
牟岐線の列車に乗り、鯖瀬で途中下車。鯖瀬という名前を聞くと、この辺りは鯖がよく獲れるのかなと思うところである。


ここで下車したのは、日和佐の薬王寺と室戸岬の最御崎寺の間にあって、弘法大師とゆかりの深い「四国別格二十霊場」の一つとされている八坂寺というところを訪れるためである。八坂寺というのが正式な寺の名前であるが、通称「鯖大師(本坊)」というのが知られている。駅からほど近く、ホームからお堂の屋根も見えている。このくらいの距離ならキャリーバッグを転がしても苦にはならない。
さて「弘法大師とゆかりの深い」と書いたが、この寺にまつわる一つの伝説がある。鯖大師のホームページをはじめとしていろいろなところで紹介されていた話のあらすじをまとめると・・・。
弘法大師が修行でこの地を訪れて休んでいると、馬の背中に塩鯖を満載した男が通りかかった。そこで弘法大師は鯖一匹を所望したが、男は罵倒して立ち去ってしまった。ところがしばらくして、大坂というところに男が差しかかった時、馬が急に腹痛を起こして倒れて、動けなくなってしまった。これは男が鯖をくれなかったというので弘法大師が
「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 大師に『くれで』馬の腹病む」
と詠んだからである(『』は私の注書き)。男は鯖をあげなかったことを詫び、すぐに大師に鯖一匹を施した。すると大師は
「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 大師に『くれて』馬の腹止む」
と詠み、山の水を馬に飲ませたところたちどころに息を吹き返した。「くれで」は「くれないで」という意味で、「で」と「て」の違いで全く正反対のことが起きたということである。

その後大師はその鯖を沖合の島に持って行き、海中に放った。すると鯖が生き返って泳ぎだした。馬方の男はこの霊験に発心して、この地にお堂を造って人々を助けるようになったという。これが鯖大師本坊の由来とされている・・・。
・・・鯖一匹恵んでくれなかったからといって馬を動けなくするとは、弘法大師もみみっちいことするなあと思うし、また、運送屋の視点で言わせていただければ、馬方の男だって商売で鯖を運んでいるのに、それを取り上げて生き返らせるとは、鯖を待っているであろう山の人たちはどうなるのかとも思う。ただ、この手の伝説はそのように現代的なひねくれた見方をしてはいけないようである。「施し」と「不殺生」という教えが込められており、今の鯖大師でも「鯖断ち」という願掛けがあるそうだ。

四国めぐりの参考にしている五来重の『四国遍路の寺』によれば、昔から峠には手向けの神がいて、その神様に何かをあげると無事に峠を越えられるという信仰、言い伝えがあり、よく手向けられたのは生飯(さば)、つまり飯粒であるという。その生飯がいつしか魚の鯖に替わり、登場人物も弘法大師や、それ以前に同じような伝説を持つ行基に変化していったのが、この鯖大師の伝説であるとされている。



本堂の脇には鯖の石像があるし、大師堂の中の弘法大師像は右手に鯖を持っている。別に弘法大師が「鯖をとったど~!」というわけでも、これから鯖を三枚に下ろしていただくわけでもなく(どうも今回、弘法大師相手にからんでいるな)、先に書いたようなことの戒めの像である。

境内では初詣の準備でバタバタした感じだったが、特別に納経帳の後ろに朱印をいただく。この八十八所めぐりでは基本の88寺プラス高野山奥の院の朱印をベースとするが、それ以外の余白のところには、私が回る中で「これは」というところのものをいただくことにする。鯖大師は別格二十霊場の一つであり、別格専用の納経帳というのもあるのだが、今回は私にとっての四国の特別版ということにしておく。


寺そのものは本堂、大師堂の他に、観音をまつる多宝塔や、祈祷を行う護摩堂がある。また立派な宿坊もある。護摩祈祷も毎日行われているそうで、そうした祈願に訪れる人も多いとのことである。

参

詣後、国道55号線を挟んだ海岸に向かう。遠くに小島が見える。弘法大師が鯖を海に放ったとされるところだろう。波も穏やかで、こうして眺めている分にはいい。ただ、これをずっと歩き通すとなるとどうだろうか。

そろそろ列車の時間となる。やってきた列車は牟岐止まりで、日和佐に行くには牟岐ですぐ接続の特急「むろと6号」に乗る。前回、桑野から徳島まで乗った列車だ。特急なのでもちろん特急券がいるが、今回使用の「四国みぎした55フリーきっぷ」は自由席なら特急料金不要で乗れる。これを逃すと、次の普通列車まで牟岐で1時間以上待つことになる。


16時58分、日和佐に到着。今回のベースキャンプとなる日和佐駅前のビジネスホテルに向かう・・・。