5月2日、肥薩線の吉松駅。都城から吉都線経由でやってきた列車はそのまま肥薩線に入り、隼人駅まで行く。
しばらく停車するので一度改札を出て、肥薩線の記念切符を買い求めたり、駅前に展示されているSLを見に行ったりする。この吉松も古くはジャンクションとして賑わい、鉄道に従事する人たちも数多く住んでいたところである。このSLも当時の名残である。
さて、肥薩線に乗車するのも久しぶりである。肥薩線といえば八代からの球磨川の眺め、人吉~吉松間の矢岳越えなどの車窓が名高く、かつて私が乗車した時も吉松から隼人までの間はのんびりとした山間のローカル線という印象でしかなくあっさりと通過しただけだったのだが、ここ最近はこの区間も含めて肥薩線全体が「人気ローカル線」となっている。
吉松から隼人までの区間が注目されているのは、明治時代の開業以来現在に至るまで現役の木造駅舎のある駅があること。この日は、というか、今回の旅のメインに据えたかったその駅舎・・・大隅横川と嘉例川を訪ねようと思う。
12時ちょうどに吉松を出発。高原ムードの好天の下、コトコトと気動車が走る。2つ目が大隅横川である。反対側ホームに木造駅舎を見るが、ここはそのまま乗車して通過する。
12時34分、いよいよ嘉例川駅に到着。意識してこの駅に降り立つのはもちろん初めてである。さて、いよいよ明治以来の木造駅舎とご対面・・・。
するとそこには予想していたより多くの人が待ち構えていた。とてもローカル線とは思えない光景、いや、最近の人気ローカル線に見られる光景がそこに広がっている。
GWということだからある程度人の姿を見ることは予想できたが、それにしても多いこと。観光地の玄関駅のようだ。もっともまあ、この駅舎自体が今や観光地といえるのだから仕方ないか。
人が多い理由ははっきりしていた。この日、JR九州主催のウォーキングイベントがこの嘉例川駅を起点にして行われており、この手のウォーキングイベントの参加の中心である中高年の人たちが多く訪れていたのだ。ちょうどウォーキングも終わったようで、駅前の公園(おそらくこれも、昨今の鉄道ブームとやらに乗っかって造られたものか?)で昼食タイムといったところである。
どうしても人が多いので写真を撮るのに苦労したが、開業当時の姿を止める駅舎のあれこれをカメラに収める。まあ、かつての賑わいがこんな感じなのかなと思えばそれもまたよしかな。これが作り物ではなく本物というところに深い味わいを感じる。
木の温もりを感じるベンチ、窓格子、改札口、ホーローびきの看板、黒々とした瓦屋根・・・見ていて吸い込まれそうである。
時間はあっという間に過ぎ、13時25分発の列車で先ほど通ってきた吉松方面に向かう。20分足らずで到着したのは、先ほど通り過ぎた大隅横川駅。
さてこちらも嘉例川と同じく明治の開業当時から残る駅舎である。ただこちらは先ほどの嘉例川ほど「観光地化」されておらず、あくまで地元・横川地区の玄関駅として地元の人たちに利用されている駅舎である。
駅前にこいのぼりが上がるのを見て端午の節句を感じたり、しばし駅の外で日向ぼっこする。
それにしても、木造駅舎を見て温かみを感じるというのはどういう心境からなのだろうか。おそらく高校生や大学生の時に鉄道で旅に出て、こういう駅舎に出会ったとしても「古い」「ボロ」とかいう心境が先に来るのではないかと思う。新しい駅舎、新しい車両のほうが「かっこいい」と思う心境。
それが30代後半になってこういう駅舎に、自分ではリアルタイムで体験していないのに懐かしさを感じたり、古いものに味わいを感じるというのはどういう心の動きなのだろうか。これが「大人になった証」とでも言うのだろうか。かつてリアルタイムで木造駅舎を利用していた世代とはまた違った感覚であろう。
うーん、個人的にはどうだろう、嘉例川はもちろん素晴らしいが、町の風景と共にある大隅横川にも軍配を上げたいところである。
14時25分発の列車で隼人方面に下る。今度はキハ40の1両編成。ボックス席に座ることができたが何だか嫌な予感が・・・。
果たして、再びやってきた嘉例川から、先ほどのウォーキングの中高年たちが大挙して1両の気動車に押し寄せてきた。座席はもちろん通路までぎっしりで、まるで山手線か埼京線状態。昨今のローカル線の人気ぶりを表す実に「素晴らしい」光景である・・・・。あとは淡々と隼人まで下る。
まあ混雑は致し方ないところであるが、木造駅舎の雰囲気というのはそれを気にさせないものであった。またいつの日か、こういったローカルな駅舎でのんびりした一時を過ごしてみたいものである・・・・。(続く)