5月22~23日は「お散歩だんらんの会」の集会に遠征参加ということで小田原へ。これまで小田原といえば小田原城と蒲鉾くらいしかなじみがなかったのだが、仲間と散策する中でさまざまな発見があり、結構お気に入りの城下町ということになった。
そのことについては後ほど書くとして、今月の初め以来長期にわたって書いてきたGWの九州旅行記のほうを進める。
さて最終日(5月5日)、肥薩線は人吉駅で「SL人吉号」の雄姿と対面した後、八代行きの普通列車に乗車。1両編成であるがボックスは相席が発生しない程度の乗車率。球磨川沿いに走るのはこちら側でよかったかなと思いながら、進行方向右側のボックス席に陣取る。昼食は人吉の昔からの駅弁「鮎ずし」である。酢の香りが鮎によく染み込んでいる。
球磨川下りの拠点でもある渡を過ぎると球磨川の土手が進行左手に近づいてきた。そして肥薩線の線路は鉄橋で川を越した。これで川の流れは進行右手に来て、私の読みが当たった形になる。水量も豊かで、山の緑が川面によく映えている。縁起のいい「一勝地」という名前の駅や、名勝・球泉洞というスポットもあるのだが、列車の時間の関係で通過となるのが残念である。
こういう車窓の中を、先ほど「SL人吉号」が走ってきた。実に絵になる風景になるなと思う。途中の駅からは、球磨川とのショットを無事に収めたか「その筋」とおぼしき客の乗車もあった。
1時間あまりの行程を終え、肥薩線の視点である八代に到着。今回の旅行、こと鉄道に関しては肥薩線をメインに据えたところがあるが、豊かな自然と鉄道遺産の数々を満喫できる路線として人気があるのも何だかわかるような気がする。何度訪ねても面白いと思うし、今度来る時は違ったアプローチで楽しんでみたいなと思う。
さて八代である。この後は新八代まで出て「リレーつばめ」に乗車するのだが、それまでの時間を使用してバスに乗車。10分ほどで、八代城跡に立つ八代宮に到着。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子として足利軍と戦った懐良親王を祭る。そのためか建物に結構権威という感じが漂っている。
その八代城跡を抜けたところ、北の丸のあった位置にある屋敷。松浜軒という。元々は熊本藩の家老として八代を治めていた松井家のお茶屋、庭園であったという。この松井家というのも代々風流の道を好んでいたのか、茶器や陶器のコレクションも多く残されており、現在は「松井文庫」として伝えられている。
そして、屋敷と庭園を見る。八代の街の中心部に近く、外の道路は交通量も多いのだがこの空間だけは喧騒を忘れさせる静かな佇まいである。
この松浜軒を訪れるのはある理由があってのこと。それはこの記事のタイトルにもある内田百閒ゆかりのスポットということからである。
松浜軒、現在は庭園として開放されているが、戦後の一時期は旅館業も営んでいたことがある。旅館といっても元々が殿様のお茶屋ということもあり、VIPが宿泊するような宿である。内田百閒といえば『阿房列車』という鉄道紀行文の元祖ともいえる作品を残しているが、九州は鹿児島を訪れた帰途、肥薩線を経由して八代に降り立っている。その八代で宿泊したのがこの松浜軒。ここの庭園や女中の対応というものがすっかり気に入った百閒は、その後九州を訪れた際は必ず八代を訪れ、松浜軒に宿泊した。通常、宿泊した旅館の名前を文中には出さないのだが、この松浜軒は数少ない例外である。
庭園に面した部屋が一番の上の間とされている。現在の感覚で見ればえらいオープンな雰囲気だが、そのおかげで(中には入れないものの)鉄道紀行の大家と同じ空気を吸っているのだなと実感することができる。もう一度『阿房列車』を読んでみようか。
八代駅に戻るが、手ごろなバスの時間がなく結局3キロの道のりを歩く。八代から各駅停車で1駅、新八代まで移動。ここで九州新幹線のホームに移動し、「リレーつばめ52号」に乗車する。
ちょうど鹿児島中央からの「つばめ」も到着し、多くの客がここで乗り換える。指定席は全て満席、自由席にも立ち客が出ている模様である。来年の春にはこの新八代から北も開通し、九州新幹線と山陽新幹線が一本でつながる。現在の「リレーつばめ」という名前も消えることになる。おそらくこの名前の列車に乗ることも最後だろうし、グリーン車をあらかじめ購入しておいた。2列-1列のゆったりした配置で、九州内の最後を飾るのにふさわしい列車である。
今回は訪れることができなかったが、熊本市内も久しぶりに訪れたいなと思う。
九州新幹線の橋脚も着々と完成しているようで、時折並走する。何だか車窓が変わるのを感じる。一方で、新幹線が開通した暁には在来線の列車網がどのようになるのかが気がかりである。JRの路線網がズタズタにされるのだけは勘弁してほしいところだが・・・。
博多に到着。いよいよ5日間過ごした九州ともお別れとなる。新幹線までの間、駅ビル内のもつ鍋「おおやま」で、最後は鍋で締める。結局、初日のヤフードームでの野球観戦に始まり、小倉(下関)、宮崎、鹿児島、枕崎、人吉、そして博多と列車で九州を一周したことになり、実に思い出深い旅となった。