まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

都城から吉都線へ~2010年GW九州旅行記

2010年05月08日 | 旅行記H・九州

「ドリームにちりん」で過ごす一夜。鉄道での旅行が好きな私であるが、「座席夜行」というのは列車・バスともにどちらかといえば苦手科目。なかなかゆったりと寝付くことができないということもある。

Dscn9230 深夜1時半に大分に到着して2時間の停車となったが、早々と車内に戻りシートを倒すうち、いつしか寝入ったようである。大分を発車したのに気づかなかった。これはグリーン車というゆったりした座席にいたということもあるだろうし、「こだま」で5時間かけて福岡までやってきた前日は朝3時半起床というスケジュールだったこともあるだろう。結構眠れたほうである。

・・・とはいうものの、5月2日の朝5時を回った延岡駅で見事に目覚める。「ドリームにちりん」は延岡からは日豊本線の始発列車という役割を担う。自由席を中心に乗客があったようである。考えてみればこの列車は宮崎空港行き。宮崎空港から飛行機を利用すれば大阪も東京もぐんと近い存在である。

Dscn9229 日向市を過ぎたところで、ちょうど日向灘に昇る朝日を見る。まさに「ひむかの国」のムードを高めてくれる。こういう朝日を見ることができるのも、夜行列車ならではの味わいである。何だか朝日というのがありがたいもののように見えるし、寝ぼけ眼もこれでパチッと覚めるというもの。

Dscn9232 6時25分、宮崎に到着。列車は宮崎空港行きだがここで下車する。そもそも今回の旅行を計画した当初は宮崎からの日南線の旅で、飫肥や鵜戸神宮などを回るというのも考えていたが結局パスするといういきさつがあった。早くから開いていた駅内のコンビニで朝食を買い求め、7時発の西都城行きに乗車する。

Dscn9234 ここからの列車は817系というやつ。ステンレスの車体に、独特のシートを持つ車両である。頭のせがクッション状になっているのは座り心地としていいのだが、どうにも薄っぺらい印象である。でもまあ、今や九州の電化ローカル区間ではこの車両が主力となりつつある。

宮崎の市街地を抜け、田野を過ぎたあたりから山越えに入る。同じ宮崎県内とはいいつつも国境を越えるような勾配である。そういえばこの辺り、日向と大隈の境目にあたるのだったかな・・・。

Dscn9239 「秘境駅」にもランクされる青井岳に到着。一瞬、ここで途中下車して秘境ムードを味わおうかとも思ったが結局そのまま乗車。オープンな車内から山越えをこなしていく列車の走りを楽しむことにする。

Dscn9241 結局7時57分に都城に到着。かつては交通の要衝として栄えたことがうかがえるが、駅構内には雑草生い茂る線路跡が広がっている。宮崎県で2・3番目の街の玄関駅としてややさびしい感じがする。逆に言えば、どこかの「鉄道時間」が停まったままというか・・・。

さて本日の行程は、ここ都城から吉都線で吉松まで北上し、肥薩線で隼人へ南下、鹿児島中央まで行って宿泊というもので、完全に「乗り鉄」の行程である。その吉都線だが次は10時12分発。2時間あまりの待ち時間がある。それならば宮崎で多少ゆっくりするとか、それこそ途中下車するとか、時刻表を見れば日南線で青島まで行ってダッシュして帰ってきてからでも間に合うというものである。そこをあえて都城まで先行して待ち時間をフルに出すことにしたというもの。

その都城であるが、特に何かあてやお目当てがあったわけではない。しかしながら駅でボンヤリするのももったいないので、とにかく歩いてみることにする。

駅にあった観光パンフレットを見ると、都城の地を開いたのは「島津荘」と呼ばれる荘園で、鎌倉時代にこの地を治めたのが後の「島津氏」である。戦国時代から幾多の名将を出し(「信長の野望」などでは島津氏の武将は概ね能力が高く設定されている)、それが明治維新にまでつながった一族である。言ってみれば「島津発祥の地」である。これは意外な発見。

もっとも、島津氏が完全に鹿児島に本拠地を置くようになってからは都城は分家の扱いとなり、いつしか「北郷(ほんごう)」の姓を名乗るようになり、江戸時代には「都城島津氏」ということになった。家紋には「丸に十字」が使われたが、十の字が丸から微妙に離れているなど、まあ分家の扱いである。

さて都城には江戸時代の町割りも残されているということで、2時間という時間を利用して歩くことにする。まだ朝の8時とはいえ太陽は高く昇っており、歩いていると暑さすら感じる。

Dscn9242 まず向かったのは11世紀初頭に開かれたという神柱宮。天照大神を祭るとともに、島津の荘園の総鎮守として崇敬されたという。大きな鳥居もあり、神社の周りには広い公園もある。この日はフリーマーケットが行われるようで、朝から多くのクルマが乗り付けられ、開店準備をする人たちが結構いた。

Dscn9245 ここから20分ほど歩くと都城の中心街にやってくる。江戸時代には領主の館が置かれ、武家屋敷も広がっていたところである。かつての長屋門(明治時代には隣接する攝護寺の通用門となった)やら、番所の跡も見られる。古い建物は長屋門くらいしか残っていないが、城下町の町割りというのは道のつくりや町名に残されている。

Dscn9247_2 北口番所跡には、かつて陸軍で大きな力を持った上原勇作の銅像が建つ。都城の出身だったんですな。

Dscn9250 この後、大淀川の橋を渡った向こうに城郭の建物を見る。ここがかつての「都城」の跡地で、現在は歴史資料館が建っている。時間があれば見学してもよいところが、歩きだけだと2時間というのはあっという間に経過し、見学する時間はなくなった。外側だけ見て引き返す。

Dscn9249 戦国時代の平山城から、江戸時代の平地に城が移り、そこを中心に城下町が発展してきたという事例の町である。観光スポットは郊外に広がっており、町としては地味な感じかもしれないが歩いてみて結構意外な発見もあり面白かった。ただ暑い・・・。

Dscn9253 都城駅に戻ったときには結構いい時間、吉都線の列車の発車間近であった。キハ47の2両編成、早くも冷房から弱風が吹き付ける。とはいうものの中途半端な感じなので、乗客も少ないのをいいことに窓を開ける。窓を開け、豊かな風が気動車の車内に吹き込んでくる中ビールを空ける。先ほど町歩きをしてきたばかりということもあり、回るのも早いような気がする・・・(まだ午前中ですが)。

Dscn9260 「えびの高原線」の愛称の通り、進むに連れ風も涼やかなものになってくる。周囲では牛舎もちらほらと見られ、畑で育てているのはコメではなく牧草のようである。時折、牧草を刈り取ってロール状にしていく作業を見ることができる。

Dscn9259 「えびのいいの」「えびのうわえ」という駅名が続く。「えびの飯野」が「海老の良いの」に聞こえたり、「えびの上江」が「海老のうわえ」という、何だか太田和彦氏の居酒屋ルポで、「主人のおすすめの一品」で出てきそうな海老の珍味らしきものを想像してしまったり、結構いい加減に過ごす。

吉都線の車窓といえば韓国岳を中心とした霧島連峰であるが、残念ながら天気が良すぎて空が霞んでおり、頂上のあたりを見ることができなかった。それでも「窓の開く高原列車」のムードを充分楽しむことができた。

Dscn9263 11時41分、吉都線の終点・吉松に到着。向かいのホームに人吉行きの観光列車「しんぺい」がおり、そちらに乗り継ぐ人もいる。さすが人気列車とあって「しんぺい」は立ち客も多く出ている。このところのローカル線人気、特に肥薩線のような「超」」がつくローカル線ともなればゆったりとできないのが複雑な気持ちである。

さて「しんぺい」号を見送り、吉松駅でしばし停車。この後は引き続き肥薩線を隼人方面に下ることにする・・・・。(続く)

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