まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第25番「太山寺」~新西国三十三所めぐり・36(明石めぐり)

2017年06月04日 | 新西国三十三所
明石駅に到着。時刻は13時半ということで昼食である。明石といえば魚の棚商店街が有名であるが、私として気になる店がある。それは駅前。

以前に「道場」という居酒屋があり、何かの時に明石で途中下車して、地元の大衆酒場という感じの店を何度か楽しんだことがある。ただ、明石駅前の再開発工事が始まり、その店も姿が見えなくなった。

そこへ来て、駅前には今年の1月に新たにオープンした「パピオスあかし」という複合ビルがある。どんなものかとのぞいて見ると、1階が飲食店街になっている。ひょっとしたらと案内板を見ると、ありました「酒道場」。店の内装も前のイメージを踏襲した感じである。

明石ということでやはりたこのメニューである。まずはジョッキで本日の新西国めぐりを締め、たこぶつや煮付けなどいただく。関西では少数派のホッピーが置いてあるのもポイントである。日曜の午後ということで観光客の姿もあるが、地元の常連客らしいのも多い。新しいビルにこうした昔からの店が引き続いて入るのも、集客には欠かせないだろう。

そんな「道場」だが、実は明石名物の玉子焼きはメニューにない。こればかりは他に譲ることにして、締め代わりに入ったのが同じビル内の「まるまる」。こちらも古くからの店のようだ。ノーマルな玉子焼きの他に、割ったたこせんの間にたこ焼きを挟み、ソース味に仕上げた「たこせん」をいただく。こうした玉子焼きなどをいただくと、播磨の国に来たなと感じられる。

さてお腹もでき、心地よくなったところで、腹ごなしとして駅北側の明石公園に向かう。駅のホームから明石城の櫓は見るのだが、実は行ったことがなかったのでこの機会に行ってみる。明石城は現在は明石公園として野球場や陸上競技場もある。そういえば以前、独立リーグの関西に「明石レッドソルジャーズ」というのがあったよな・・・と思い出す。

明石城は江戸時代初期の建造である。山陽、山陰方面の押さえとして、徳川秀忠の命により小笠原忠真の手で造られ、合わせて城下町も整備された。その後は城主が何代か入れ替わり、松平氏の居城となった。今は二つの櫓を残すのみである。そのうちの一つ、坤櫓が公開されているので入ってみる。ここから見る市街地というのもよいものである。

ちなみに明石公園の前に一体の銅像がある。林兼商店の創業者、中部幾次郎である。林兼商店とは後の大洋漁業、現在のマルハニチロであるが、その創業者である。大洋といえば下関のイメージなのだが、創業者が明石の出身というのは初めて知った。

少し回ったところで山陽電車で明石を出発。向かったのは舞子公園。明石海峡大橋を間近に見るスポットである。こちらも地元の人、観光客の憩いの場で賑わっている。また釣り糸を垂らす人も多い。太陽はまぶしいが潮風が心地よく、しばらくそこにたたずむ。

さてこれで新西国も残りは3つ。これから暑くなる時期である・・・。
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