まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11番「當麻寺」~新西国三十三所めぐり・25(曼荼羅が本尊はいいとして・・)

2017年01月31日 | 新西国三十三所
このところ更新が滞っていて(しかもシリーズの途中で)申し訳ないです。滞りの理由はまた改めて触れます・・・。

さて當麻寺の参道。當麻寺も子どもの頃には家族で訪れているはずだが、こうして札所として行くのは初めてである。同じ沿線にいながら、訪れた記憶や記録が残っているスポットというのも案外少ないなと思う。

参道には廃棄物処理場の建設に反対する内容の幟や張り紙が見られる。国宝を有する當麻寺の周辺と、奈良西部の近郊住宅も並ぶ葛城市のせめぎあいのようだ。張り紙も結構年季が入っているようだが、この問題はまだまだ継続中なのだろうか。

境内の東側が山門である。私が回る西国や新西国の寺院などの山門は南側に建つことが多いが、西から東に向く形である。これは西と南に山があるからという地形上の理由もあるそうだが、阿弥陀如来信仰によるものとされている。

境内を進むと、本堂へは正面方向に行くのだが、左手に中之坊がある。庭園が有名で写仏体験もできるそうだが、今回は見送る。ともかく本堂に向かうことにする。

當麻寺の開創は古く、当麻氏の氏寺として推古天皇の頃開かれたとされているが、不明な点が多いそうだ。当初は弥勒菩薩を本尊としていたが、中世以降は「当麻曼荼羅」を信仰の中心としている。中将姫が五色の糸で一夜で編み上げたという伝承がある。その曼荼羅は真言宗の金剛界、胎蔵界曼荼羅のような幾何学的なものではなく、阿弥陀如来の西方浄土が描かれている絵巻物のようなものである。新西国三十三所を回っていると、観音以外にもさまざまな仏像が寺の本尊として祀られているのに気づくが、仏像ではなく曼荼羅が本尊というのは初めてである。いずれにしても観音信仰というものからは切り離された感じで、こうなると「新西国三十三所って、いったい何なのか?」と思ってしまう。そもそもは観音信仰の20世紀版が札所選定のベースではなかったのかと思うが、改めて内訳を見るとそんなこだわりはどこかにぶっ飛んでしまい、聖徳太子信仰も一部で、何だかよくわからないグダグダな構成だなと感じる。一貫性がなく、これでは札所めぐりの人気が上がらないのもむべなるかなと思う、當麻寺そのものは名刹で、何かに選定されることじたいは否定しないのだが・・・。

本堂の中に上がる場合は拝観料がいる。外陣から内陣に入る。センサーが作動して當麻寺の説明の音声が流れる。せっかくのサービスに対して失礼とは思うが、これは一応手順としてお勤めを行う(朱印をいただくのならお勤めをするというのが私のルール)。曼荼羅に対峙してというのも妙な気分だが。なおこの曼荼羅の原本は損傷が激しいため原則非公開で、後世に模写されたものを安置しているという。ただそれも傷んでいるように見られ、この手のものの保存の難しさを窺わせる。

新西国の朱印はこちらということで、「蓮糸曼荼羅」と記された一筆をいただく。そして「金堂にご案内します」と、別の係員に引率されて本堂前の金堂に向かう。ここに弥勒菩薩が安置されている。・・・こう書くと、私がVIP扱いされたと思う方がいるかもしれないが、そうではない。仏像の安全管理のため金堂は普段施錠されていて、本堂と金堂のセット券を買った参詣者がいると案内して扉を開けるというものである。

その弥勒菩薩、撮影禁止なので画像はないが、よくイメージされる弥勒菩薩と比べるとガッチリした体格である。顔の左側が傷んでいるのもリアルさを感じる。しばらく拝観して金堂を出ると、先ほど案内していただいた係の方が扉の横の椅子でずっと待機していて、私が出るとまた扉を閉めた。拝観の申し出があるたびにそのようにしており、おそらく仏像の盗難や損壊防止のためだろう。

當麻寺には二つの塔がある。西塔と東塔で、まさに薬師寺のようである。先ほど、當麻寺は阿弥陀如来信仰だから本堂が西から東に向き、山門も境内の東にあると書いたが、改めて調べると、そもそもはやはり南に山門があったそうだ。これは弥勒菩薩が本尊だったことと関係しており、本尊がいつの間にか阿弥陀如来の曼荼羅に変わると、寺の造りもガラッと変えられたとある。何かと複雑な歴史があるようだ。

本堂からさらに西へ、少し石段を上がったところに奥院がある。別途奥院の拝観料がかかるが仕方がない。ここは阿弥陀の曼荼羅を本尊とする寺のさらに奥の院ということで、浄土宗を名乗っている。有名な中之坊をパスして奥院に来たのはわけがある。

先に西塔と東塔があると書いたが、位置の関係でこの二つを一枚の写真に収めることができる、つまり両方いっぺんに見ることができるスポットは限られている。奥院はその一つである。當麻寺というところ、いろいろな角度で見ることができる。季節を変えると花の楽しみもあるようで、今回訪れなかったところも含めてまた足を運んでみよう。

そして、次の行き先を決めるくじ引きとサイコロである。

1.赤穂(花岳寺)

2.加古川(鶴林寺)

3.比叡山(延暦寺)

4.大阪市内(太融寺、鶴満寺)

5.高槻(安岡寺、神峯山寺)

6.明石(太山寺)

そして出たのは「2」。加古川である。まだまだ播州に訪れていない札所が固まっており、次はその一つが出てよかった。実は青春18きっぷが1回分残っていて、今なら1月9日、成人の日に投入することができる。これはいいタイミングかな・・・。

帰りは参道を当麻寺駅まで歩く。途中、相撲館の前を通るがここも年末年始の休館。まあこれも織り込み済みである。そもそも年末年始に博物館、資料館の類に行こうとすることじたい無謀なことなのかもしれない。目的とした新西国の3つの札所は確かに回ることができたが、道中のアクセントがもう一つだったなというのが今回の感想である。

それでも、もう少し日をずらして、せっかくなら相撲館だけでも見学できるように時間のやり繰りをしたほうがよかったのだろうが・・・・。
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