まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「バンキシャ」から見えるもの

2009年03月17日 | ブログ

日本テレビ「真相報道バンキシャ」で虚偽の報道がなされたとして、日本テレビの社長が辞任に追い込まれるなど、マスコミ界では大きな騒ぎとなっている。

私はこの番組を見ていないのでどういう報道があったのかわからず、真相報道でも虚偽報道でもどっちでもいいやという感じなのだが、「報道」をタイトルに出す以上は、ウソはいかんなと思う。

それにしても、思い出したようにどこかの局で「誤報」やら「ヤラセ」「偽装制作」が問題になる。部外者から見れば、ライバル局の人間が内輪でお互いに足を引っ張り合っているのかと思う。

「テレビや新聞で伝えられることが全て正しいとは限らない」とはよく言われるものの、ニュースや報道というのは今や「何があったかだけを伝える」ものではなく、全ての出来事についてキャスターもコメンテーターも一言口を挟んで(庶民の味方といいつつも億単位のギャラを稼ぐ人もいますが)成り立つ番組である。今や純粋なニュースといえば、街角や新幹線車内のテロップで流れるヘッドラインニュースくらいのものではないだろうか。

確かにある問題について深く取材する、掘り下げて検証する番組も多く、大部分の制作者はその姿勢で番組をつくっているのだろうが、その一方で(いい意味でも悪い意味でも)マスコミは影響力が強いこと、どこか特権的な意識を持っていることを忘れてしまうのだろうか。報道を通して視聴者がいろいろ自分で意見を考えればいいのだが、視聴者に「そうだ」と思わせたり、世論をリードするのが番組づくりの目的になってやしないか。

あとは視聴率や発行部数のためなら何をやってもいいと思っているとかね。

個人が勝手に書いているブログとは違うのだから、プロとして今後どのような報道を続けるのか、徹底的に原因を洗い出し、再発防止に努めてほしい(という掛け声は非常に空しく感じますが)。

どうせ番組を打ち切るのなら、最終回は「真相報道!バンキシャ ~これが報道・スクープ合戦の裏側だ」とでも題して、いろんな取材の手口(中にはカネをつかませる、色仕掛けで迫るなどというのもあるでしょう)を明かして、「報道の真相」を報道してほしいものですな・・・。

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