まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第20番「立木山寺」~新西国三十三所めぐり・21(石段は厳しかった・・・)

2016年12月06日 | 新西国三十三所
・・・陽岱鋼は巨人に行くのか。何かこう、前々から裏で話がついていた感じがしてならない。どうせバファローズやイーグルスとの交渉というのも、両球団の話を右耳から左耳に聞き流していたんでしょう。となると、バファローズとしては糸井の人的補償選手の選定を見直しにかかるのだろうか。まあ、それも数日のうちにわかることである。

・・・そんな陽岱鋼のことはさておき、とりあえずブログの中の私にとってクリアすべきなのは、目の前にある800段の石段である。バスを降り、交通量の多い道路を渡って石段の下に出る。山の上に物資を運ぶためのモノレールもある。寺にはクルマで行くことはできない。麓の手水場でまず手を清めてから上る。

800段の石段と書いているが、これまで出合った札所での昔ながらの石が並べられた参道ではなく、コンクリート製なのである。だから普通の公園の階段と変わらない。また中央に手すりがあり、これで左側通行を仕切っている。てっきり山道を想像していたのだが意外だった。

そうした「階段」なので、途中には多くの踊り場がある。そうしたところには弘法大師像や地蔵、観音像もあり、立木山寺を詠んだ壇信徒の方々の歌碑も立っている。麓には五丁の石碑があり、上るうちに数が減る。

このくらいなら何とも思わない方も多いだろう。この時も、私がこれから上ろうというタイミングで、上から走り下りてきた高校生くらいの人が、一番下まで来てそのまま折り返して駆け上がって行った。地元の人にとってはちょっとしたトレーニングコースなのだろう。

私はといえば・・・気合いで上るが、やはり途中で何度も立ち止まって呼吸を整える。800段くらいなら楽に行かなければならないのだろうが、先ほどの岩間寺の往復の後であり、しんどいものはしんどい・・・。

ただそれも時間にすれば10分あまりかかったかというもので、力業で何とか上りきって境内に出る。やれやれ。

山の中腹を切り開いたような境内である。その中央に弘法大師像があるのだが、菅笠をかぶり、手には錫杖など持っているという姿ではなく、鹿の背中に横向きに乗っている。昔のカップルの自転車の二人乗りのような姿である(今時、そういう乗り方するカップルはいないか)。

なぜ弘法大師が鹿に乗っているか。寺の由来と関係があるそうだ。弘法大師がこの地に立ち寄った際、瀬田川の対岸に光輝く霊木を見つけた。しかし川の流れが急で対岸に渡れない。するとそこに一頭の白鹿が現れて、大師を乗せて対岸まで渡した。その後、白鹿は観音菩薩に姿を変えて消え去った。このことから、霊木を彫って観音像にして祀ったのが立木山寺の由来とされている。また、この出来事が弘法大師42歳の時のことだったとして、立木山寺は厄除けの信仰を集めるようになったそうである。

本堂に行く。先ほど境内に着いて少し休むうち、本堂にお参りする人で柏手を打つ人が多いのが気になっていた。ここは寺であり、神社とは違う。寺で柏手を打つとは常識のない人たちだなと思う。

・・・ただ、改めて本堂や境内を見回すと、ここは神社の佇まいに似ているのではないかと感じられた。そういえば石段にも山門はなく、しめ縄だけがかけられていた。また本堂の中央も鰐口をゴーンと鳴らすのではなく、紐を引いて鈴を鳴らす。弘法大師がどうだとかいうことを知らなければ、神社風のお参りにもなるのかと。柏手を打つのも無理もないかなという気がする。

ここも新西国式にお勤めして、少し上がったところの厄除けの鐘を撞く。明るい音がした。最後は奥の院。道了大師を祀っているところである。

お参りをすませて朱印をいただく。対応するのは学生風の女性だが、ますは納経帳を丁寧に押し戴いてから筆を走らせる。住職クラスのさらさらとした草書体(というより、達筆すぎて何が書かれたのかわからないのもたまにあるが)ではなく、書道の教科書のような「立木観音」のはっきりした文字が新鮮である。それを書き終えた後に再び押し戴いて返してくれる。

境内には飲食物を売るところはないが、休憩所の御茶屋がある。ここではお茶のほかに、ゆず湯、昆布茶のお接待がある。参拝者たちが思い思いに周りの床机に腰かけて休んでいる。これは地元の人たちのご厚意によるものか。本坊の脇で割烹着姿で談笑しているご婦人がたがいたが、この人たちの手によってサービスされているものである。別に料金を申し受けるとは書いていないが、お盆の上には小銭が集まっている。こういうちょっとしたお互いの心遣いがいいなと思う。

ここでお茶をいただきながら、次の行き先を決めるくじ引きとサイコロである。

1.長岡京(楊谷寺)

2.龍野(斑鳩寺)

3.太子町(叡福寺、西方院、当麻寺)

4.加古川(鶴林寺)

5.高槻(安岡寺、神峯山寺)

6.貝塚(水間寺)

幅広いエリアの中で、ここで出たのは「1」。5月の鞍馬寺以来、久しぶりの京都府である。この寺は西国20番の善峯寺、紅葉の名所でもある光明寺とともに「西山三山」と称されるところ・・って、また山歩きのコースになるのか。楊谷寺は最寄りのバス停からでも徒歩45分とある。

・・・さてここから来た道を戻るのだが、境内からすぐ下のトイレのところまで下りる階段で、左膝の後ろがビリッとした。あ~あ、やっぱりか。今回は大丈夫だろうと、岩間寺の往復と立木山寺の上り階段は何とかなったが、やはり最後の下りで痛めるということになった。原因は私の肥えすぎがほとんどだとしても・・・それ以上にクセになっているのではないかというのが心配である。次は何か対策をしておかないといけないな。

そこに立て札があり、右手の階段ではなく、左手に道があるのを示している。階段ができる前の参道で、麓の南郷のバス停まで十八丁あるという。下り階段の五丁か、緩やかな坂道の十八丁か。さほど迷うことなく、十八丁の歩きを取った。最初に緩やかな下りの石段があるが、これならまだ行ける。その後は坂道で、やはり杖があったほうがよかったが、あの階段を下りることを思えばましだった。こちらのルートですれ違う人もちらほらいた。

この参道、ところどころに土砂崩れの痕跡が見られる。入口に「先の8月の豪雨で被害、仮復旧」とあるが、いつの8月だろう。今年は、関西でそこまでの豪雨のニュースはなかったと思うので、何年か前のことだろう。ただ、今でも他の山に抜けるルートは閉鎖されているようだ。

40分ほどで下り終え、南郷の集落に出た。バスの時間まで間があるので、先ほどバスに乗った南郷洗堰まで歩いて戻る。

ここまで来れば山登りはおしまい。この後、本日最後の札所・石山寺にバスで向かうが、この日(3日)に行ってラッキーだった。そのことは次の記事にて・・・・。
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