まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第17番「楊谷寺」~新西国三十三所めぐり・22(西山三山)

2016年12月12日 | 新西国三十三所
早いもので今年もあと3週間。12日は「いい字いい字」ということで、京都の清水寺で今年の漢字一文字の発表があった。選ばれたのが「金」ということで、リオ五輪の金メダルラッシュとか、舛添前知事の公金疑惑とかが選ばれた要因とある。ただこの文字、以前にも選ばれてなかったか。金メダルと政治とカネのことで。歴史は繰り返すというか何というか。

・・・その清水寺は現在順次修復中で、清水の舞台のある本堂も来年から修復に入るのだとか。お参りはできるが、右手に清水の舞台、左手に京都の街並みという、京都を代表する景色はしばらく見られないとある。修学旅行の生徒にはちょっと残念だろう。

さて、話は12月、前回から中7日での新西国三十三所めぐりである。22番目に訪ねるのは、京都でも長岡京市にある楊谷寺(ようこくじ)である。こちらも私は初めて聞く名前である。また、京都の人たちも楊谷寺と呼ぶ人は少ないそうで、「柳谷観音」の名前で通っているとのこと。

その楊谷寺、開創は清水寺と同じ延鎮僧都。清水の観音の姿を拝みたいと日夜祈願していると、ある夜の夢に観音が現れて、都の西にある柳の茂る谷に行けという。僧都がその場所に行くと光明が差しており、そこには観音が立っていた。その姿を彫り、この地に安置したのが楊谷寺の由来とされている。清水の観音が夢に出たのが由来だから「西の清水」とも呼ばれている。また京都の中の東山に対して西山とされている。この西山という場合は、西国の20番札所である善峯寺、そして光明寺とセットで「西山三山」と称される。別に東山に対抗するわけではないが。

今回楊谷寺を訪ねるに当たっては、先日の立木山寺と同様に近くの西国札所の2巡目をやるということで、善峯寺とセットで行くことにした。光明寺は・・・またの機会ということで。

例によって交通アクセスを調べる。毎月17日は観音の縁日ということで、この日はJRの長岡京、阪急の長岡天神、西山天王山を結ぶ送迎バスを寺が走らせている。ならば次の週末だし、それに乗ればいいのだが17日は都合が悪い。17日以外は自力で行くのだが、アクセスは長岡天神から阪急バスで奥海印寺というところまで行き、そこから徒歩で40~45分とある。その阪急バスは長岡天神から済生会病院や奥海印寺を通る循環ルートで、1時間に1本のペースで出ている。路線図を見ると午前中が反時計回り、午後が時計回りに回るのが特徴的で、奥海印寺は最も遠い南西に位置している。まあ、楊谷寺に行く分にはどちら回りでも変わらない。

前回、大津石山から帰宅する途中に、登山用品のモンベルに立ち寄ってトレッキングポールを新たに買い求めた。今回、山坂歩きになることを見越してのことである。トレッキングポールなら四国に持っていっている金剛杖があり、いわゆる「遍路ころがし」も乗りきったのだからそれを持っていけばいいのだが、あれが特別なのであり、関西についてはもう少しコンパクトにできないかという思いがある。翌朝には回復するとは言え、当日膝の後ろを痛めるのもしんどい。ならば一度使ってみようかと。

11日の朝、それをリュックの横にくくりつけて出発。これを使う場面はいずれ来るだろうし、使ってみたいコース取りをした。

梅田から阪急で長岡天神に到着。特急も停まる駅だが駅前はロータリーもなく手狭で、バスに乗るには駅を出て通り沿いまで行かなければならない。案内に沿って進むと学習塾の前にバス停がある。次は8時45分発の循環ルート。やって来たバスに乗り、駅の西側に広がる住宅地の中をゆっくりと、少しずつ高度を上げて走る。途中から乗ってくる客は、このままぐるりと回って駅に行く客である。

済生会病院を過ぎ、長岡天神から10分足らずで奥海印寺に到着。バス停に寺の名前はあるが、近くにそうした名前の寺は見当たらない。バス停の前には京都縦貫道の高架があり、そのたもとには最近整備された里山公園がある。しかしコンビニなどはない。

ふと、十八丁と書かれた道標を見かける。高速道路の工事で移されたのだろうか。十八丁とは楊谷寺までの距離だろう。2キロ弱だが、地図を見ると府道がぐにゃぐにゃにカーブを描いており、上り坂が予想される。

府道なのでアスファルトの道だが、それなりの勾配はある。ポールの出番はまだかなとそのまま歩く。時折自転車と行き交う。上り下りがトレーニングに適しているのだろう。

石の道標は時折登場する。途中からは両側に竹藪が目立つ。柳谷観音というから柳の木があるというものでもないようだ。もっとも、「楊」と「柳」は同じ「やなぎ」と読んでもそもそも別の植物だそうだが・・・。

その竹も、無造作に生えているのがあるかと思うと、一方では人が入って手入れしている光景も見られる。竹どうしの間隔を開けて、竹の根元には肥料らしきものが入ったビニール袋が置かれている。

アスファルトの府道をじわじわと上がること40分、ようやく楊谷寺に到着した。外観をパッと見た印象は、左右に石垣の広がる山城。別に武家勢力が陣取ったわけではないが、この山奥に堂々とそびえた歴史を感じさせる。これにはうならされた。

まずは歩いたことにやれやれとしながら、境内に続く石段を上がる・・・・。
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