時代、慈覚大師円仁によるとも、恵信僧都源信によるともされる。古くは、高野山に則り上院・中院・安養院にわかれて300あまりの坊を擁する大伽藍があったそうだ。これだけの規模となると大山寺に匹敵するのではないだろうか。しかし戦国の兵火により荒廃し、その後は小さな一つの寺として現在にいたる。
本堂の前でお勤めとして、箱に入った書き置きの朱印をいただく。
寺の奥には収蔵庫がある。四十九薬師の本尊である平安時代作の薬師如来像のほか、鎌倉時代作の阿弥陀如来像、石造の大日如来像などが祀られているとある。また他に、日本最古とされる瓦経も多数出土しているそうだ。こんな里山に、と思うところだが、歴史をさかのぼれば伯耆の国府は現在の倉吉にあり、また大山信仰の文化、大陸に近いということもあり、文化的に進んでいたところだったのだろう。収蔵庫の見学(拝観)もできるが事前予約が必要のようだ。
先ほど見た船上山に後醍醐天皇が迎えられたのも、別にどこの山でもよいことではなく、熊野権現を祀る山岳修行の場であり、多くの僧兵も抱える要塞だったことによるそうだ。
もし、後醍醐天皇が隠岐ではなく別の地に流されていたら、倒幕もまた違った形になったのかな。
これで大山の東西の札所を回り、三佛寺に向かう。その前に、旧国鉄倉吉線の廃線跡である・・・。